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「小津安二郎 大全」書評 脱力した反復と不在感の美術性

評者: 横尾忠則 / 朝⽇新聞掲載:2019年05月11日
小津安二郎大全 著者:松浦 莞二 出版社:朝日新聞出版 ジャンル:伝記

ISBN: 9784022515995
発売⽇: 2019/03/27
サイズ: 22cm/509p

小津安二郎 大全 [編著]松浦莞二、宮本明子

 国際的な映画監督として世界の頂点に立つ小津さんは物事の判断を好き嫌いにまかせて、知識漬けで身動きがとれない理屈や文法に拘らない感覚で勝負する。それが小津映画の文法。
 一般的な家族映画はゴタゴタを描くが、小津さんが描けばゴタゴタもニヒリズム。思わずいいねと頰がゆるむ風通しの良さを感じる。それこそが、小津マジックの癒やしと救いなのである。小さな動作や色彩や物の配置に特別な絵画的意味を与えない表現に、むしろ美の力を感じる。意味のない狂言の繰り返し言葉に似た脱力した反復にもそれがある。かと思うと、ガランとした空っぽの階段、廊下、無用の置物が示す不在感は現代美術的な観念と造形性。創造の他にこの世界のどこに目的と意味などあろうかと神に代わって小津映画が語る。
 本書は五十数人の筆者による小津の人物と作品論で、語られる数だけの異口同音がその魅力に触れるが、気になることがひとつある。小津映画の要でもある原節子について、共演者の女優さんたちのエピソード以外に、もう少し突っ込んだ小津映画の原節子の存在感についての評論があってもよかったかなと思う。彼女がいてもいなくても小津映画は変わらず名作に違いないかも知れないが(どうかな?)、これだけの識者の誰もが彼女の存在に触れなかったことが少々気になったので、つい思わず。
 本書の最後に登場する監督のアミール・ナデリの観察が興味深かった。小津が若い映像作家に危険を及ぼさないかと危惧する。世界のどの国にも小津の痕跡が見受けられる作品が蔓延しており、小津を真似ようとする作品が多すぎる。「映画が存在する限り、小津の影響の軌跡は途絶えることはない」と。小津映画の単純さは迷路でもある故に、彼を模倣するのではなく、小津の「リズムと心象の天才」を洞察することを学ぶことで自分の映画の視点が見え始めるのでは(?)、と結ぶ。
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 まつうら・かんじ 映像作家。短編映画などを多数制作▽みやもと・あきこ 同志社女子大助教(表象文化論)。