訪れたのは、これぞまさに中央線文化という街の一角に建つ「小杉湯」。ミルク風呂、ジェットバス、あつ湯の3つの浴槽があり、壁画には、銭湯絵師・丸山清人氏による大定番の富士山が描かれている。開店前の午前10時、著者の塩谷さんが笑顔で招き入れてくれた。
――2月末の刊行で、さっそく第3刷の売れ行きです。1冊のなかに銭湯の魅力がギュッと詰まっていますね。ゆっくり湯船につかりたくなる。それにしても「番頭 兼 イラストレーター」って、じつに異色の肩書き。なぜ、銭湯を描くようになったのでしょうか。
もともと建築学科を大学院まで出て、設計事務所に入ったんです。けれど、自分を追い込み過ぎ、体調を崩してしまいました。そんな時に銭湯に出会ったんですね。
――ご出身は早稲田の大学院の、しかも建築学を出たのですね。そこからして異色ですね。
母がインテリアコーディネーターで、インテリアの絵の描き方を教えてくれたんですよ。それが楽しくて、絵の勉強もできるようなところが良いなと思ったんです。早稲田って意外とスケッチをたくさん描かせる学科なんです。美大に行こうかとも思ったんですが、総合的に学べるところのほうが、と思ったんです。
――入学後はどんな研究をしていたのですか?
設計デザインです。地方都市を事例に挙げ、「街並みがなぜこんなに美しいのか」ということを研究していました。佐賀県鹿島市にある酒蔵の美しい街並みを研究ターゲットとして挙げ、その色彩こそが街のアイデンティティを表しているのではないか、と。そこで、フィールドワークをいっぱいやって研究を続けてきました。
――鹿島といえば、多良岳山系の清水や良質な米に恵まれ、酒造りの盛んに行われている街ですよね。白壁土蔵や茅葺町家などの伝統的な建物が残り、タイムスリップしたかのような景観。
街のこととデザインのこと、両方研究していたんです。修了後の2015年からは、都内の設計事務所に入社しました。住宅の設計をやっている会社だったんです。
――かなり激務だったのですか。
というよりも、自分で自分を追い込んでいたんです。もちろん、仕事はかなりあるんですけれど、会社自体はホワイトな風潮。体調を優先してくださり、不調を訴えたらすぐ休ませてくれた。設計を勉強して設計事務所に行くコースって、その先のゴールってだいたい建築家しかないんです。私、大学の同期に対する競争心が当時、なぜかとても強くて、誰よりも早くそのゴールに向かわなければならない、みたいな気持ちが強かった。だから設計事務所では率先して仕事をやった。「やらなくちゃいけない」と思っちゃった。
――ちょっとお身体の調子がおかしいと思われたのはいつですか。ご体調のことについて、もう少し聞いても差し支えないですか。
大丈夫ですよ。2016年の夏から体調が悪くなりました。最初は軽い耳鳴りと、歩いていて泥を踏んだような眩暈があったんです。何回も同じことが起きる。「なんか変だな」と思って、神経科とか行ったんですけど、全然原因が分からない。で、そうこうしているうちに、気持ちもマイナス思考になっちゃったんです。「私がこんなにケアレスミスするのは、私の性格が悪いからだ」なんてことを考え始めて。
――自分を追い込んじゃったんですね。
そうですね。人と話していても呂律が回らなくなったり、顔色が白とか紫色になったり、手が震えたり。
――それは初めてのことでしたか。
鬱かなとも思ったんですけど、これだけ変な症状がいっぱい出てくるので、急激な疲労感もある。診断は「機能性低血糖」。血糖値がコントロールできなくなる症状で、ストレスが原因と言われました。仕事は3カ月休みました。その間ずっと、自宅にいて、もうかなり鬱っぽくて、しんどかったです。そんな折に銭湯に出会ったんです。
――つらかったですね。銭湯は、お医者様が勧めたのですか。
同じように休職していた友達が銭湯にハマっていて、誘ってくれたんです。先生からもお墨付きを頂いて。行ってみたら、すごく良い空間で、純粋に昼間の銭湯が気持ち良かった。先生は「体を温めるのは良いことだから、どんどん行ってください」って。休職中って罪悪感があって、遊んじゃいけないと思っちゃう。でも、「これは治療の一環」と胸を張れるようになったんです。
――「自分の身体と心を治癒するためだ」と。
遊びじゃない。それで、どんどん行けるようになりました。最初は、自宅の近くから。体調が改善してからは範囲を広げて。
――そうして銭湯にどんどん魅せられ、ハマっていき、元気を取り戻していったのですか。
同じタイミングで「交互浴」にハマったんです。熱い湯と水風呂を繰り返して入ると、血行が良くなるんですね。私の症状は、血流を良くすると改善しやすい部分があるみたいで、身体に合っていた。「交互浴」をすると元気になる。銭湯に行くと元気になる。これがまず、すごく驚きだったんです。
――なんかもう理屈じゃなく、物理的に、実感として、自分の身体が喜んでいることが分かった。
そうなんです。気持ちも前向きになれた。スゴいなあ、と。今までは銭湯って、家風呂の代替。家にお風呂がない人が集まるところ。汚い、古いイメージがあったんです。だから、新鮮な驚きがありました。私が知っていた銭湯とは全然違う側面を持つことが分かった。
同時に、建物の空間として優秀だと思ったんです。私、広告の勉強もやっていたんですけど、この場所自体、ひとが集まるから、広告の装置として良さがあるんじゃないかって。銭湯のイメージが変わった瞬間に、いろんな良さが見えてきたんです。あんまり知られていないのはもったいない。何かやりたいな、と。
――で、銭湯の「図解」を描くようになったのは、なぜですか。
銭湯にまだ行ったことのない友達がいたんです。Twitterで銭湯の良さを伝えたかった。その子も建築学科の同期だったんですけど、表現をどう分かりやすくするか。それで、図解を思いつきました。
――不動産の店先に貼られた間取り図のような平面ではなく、角度を付けて建物内部を俯瞰的に描く建築図法。「アイソメトリック」という手法だそうですね。
平面図をちょっと斜めにして、立体を斜めから見た図を表示する方法の一つです。本来は、三方の軸がそれぞれ等しく120度間隔で見えるように立体を投影するんですが、ここではそれぞれの銭湯によって角度を変えています。だから、厳密に言えばじつは自己流なんです。
――でもそれがとっても立体的で、生き生きして見えますよね。緻密なのに、ほんわかする筆致。絵の完成まではどんな工程を?
電話などで取材交渉をして、開店1時間半前の銭湯に伺います。初めにレーザー測定器で浴室全体や浴槽など大きなものから測量し、湯船の立ち上がり、カランのような細かい部分はメジャーを使って、タイル幅も丁寧に測っていくんです。
実測の次には写真を撮影し、ご主人に店の歴史や取り組みなどをインタビューします。取材後はお客さんに交じってお風呂に入り、お湯を楽しみながら浴室の雰囲気を観察します。それで下書き、ペン入れ、着彩。着彩は透明水彩絵の具で、文字はiPadで書いています。20時間以上かけて1枚の絵を描いています。
――設計事務所はそのままお辞めになったんですか。
絵を描き始め、銭湯に行き始めてから体調が良くなったので、1回復職したんですよ。でも、以前は2時間ぐらいでできた作業が、復職後は1日経ってもできないぐらい体力が落ちてしまった。これでは建築業界で働くこと自体無理だな、と。どうしようかなと思って、この「小杉湯」の若旦那に相談したんです。2017年1月のことでした。若旦那は、私が絵を描き始めた時に、「小杉湯のパンフを描かないか」って声をかけてくれ、仲良くなってよく話すようになったんです。
――若旦那は、Twitterで塩谷さんの絵をご存知だったわけですね。最初、小杉湯を訪れた時のことって覚えていますか。
ここは憧れの存在だったんですけど、家から遠いから体調的になかなか行ける場所じゃなかった。だから最初、本当に感動しました。建物自体が86年ももっていて、内部もとても綺麗だし、こんなにやる気に溢れた銭湯って見たことない。すごい「陽」のエネルギーに満ちているんです。
――「陰と陽」の「陽」ですね。破風屋根の下の欄間の木彫りは、今では伐採禁止の屋久杉。しかも、由緒ある富山・砺波の両面彫り。メチャクチャ貴重で、しかも躍動感みなぎっていますね。待合室はリニューアルしていて、モダンな空間。でも、ここで「番頭さん」として働くという決断って、なかなか斬新ですよね。
番頭になるなんて最初は想像もできなかったです。設計のエリートコースからドロップアウトしてしまったと感じた面も正直ありました。でも、あの業界で働くには体力がないし、何よりも銭湯という空間が好きになったんです。友達10人に相談したら全員、「転職したほうが良い」って。「塩谷は絵を描くのが好きなんだから、今、開かれた道に進むほうが良いよ」って、背中を押してくれたんです。2017年3月のことでした。
――小杉湯で番頭を務めるかたわら、都内外のあちこちの銭湯に行く生活が始まったのですね。この本には24軒の銭湯が紹介されています。第1章が初心者編「知る」、第2章が上級者編「楽しむ」、第3章がマニアック編「極める」、第4章が「味わう」。銭湯通へとステップアップできる読ませかたをしていますね。最初に書いたのが東上野の「寿湯」。それはなぜ?
純粋にあの銭湯が好き過ぎて。あまりに感動したんです。まず、建物が古くてもサービスが行き届いていて、タオルセットに身体をゴシゴシするタオルが入っていたり、表の建物のところには自転車で来た人用にと、空気入れも置いてあったりするんです。
――すごいホスピタリティ。
お風呂もとっても気持ち良くて、とにかくすごく気持ちが溢れて描いたんです。
――小杉湯に転職後、雑誌で老舗銭湯を取材した連載をはじめ、メディア出演の場も増えました。この1冊にはお湯の種類、温度、アメニティが詳しく記されたうえ、気持ちよさそうに湯船につかるお客さんたちの息吹が感じ取れます。絵に描いてみて初めて分かったことって、ありましたか。
ふつうに目線が変わりました。以前はお風呂を楽しむだけだったんですけど、今はお風呂の泡の様子をずっと見ているんです。お湯の絵を描く時に、銭湯のその気持ち良さを表現するのって、お湯の湯面、ジェットの泡の部分、あの表現がすごく大事。湯面の揺らぎ。ジェットバスだと全然下が見えないし、でも湯面があまり動かない炭酸泉だと、下まで透き通って見える。この表現がお風呂の気持ち良さをつくるんです。だから、最近はお風呂に入りながら、ずっと湯面を見ています。
――小杉湯の番頭さんとしては、週何日入っているんですか。
今は不定期ですが、おそらく4月以降は再び、週1、2日入ることになるかも知れません。お店自体は午後3時半から、午前1時45分まで営業しています。
――番頭さんの1日って、どんな感じなんですか。
あくまでご参考に言うと、だいたい午後1時ぐらいに来て、お風呂の準備をして、3時半にお客さんを迎えて。そこからちょっと疲れたので休んで、夜の9時ぐらいに来て受付をやって、12時ぐらいにお風呂に入って帰るんです。番台に座りっぱなしというわけではなく、夜間は別に担当する人がいて、皆でシフトを回しているんです。
――番台でも、『銭湯図解』が購入できるのですね。刊行後に反響は?
だいぶありました。同世代の読者からは「私も一歩踏み出してみようと思った」。年上の世代からは「銭湯って古臭い印象があったけど、久しぶりに行ってみようと思います」って。
なかでも記憶に残ったのは、「塩谷さんは本を通して、銭湯の価値を広げたかったんですね」って。「『銭湯保存キャンペーン』ではなく、本を出すことで銭湯の価値を広げ、人々が銭湯に目を向けるということ自体、手助けになるんですね」って。
――それはとっても嬉しい感想ですね。
それこそが私がずっと考えていたことです。大学で街並み保存の研究をやって、1人で活動をしたところで、活動時間が終われば、それで終わっちゃう。その事象が持つ価値をちゃんと表現し、発信していくことが大事だと、当時から実感していたんです。
――活動が一過性のものではダメ、ということですよね。価値を周知させ、継続していかないと。
まさに、そのやりたいことを汲み取ってくださった方がいたことが嬉しかった。自分の働く周りの環境は激変しましたが、「銭湯の魅力を伝えたい」という思いは変わりません。銭湯という文化がスタンダードな社会になれれば、何よりも嬉しいと思っています。
――このあと、営業時間に再訪し、ひとっ風呂、浴びてきます。
ありがとうございます。「あつ湯」はヨモギ、ゆず、ヒバなど天然素材を使い、日替わりで楽しめます。ジェットバスも酵素風呂や温泉地のお湯など、週ごとに替わります。ミルク風呂はマシュマロに包まれるような魅惑の湯心地です。のんびり温まってくださいね。