「文化的価値」収蔵・活用さらに拡充
マンガにとって、平成とはどのような時代だったのか。
流行した作品や作家、新たに定着したジャンル、国内外の市場の動向など、さまざまな切り口があるが、ここでは一つのテーマと素材から考えてみたい。そのテーマとは「文化としてのマンガ」であり、その素材とは「マンガの文化施設」である。
日本には現在、約70のマンガ・アニメに関する文化施設が存在する。そのうち昭和に開館したのは、さいたま市立漫画会館(1966年、以下カッコ内は開館年)、長谷川町子美術館(85年)、川崎市市民ミュージアム(88年)だけであり、大半の施設は平成になって設立された。兵庫県宝塚市立手塚治虫記念館(94年、2019年リニューアル)や、高知県香美(かみ)市立やなせたかし記念館(1996年)など、作家名を冠したものも多く、関係者の貴重な資料をもとに、それぞれの功績を顕彰している。
これに対して近年目立つのが、マンガそのものを総合的・専門的に扱う施設の増加である。京都国際マンガミュージアム(2006年)、北九州市漫画ミュージアム(12年)、新潟市マンガ・アニメ情報館(13年)、熊本県の合志(こうし)マンガミュージアム(17年)など、その動向は全国的に広がっている。
こうした総合的な施設の中でも注目したいのが、その先駆的存在である秋田県横手市増田まんが美術館(1995年)だ。最大の特徴は、マンガ原画の収蔵と活用にある。館内では多数のマンガ家の原画が常設展示されているほか、数々の企画展や講演会などが開催されてきた。原画を重視してきたのは、もともと「釣りキチ三平」の作者であり、地元出身のマンガ家・矢口高雄の呼びかけで、子どもたちへの美術教育のために、原画を間近で鑑賞できる機会を提供することが目的だったという。
この美術館は、改元当日に重なる5月1日にリニューアルオープンを迎える。従来の機能を拡充するほか、70万枚のマンガ原画が収蔵可能なスペースや原画の研究設備を新設するなど、世界的な「マンガ原画の聖地」となることを目指している。また、館が立地する横手市の増田は、土蔵を雪害から守るため覆い屋で囲った「内蔵(うちぐら)」のある町として知られている。マンガ文化の発展と地方創生を両立すべく、新設の原画収蔵スペースは「マンガの蔵展示室」と名付けられた。
このリニューアルは、世間のマンガ博物館ブームに乗ったものではない。およそ四半世紀にわたって、マンガ原画の文化的価値を引き上げてきた当事者だからこその成果である。その核となるのが、多くのマンガ家からの厚い信頼に基づくマンガ原画の寄贈・寄託事業だ。矢口高雄や高橋よしひろ、きくち正太(しょうた)、倉田よしみら、地元・秋田県出身の作家に加え、小島剛夕(ごうせき)や土山しげるといったマンガ史に残る作家から、能條(のうじょう)純一や東村アキコのような現役で活躍中の作家まで、すでに20万枚以上を収蔵している。
昭和の時代に大衆娯楽の顔に成長した日本のマンガは、平成の時代を通じて国際的な知名度を高めた。「マンガ大国・日本」の将来にとって、発行部数や販売金額などの経済的指標とは別に、こうした施設の充実度を含む、マンガの文化的指標が重要な意味を持つはずだ。「文化としてのマンガ」は令和の新時代にどのような展開を迎えるのか、大いに期待したい。
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横手市増田まんが美術館は秋田県横手市増田町増田新町285、電話0182・45・5569。リニューアルを記念して、5月1~5日には様々なイベントがある。=朝日新聞2019年4月23日掲載