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この学術書は「誤読」されたがっている 社会に「ただ、いる、だけ」の居心地の悪さを考えた「居るのはつらいよ」

文:小沼理、写真:有村蓮

麦茶を作り、患者とトランプする臨床心理士の日常

——『居るのはつらいよ』は発売前に増刷が決定し、現在も刷りを重ねるなど、多くの人に読まれていますね。

 先日、新宿のブックファーストに行ったら、公認心理師の国家試験のテキストとこの本が並べて置かれていました。実は心理士業界は複数の学派に分かれていて、読む本がまったく違うんです。だからみんなが読む本というと、今は国家試験のテキストくらい。それと並んで置いてもらえたのはうれしかったですね。僕の知り合いの心理士も、学派に関係なく色んな人が読んでくれているようでした。

 あと、働くママ向けのファッション誌で、モデルの女性がおしゃれアイテムとして手に持ってくれていたことも。専門性を超えて、誰かのお世話をする人に広く読まれていると感じてうれしかったです。

——そもそも臨床心理士とはどのような職業なのでしょうか。

 臨床心理士は簡単に言えば「心の問題を扱う専門家」。カウンセリング室で患者と二人きりになり、深い話を聞く……というのが一般的なイメージかもしれません。

 僕自身も大学で学びながらそうしたイメージを抱いていたのですが、いざ臨床心理士として現場で働いてみるとまったく違っていました。僕が働いていたデイケア施設では「メンバーさん」と呼ばれるデイケアに入所している患者さんと一緒に過ごすことが大半で、面接室で話をしているだけではなく、麦茶を作ったり、送迎のために車を運転したり、一緒にトランプをしたりすることが仕事だったんです。

——『居るのはつらいよ』ではそんなデイケアの日々を軽快につづっていますね。

 僕自身、カウンセリングを行うために就職したのに、デイケアでは専門的な仕事をほとんどせずに、麦茶を作って過ごしていることに最初は戸惑ったんです。何も「する」ことがなく、「ただ、いる、だけ」で過ごすことはどうしてこんなに居心地が悪いんだろう? そういう問いに答えを出してみたくて、この本を書き始めました。

 最近は自己啓発など、いろんな場面で「居ることが大事だ」「doingよりbeingなんだ」と言われています。それを聞くと存在を承認されたような安心感がありますが、実際の「いる」って僕が体験したみたいに、座っていて机の木目を数えるくらいしかやることがないようなきつい体験でもあるんです。そういうつらさや楽しさは、概念や専門用語で説明することはなかなか難しい。専門用語を使うと、立派なことをしている感じになっちゃって、それはそれで違うものになってしまいます。じゃあ、それをどんな風に語れるのかと考えた時に、そういう風景を描くことができるエッセイの文体なんじゃないかと思いました。

——デイケアや臨床心理士の業界を知らない人にとっては、お仕事小説のようにも読めると感じました。

 心理士のことを知りたいと思う人がもしこの本を読んだら驚くと思います。毎日のようにメンバーさんと野球して過ごしていますから(笑)。でも「心に関わる」って、カウンセリングや話を聞くだけではないんです。野球をするとか、隣に座っているとか、一緒に生活することそのものが、実は「心に関わる」ことです。そういう意味では、それはみなさんも日常的に行っていることでしょう。心のケアは至るところに存在しているというのが、この本の中核的なメッセージですね。

 この本は雑誌「精神看護」での「ふしぎの国のデイケア」という連載が基になっているのですが、連載当時はもっとエッセイの要素が強い内容でした。デイケアのみんなでバレーボールをしたエピソードを、トスからアタックまでの2秒間を4ページ使って書いたこともあります。スラムダンク状態です。ボールの動きを描くことで、メンバーさんとスタッフの関係性を浮き上がらせよう! と意気込んでいたのですが、読み返したら本当につまらない!(笑) 編集者にも怒られ、エッセイだけでは駄目なんだと知りました。体験をより知的に理解するためには、理論的な部分もやはり必要だったんです。

——そうして、書籍化に当たって心理学的な考察を加筆しながら形作っていったのですね。

 そうですね。この本は「いる」と「する」、「ケア」と「セラピー」、「心」と「体」など、心理学的な概念を章ごとに二項対立で描いています。心理学って勉強してみると深みがあって面白いのですが、専門的な本は小難しくて、普通の人には読みづらく、読んでもいまいちピンとこない。それはそれで理由があるのだけど、その面白さが外部に伝わるように書いてみたいと思っていました。今回は物語とその考察というかたちで、それも達成できた手応えがあります。

——「ケアは傷付けないこと、セラピーとは傷つきに向き合うこと」など、その知識には読者が自分の心を見つめ直すきっかけになる考え方がたくさんありました。

 それぞれの人の生活の中で応用してもらえると、「あぁ、読んでもらえているんだ」という実感が湧きます。子育てだったり、ホストクラブの仕事だったり、編集者の作家との付き合いだったり、会社経営での部下との関係だったり……本自体と全然違った文脈を重ねてもらえることほどうれしいことはありません。

 読みやすさを追求した物語は「誤読」を可能にすると思うんです。論文の文章はきちんと定義付けて、手渡すものと受け取るものを一緒にすることが大切ですが、その分言葉が堅くて間口が狭くなる。理論書ではなく物語の形を取ったのには、誤読してほしいという意図もあります。だからぜひ、今この本を「医学書」の棚に置いている本屋さんは「人文書」の棚に移してください(笑)。この本は「誤読」を心底求めている本なんです。

デイケアのみんなが笑っていたから、笑っている文体で書いた

——本の中にはコミカルな描写がたくさんありますね。

 もともと高野秀行さんや椎名誠さん、遠藤周作など、自虐ネタを交えて綴られるエッセイの文体が好きだったこともあります。ただ、この本を笑える文体で書いた一番の理由は、デイケアのみんながいつも笑っていたからなんですよね。いっつも誰かがふざけていたし、スタッフもみんなネタを言っていて、みんなで大笑いしていたんです。

 でも、笑いが飛び交っているのはどんな職場でも同じじゃないでしょうか。世の中には深刻な問題がいっぱいあるわけですけど、それでもみんなけっこう笑いながら暮らしていますよね。もちろん同時に真剣に仕事をしたり、難しい問題と向き合っていたりもしている。もっと言えば、深刻なことに取り組んでいるときほど、人は笑います。ハリウッド映画の絶体絶命のシーンでも、謎のつまらないジョークで突然笑いだしたりしますよね。あれと同じです。不安になるとひとりぼっちになっている気がするんだけど、笑いが人と人とをもう一度結びつけてくれるんですね。そういうありふれた風景を書きたかったので、笑っている文体を選んだということです。

——登場人物もみんないきいきと描かれていますよね。沖縄という土地柄もあって、その風景や方言のイントネーションがリアルに想像されます。

 スタッフにはモデルがいるのですが、実際に会うと物語の中の名前で呼びそうになります(笑)。そのくらい、自分の中でリアルな存在になっています。

 一方で、メンバーさんは守秘義務を守るために完全な創作。でも、創作だからこそリアリティを持って描くことができたと思っています。

——どういうことでしょう?

 現在の心理学では臨床を描く時に、Aさん、Bさんという記号的な名前にします。それは患者さんの匿名性を守るためであり、同時にそこから理論を生み出すための仕掛けでもあります。人物をモデル化していくわけです。それはそれで高度な議論を行い、学問的発展を可能にし、再び臨床に還元していくために必要な方法です。

 だけど、名前が記号になると、「同じ世界を生きている」感じがそぎ落とされてしまうように思うんです。今回の本では、読者がそれぞれに生きているのと同じ世界で起きていることとして、デイケアやケアについて書きたいと思っていました。

 そこで、僕が実際に体験したり、デイケアの現場を取材したりして集めた「あるあるネタ」をつなぎ合わせ、登場人物を「ステレオタイプ」として作り上げることにしました。たとえば、デイケアにただ「いる」ことができず、スタッフの手伝いなどの「する」ことを探し回って憔悴してしまったジュンコさん。ナプキンを折り畳んでは広げる作業に没頭していたかと思うと、個性的な言動でみんなを大笑いさせるユウジロウさん。ほかにもいろいろなキャラクターが出てきますが、それは心理士をはじめ、ケアの仕事をしている人だったら、出会ったことがあるような人物たちです。そしてなにより、彼らを通じて描いた心の動きは、一般の読者でも「他人なのに自分のことのようだ」「こんな人いるよね」と感じられると思います。ステレオタイプだからこそ、思い切ってディテールを描くことができて、それを積み上げていくことで「みんなのこと」を描けるように思いました。

 面白いのは、そうやって創作にすることで、登場人物が勝手に動き出して、事件を起こしていくことです。そんな風に物語に引っ張られ、「書かされた」部分もあります。

 本の最終章では、社会的な問題へと踏み込んでいます。「ふしぎの国のデイケア」が、実はみんなの社会の話だったと繋げるための部分で、この社会に「ただ、いる、だけ」ではなぜ居心地が悪くて、効率や生産性を求めてしまうのかという話を書いています。執筆時には神奈川県相模原市の福祉施設「津久井やまゆり園」での殺傷事件など、多くの人の「いる」が脅かされる事件のことが頭にありました。だから絶対にこのことは書かないといけないと思っていたものの、ずっと書き方がわからなかったんです。

 でも、書きながら物語に引っ張られていくことで、いつの間にか自分なりの答えにたどり着いていました。答えがわかっていて書き始めるのではなく、書きながら答えを見出すこと。それは、学術書のように答えありきのものでは起こりえなかった、物語だからこそできたことです。正直、これは奇跡でしたね……おかげで書き終わったときには「最高傑作だ!」と叫んでいましたから(笑)。

まず体験があって、そこから理論を考えるのが僕の原点

——様々な学派の心理士に読まれながら一般の人にも間口が開かれていて、その内容はエッセイと学術書を越境しながら展開する。『居るのはつらいよ』は様々なカテゴリーを横断する、特殊な本だと改めて感じます。

 カウンセリングがどのように行われるのかを語った本はこれまでもありましたが、デイケアという空間で、臨床心理士がどんな風に過ごしているかはあまり語られてきませんでした。こうしたことは理論書にも実践書にも書かれていないんです。それをデイケアのあるあるネタに落とし込んで赤裸々に書いたので、心理士の皆さんには「自分の体験したことが載っている」と思ってもらえたのではないでしょうか。

 一般の読者からは、ジャンル分けができない本だとよく言われます。どうしてそういう書き方になるかというと、僕の原点が自分の体験したことから理論を考えたり、知的な考察をしたりすることにあるからだと思います。この本に書いたように、博士課程を卒業した後に大学に就職せず、臨床心理士の現場に出たいと思ったのもそのため。そして、その面白さをそのまま伝えるのがこの文体なのだと思います。

——体験と、理論的に考えたことが密接に繋がっているんですね。

 最近、國分功一郎さんと互盛央さんの『いつもそばには本があった。』という本を読んでいたら、國分さんが「本の中に一つの物語を作り出すこと」が重要だと書かれていました。『居るのはつらいよ』でも國分さんの本を引用していますが、彼の本には登場人物こそいないけれど、概念が謎を解き明かしていくような物語性がありますよね。そうして謎に引っ張られてぐいぐい読んでいくうちに、新しい地平が開けるような体験が僕は好きなんです。これこそ読書の最大の喜びだと思います。

 この本ではそれができたように自分では感じています。これは物語でありながら、心理学という学問を使った謎解きでもあるんです。読んでくださる方にも、そのことを体験してもらえるのではないかと思います。しかも見ているだけではなく、自分も一緒に参加して考えるような謎解きミステリーです。

 そしてそのきっかけは、「『ただ、いる、だけ』って難しいな」とか「誰かの心をケアするってなんだろう」という、日常的にふと感じたことの中にあります。それは至るところで日々生じていることだと思います。ですからみなさん、一緒に「居る」ことの謎を解き明かしにいきましょう。