鉄板が焼けてきたら手のひらを近づけて熱さをたしかめる。おたまでボウルの中を軽くかきまぜ、だしで溶いた小麦粉をすくい、白いしずくをしたたらせながら、なめらかに円を描いて生地をのばしていく。黒光りをする鉄板にぽっかりと浮かぶ満月。わずかに濃淡のあるお好み焼きの生地。魚粉を振り、天かすをぱらりとまいて、千切りキャベツを散らして、わずかなちゃんぽん麺、それから薄く切ったかまぼこをのせたら、ヘラで巧みに表裏をひっくりかえして、焼けたら半月の形にふたつに折る。ソースを刷毛(はけ)でささっと塗り、青のりをふりかけて、できあがり。鉄板に流れて焦げるソースの香りが食欲をそそる。
店の主人がお好み焼きを焼いてくれるのを夢中で見ていたことがあった。昭和四十年代のはじめ、小学校低学年の頃だ。大工仕事でも自転車修理でも子どもは手仕事が好きだ。手際の良さに我を忘れて見入る。生地にキャベツや肉などを混ぜこみ、客自らが焼くといった関西風のスタイルが広まってきたのはもう少し後でだったと思う。
今でも広島に行くと店のひとが、何枚もいっぺんに焼くのを見ることができる。その手際の良さについ黙りこんで見入っている自分がいる。鷲摑(わしづか)みにされた山もりキャベツ、牛豚の肉、イカなど魚介類、うどん、そばなどトッピングの種類も豊富、一枚食べたらもう満腹。夕食代わりにもなる。値段もトッピングしだいで千円を超える。
子どものころに食べたのは、下手をしたらその五十分の一の一枚二十円、卵なしなら十五円といった、今思えば驚くべき値段だった。もちろん物価がまるでちがうが、具材の種類も量も少なかったこともある。キャベツも少しなら、かまぼこも薄く、ちゃんぽん麺も少し、卵を入れたらぜいたくといった痩せたお好み焼きで肉など想像の圏外だった。当時、お好み焼きは、駄菓子屋の片隅に鉄板を置いた小店でおじいさんやおばあさんが焼いてくれ、夕食までの空腹凌(しの)ぎで、友だちとおしゃべりしながら食べるおやつだった。
最近、母から聞いたが、六十年ほど前、結婚当時の母もそんなふうに子ども相手にお好み焼きを焼いたことがあったという。嫁ぎ先の父の実家で、祖父が退職後、路地裏で小さな店をやっていて、その手伝いをさせられたらしい。器用な祖父は絶妙な技で生地を限りなく薄くのばすことができたが、子どもたちにはケチだと不評で、母の厚みのある不細工なお好み焼きが人気だったという。紙のような生地で包んだお好み焼きなんて食べた気がするはずがない。食い意地がはった子どもたちはやはり量が大事、熟練の技に我を忘れても、そう簡単には惑わされなかったのだろう。=朝日新聞2019年5月18日掲載
編集部一押し!
- ニュース 芥川賞は「最も過剰な2作」、直木賞「ダントツに高得点」 第172回選考委員の講評から 朝日新聞文化部
-
- インタビュー 村山由佳さん「PRIZE」インタビュー 直木賞を受賞しても、本屋大賞が欲しい。「果てのない承認欲求こそ小説の源」 清繭子
-
- 朝宮運河のホラーワールド渉猟 梨さん×頓花聖太郎さん(株式会社闇)「つねにすでに」インタビュー 「僕らが愛したネットホラーの集大成」 朝宮運河
- えほん新定番 井上荒野さん・田中清代さんの絵本「ひみつのカレーライス」 父の願いが込められた“噓”から生まれたお話 加治佐志津
- 新作映画、もっと楽しむ 映画「雪の花 ―ともに在りて―」主演・松坂桃李さんインタビュー 未知の病に立ち向かう町医者「志を尊敬」 根津香菜子
- 中江有里の「開け!本の扉。ときどき野球も」 人生いまがラッキーセブン♪「大地の五億年」風に言ってみる 中江有里の「開け!本の扉」 #22 中江有里
- 北方謙三さん「日向景一郎シリーズ」インタビュー 父を斬るために生きる剣士の血塗られた生きざま、鮮やかに PR by 双葉社
- イベント 「今村翔吾×山崎怜奈の言って聞かせて」公開収録に、「ツミデミック」一穂ミチさんが登場! 現代小説×歴史小説 2人の直木賞作家が見たパンデミックとは PR by 光文社
- インタビュー 寺地はるなさん「雫」インタビュー 中学の同級生4人の30年間を書いて見つけた「大人って自由」 PR by NHK出版
- トピック 【直筆サイン入り】待望のシリーズ第2巻「誰が勇者を殺したか 預言の章」好書好日メルマガ読者5名様にプレゼント PR by KADOKAWA
- 結城真一郎さん「難問の多い料理店」インタビュー ゴーストレストランで探偵業、「ひょっとしたら本当にあるかも」 PR by 集英社
- インタビュー 読みきかせで注意すべき著作権のポイントは? 絵本作家の上野与志さんインタビュー PR by 文字・活字文化推進機構