――日本SF大賞を受賞したデビュー作「皆勤の徒」から、約6年。「宿借りの星」は初めての長編です。構想はいつからあったのでしょうか。
「皆勤の徒」が造語だらけのポストヒューマン(人類以後)小説で、「人類には早い系」とか「ゼロ・リーダビリティー」などと呼ばれ、挫折者がすごく多かったんですけど、著者としても編集部としても制作に挫折しそうになる苦労の多い本だったんです。なので、ぜひ今度は人間のSF長編を書いてください、と依頼されまして。私としても、『皆勤の徒』の造語だらけの文体で長編を書くのはどう考えても無茶だし、完成に何年もかかってしまうと思って、すなおに現代の地球を舞台にした人間の群像劇を書き始めたんですよ。ごく普通のこの世界に異世界の生態系が現れはじめ、その範囲がどんどん広がっていくという話だったんですが、原稿用紙で50枚ぐらいまで書いたあたりで、すごくよく似た小説が刊行されて、これはあかん……と思って中断し、いちから考え直していたところ、担当編集者から東京創元社のラインナップ説明会に出るようにと電話があったんです。ボツにしたからまだ1行も書いてないのに、今年刊行される本みたいに紹介しろって(笑)。発破をかける意図もあったと思うんですが、説明会まであまり時間がなくて慌ててスケッチを描いてるうちに、ボツにした元の話を逆転させたらどうか、つまり異生物側の視点の小説を描けばいいのでは、それならいっそ人間が絶滅している方がいい、という発想が浮かんだんです。
浮かんだのはいいんですが、いやちょっと待てよ、これどう考えても『皆勤の徒』より遥かに大変になるんでは……と躊躇して。『皆勤の徒』は異形な存在が出てくるといっても、ほとんどがポストヒューマンだから、どこか人間の片鱗はあって、内面を描くにもとっかかりがあるわけです。それが、生態も違えば考え方も違う、描くのに人間が使うような比喩、例えば「U字型をしたもの~」とか「眉をひそめる~」とか、をなにひとつ使えないような存在ばかりなのに長編で描く……? でも、気がついたら説明会でフリップ芸みたいにスケッチを見せながら話していたわけです。次回作は「次郎長三国志+ムーミン」みたいな長編になります、って。それが2015年の春のことでした。
――著者自身の手による挿絵が付くのも酉島作品の特徴ですが、酉島さんの場合は絵が先にあるんですか?
ものによりますね。最初に文章や造語の形で浮かんで後でビジュアルを描くこともあれば、絵を描くことで物語が生まれることもあります。その両方を往還することで固まっていくことが多いかもしれません。たぶん最初にあるのは、ビジュアルと言葉が未分化に固まった化石みたいなものなんだと思います。最初は輪郭もよくわからない塊なんですが、コンコンコンと掘ってるうちにすこしずつ形が浮き彫りになってくるような。やっと形が見えてきても、ハルキゲニアの復元図みたいに、最初は前後や上下が逆だったりして自分でもどうなるのかがよくわからない。それをくるくる回しながら探っていくうちに正体が見えてくる、という感じですね。言葉のスコップと絵のスコップの両方が必要で、どちらかひとつではうまく掘り返せないんです。
――物語の骨子はどのように?
ジョージ・アレック・エフィンジャーのアラブ世界のサイバーパンク小説『重力が衰えるとき』の雰囲気がすごく好きで、なかばオマージュで『皆勤の徒』の「泥海の浮き城」という昆虫ハードボイルドものを書いたのですが、『宿借りの星』ではその方向性をさらに発展させた上で、短編や中編では充分に描ききれない日常の要素を大切に書きたいと考えていました。たとえばマガンダラが延々と架空の食べ物を食べ歩く場面や、マナーゾとふたりで星座の名前をつけていく場面のような。「次郎長三国志」は説明会のときの適当な思いつきだった気がしますが、長編なのでロードノベルにするのは良いかもしれないと。でも、まさか自分でもここまで「次郎長三国志」になるとは思ってなかったです(笑)。それを骨子に、以前から好きだったエルモア・レナードやドナルド・E・ウェストレイクあたりの犯罪小説、「カジノ」や「インファナル・アフェア」といった映画などを手がかりに霧を掻き分けて進むうち、蘇倶たちの倶土が見えてきたという感じでした。あと、マガンダラとマナーゾのキャラクターは、大好きだった時代劇ドラマ「素浪人 花山大吉」の花山大吉と焼津の半次の関係が下地になっていると思います。
――もともと甲殻類や昆虫といった生物がお好きなんですか?
子どもの頃から生き物全般が好きでいろいろ飼育してました。ドリトル先生なんかも夢中で読んでましたね。久しくその感覚を忘れていたのですが、デビュー後に小説のための調べ物をするごとに生物に対する興味が蘇ってきて。生き物系のドキュメンタリー番組などをよく見るのですが、それらは色んな生物の知られざる生態を教えてくれるけども、その生物がどういう主観で生きているのかはまったくわからない。たとえば鰓呼吸って、魚的にはどんな感じやの?っていつも思うわけですよ。いろんな生物に同化して自分のこととして感じてみたいのに、映像を眺めているだけでは、その外の人間視点の枠を越えられない。でも小説なら、その主観に肉迫して感覚を伝えることができるかもしれない。ただし昆虫や動物が登場人物の作品って、風刺や寓話的な擬人化になってしまいがちなので、それを避けつつ全く異質な生物と読者をどう一体化させるのか、というのが課題でした。特に今回は人類を絶滅させた生物なので、作者をも寄せ付けない感じがあり、まずわたし自身がズァングク蘇倶に寄生するようにして同化した上で、その神経の一本いっぽんを読者とつなげるように、造語や背景情報の配分、肉体感覚の描写などを細かく調整しながら書いていきました。そうして読者が蘇倶になったとき、別の視点から目にする人間とはどういう存在なのか、というのが主題のひとつです。
――『皆勤の徒』よりも、だいぶ読みやすいです。
表題作の「皆勤の徒」では、小説というよりも、極限労働のインスタレーションを作りたかったんです。つまり、文章自体が労働の檻になるみたいなものを目指していたわけで、元から読めるようなものは考えてなかった(笑)。読み物としてちょっとどうなのかという感じですが、一応、読み返すうちに霧が晴れていく面白さは盛り込んだつもりです。英語の小説を読むと、堪能ではないので最初はぼんやりしているのですが、焦点が合ったとたんにイメージを強く喚起されるのが面白くて、その感触を再現しようとしていました。そういう意味では、詩にも近いですね。2010年に始まった創元SF短編賞では、審査員が応募作を全作読んでくれるとのことだったので(第2回まで)、それなら無茶なものを書いても大丈夫じゃないかと思って(笑)。デビューするまでの長い間に、蠱毒みたいに煮詰まってきた技術のすべてを尽くして書いたんです。
「宿借りの星」では、「皆勤の徒」が好きなひとが楽しめる要素を残しつつも、物語に正面から取り組んでみようという気持ちで挑みました。でも主人公は異質な生物です。同化して物語に入り込んでもらうには、読めなければいけない。なので、大量の造語を使いながらもすらすら読める文体を目指しました。
――投稿生活はどれくらいの長さでしたか?
11年ぐらいかかったような気がします。子供の頃から小説は読むのも書くのも好きだったんですが、作家にはなれるわけがないと最初から目指しもしなかったんです。でも20代後半で絵の創作に行き詰まったときに、小説を書く面白さが急に蘇ってきて書かずにはいられなくなって。完成したものを投稿したら一次選考を通ったものだからのめり込んでしまい、しだいに後には引けなくなっていったんですね。もうだめだ、という瀬戸際でようやく創元SF短編賞に拾っていただけました。
――そのあいだのお仕事は?
最初は商業イラストの仕事をしていたのですが、だんだんデザインやプランニングにも関わるようになって、まあ、デジタル仕事のなんでも屋という感じでした。ただ、あまりに忙しくて創作活動ができない、それどころか本すら読めないような状況が続いたので、辞めてフリーになったんです。でも今度は生活がままならず、定時で終わることにつられて刷版工場に入りました。印刷の前段階の刷版を作る仕事なんですが、ほとんど一人でこなさないといけないし、ひっきりなしにトラブルが起きるしで、人生最大ぐらいの過酷さでした。同じ時期に複数の知り合いから職場のひどい待遇の話もよく聞かされて、現代の『蟹工船』を書かないといけないという気持ちが生まれたんです。でも、現実に起きているままを書いても、この無慈悲さを実感できるように表現しきれない。あるとき仕事中に、まるで得体の知れない宇宙人にわけのわからない言葉でわけのわからない仕事を強いられているような錯覚に陥ったことがあって、SFの手法なら、極限労働の表現が可能になるんじゃないかと気づいたんです。人間という種族自体が、労働のための生物につくりかえられて、生物学的に奴隷になっている、という感じで。
――まさに「皆勤の徒」の隷重類ですね。ある面では現実の人間を書こうとしているから、ポストヒューマンになった。
ええ、そのアイデアとこの職場の経験を元に書いて、創元SF短編賞に応募しました。物語の必然から結果的にそうなったんです。いまの様々な職種で要求されることは、隷重類でもなければこなせないレベルになっているのでは、と思うことがあります。
――造語はどうやって考えてるんですか?
どの造語も十案ぐらい考えたもののなかから選びます。同じ読みを持つ漢字を組み合わせたり、字面からイメージを膨らませたり。造語がしっくりこないまま小説を書いていると、文章が澱んだようなもどかしい感じになって、筆が進まなくなるんです。映画の撮影で、ブルーバックを前にそこにはいない世界の中で演技をする感じが近いかもしれない、と勝手に思ってるんですが。しっくりくる造語には何かしらの「これだ」感があるんですよね。『宿借りの星』ではその世界に息づくような造語やネーミングにしたいと思っていました。でも、書き出した頃にはうまく馴染まない造語が多くて、何度も考え直して変更していったのですが、いい造語ができた途端に話が予想外の方向に転がり出すことがよくありました。造語次第で実際に話が変わってくるんです。
――「平芳根」という根菜も出て来ます。
あれは自分でも気に入ってます(笑)。噛むとどんどん細かく割れていく。まあ、ダジャレですよね。日常生活でへたなダジャレを言われると寒気を覚えて固まったりしますが、そのまま意味を掘り下げたり他にも関連性を広げて敷衍していくと、不思議な面白みやリアリティが立ち上がってくる。造語は自分にとって、映画美術における衣装や小道具や特殊メイクといった位置付けなのかもしれません。たとえば、映画「ブレードランナー」のレプリカントがアンドロイドだったらかなり印象が違うはずなんですよ。まあ原作ではアンドロイドなんですけど、レプリカントにしたことによって、映像上の存在がこれまでのSF映画とは異なる背景やリアリティを持ちはじめる。あと、やっぱり富野由悠季さんの影響は大きくて。「機動戦士ガンダム」のホワイトベースって、敵側だと正式名称がわからないからか、木馬というあだ名を付けている。その響きには、モビルスーツの開発に遅れをとった連邦に対する、ジオン軍の見下した意識まで垣間見えるのが面白いんですよね。
――イラストはどのように描いているのですか?
製図用のシャープペンシルで、ノートに描いています。それをスキャンして、コントラストを上げたりブラシを吹いたりフィルターをかけたりとデジタル加工をしたものが、印刷用の原画になるんです。鉛筆画の方は素材という感じなんですね。スキャン後にはかなり修正しますし、最初からパーツごとを別々に描いておいて一枚に合成することもあります。いまの絵柄になるまでにはいろいろと変遷があったのですが、若い頃に、『ブロツキー&ウトキン』という、ロシアの空想建築家の画集を手に入れて、エッチングで精緻に仕上げられたその絵柄に衝撃を受けたんですね。それならエッチングをしろという話なのですが、その雰囲気を取り込みつつオリジナリティを出せないか、と試行錯誤するうちにいまの手法にいきつきました。『宿借りの星』では物語にあうよう、またタッチを変えています。
――造語に誤植は許されないですが、どうやって管理したのですか?
それこそ最後は担当編集者と互いを殺し合うような日々でした(笑)。校正さんも本当に大変だったと思います。普通、著者がチェックするのは3稿くらいまでだと思うんですけど、この小説の場合は一人でも多く見るようにしないと見逃しが出ると思って5稿まで繰り返しチェックしました。その段階でもまだ造語が増えたりして、担当さんを困らせてしまいました。
――書くときは辞書登録を?
ええ、造語ができるたびに辞書登録をして書いていましたが、普段のメールに「あの卑徒は」とか「装弾事があるんです」とか出てしまうのでまいりました。
――ルビにも独特のルールがありますよね。
総ルビにするとうるさいので、造語のなかでも読みづらいものには多めに振って、読みやすいものは少なくするとか、版面で隣り合っていたら振らないとか、担当編集者が細かなルールを作って反映してくれました。これまで私の小説を担当するごとに蓄積されて今回の形にたどり着いたそうです。
――ルールを決めても自動では入ってくれないですよね。
目と手の作業になりますね。しかも初稿から大幅に改稿しましたし、挿絵のレイアウト作業でもまたルビのつけ方が変わってくるんですよ。挿絵がなかなか文章の内容に応じたよい位置に収まってくれず、移動させるとまたルビの調整が必要になるという。最後の最後まで根を詰めた作業が続きました。
――前作も本作も、ポストヒューマンの意識や身体がテーマです。この分野にSF的な関心があるのですか?
意識的にポストヒューマンを描こうとしたわけではないんです。ほとんどがポストヒューマン系の作品なのに、どういうことなんやって話ですが、物語の必然から結果的にそうなったんです。『宿借りの星』は、端的に言えば、生き物が生きることの凄まじさと面白さを描き尽くしたかったんです。いろんな種族や、彼らの住む街を豊かに実在させて、読み終わったあとに、彼らの噂話をしたくなったり、思い出し笑いをしてしまうような作品にしたいと。たいてい大阪の淀川べりに座って書いていたのですが、足元にカニやフナムシが現れたり、蜂が青虫団子を作ったり、ノートパソコンにてんとう虫や蝶がとまったり、頭上を鳥がよぎったりするのを観察しながら、人間の知らないところに広がる豊かな社会を意識させられました。
――川べりで書くのは本作からですか?
ちょうど、『宿借りの星』に本腰を入れはじめた頃からですね。締め切りが重なって家に籠もっていたときに鬱々としてきて、せっかく川べりに住んでるのに、なんでこの環境を利用しないのかとふと思って、試しに昼すぎに出てみたら、気がついたら日が沈みかけてたんですよ。自分でも驚くほど集中できたので、それから通うようになりました。川の流れや風の吹きかた、雲の動きが常に変化しつつも、風景としては基本的に変わらないのがいいのかもしれないです。階段状になった土手に坐って、膝にノートパソコンをのせて書いています。
――何かが「犇めく」イメージの多いところが山尾悠子さんにも通じます。幻想小説への志向は?
幻想寄りの小説は好きでよく読んでいて、国内作家では山尾悠子さんや多和田葉子さんに影響を受けました。山尾悠子さんの作品では「夢の棲む街」「遠近法」「透明族に関するエスキス」「親水性について」あたりが特に好きですね。卓越した描写力で、ありえない世界や状況を五感を介して垣間見せてくれるところや、言葉の透き通った豊穣さに惹かれるんだと思います。デビュー前から、自分の書こうとしている小説のジャンル的な位置がよくつかめなかったんです。SFは好きだったものの書けるとはとても思えず、他は純文学からホラーまでいろんな賞に応募していましたが、自分の資質に一番近いのは幻想文学だろう、と漠然と感じてはいたので、日本ファンタジーノベル大賞の応募作に力を注いでいました。でも一次選考には通るものの、なかなかそれ以上には進めない。あるとき小松左京賞に出してみたら最終選考に残って、そこで初めてSFを意識して書くようになり、創元SF短編賞のデビューにつながりました。気合を入れないとSFっぽさが薄れてしまう一方で、文芸誌に書く小説では、背後にSF的な仕掛けを仕込まずにはおれなかったりと、今ではどちらも相関し合っていますね。
――文芸誌では造語を使わない小説も発表していますが、SFの造語小説との共通点は何か感じられますか?
既知の世界を舞台にした人間の小説だと、造語がない分、人の内面や社会の描き方がどんどん異形化するんですよ。『宿借りの星』では大量の造語を使って異形な世界を描いていますが、内容的には案外王道で、ポップさが増していきました。結局、異形を書かずにはいられないということなのかもしれないですね(笑)。たぶん、そうでないものなどないわけで。