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【谷原店長のオススメ】嗤いながら不幸の種をまくヒロインに魅了される、中山七里『ふたたび嗤う淑女』

 カネと欲望にまみれた者たちを「標的」に据え、甘い言葉を操りながら奥に潜む欲望をあぶり出してゆく。そんな彼らの手足を、まるで女郎蜘蛛のように絡めとるのは、美貌の投資アドバイザー・野々宮恭子。自らの手をいっさい汚すことなく、最後は「標的」たちを奈落の底へと突き落としていく――。そんな悪女が暗躍する『ふたたび嗤う淑女』(実業之日本社)は、「ここまでヒロインがダークになれるのか!」と、むしろ痛快な気持ちにしてくれる一冊かも知れません。著者はリーガル・サスペンス「御子柴礼司シリーズ」で知られる作家・中山七里さん。「どんでん返しの帝王」の異名を持ちます。

 この本は『嗤う淑女』(2015年、同社)の続編です。前作も、巧みな話術で「標的」たちの人生を次々と狂わせていく女・蒲生美智留が主人公でした。その凶悪さ、悪辣さにすっかり痺れた僕ですが、今年1月刊行の今作では、犯行のやり口が、更に洗練された印象を受けるのです。ダークヒロイン・恭子は、日のあたらない場所から、「標的」の彼らを、ちょっとした一言で、最小限の労力で巧みに動かし、やがて破滅へと導いていくのです。まるでマリオネットを自由自在に操るかのように。

 今回の「標的」となるのは、いずれも若き国会議員・柳井耕一郎にまつわる者たち。資金団体の事務局長の女、選挙を実質的に支える宗教団体の副館長の男、そして後援会会長の男。公設秘書の女です。まるで、相手一人ひとりに応じた最良の陥れ方を知り尽くしたかのように、恭子は「標的」たちを唆していきます。

 プライドの高い「標的」ほど、辛酸をなめる羽目になる。失うのはカネだけではなく、自信、矜持も一気に奪われるのです。最後に彼らは、蟻地獄のアリのように、地獄に引きずり込まれます。野々宮恭子のその汚れきった横顔に見入ってしまいます。

 さらに、そら恐ろしく感じるのは、恭子がにここまでの悪事を働く動機が、ひとかけらも見えてこないこと。読者からすれば「きっと、何かきっかけがあったはず」と想像しながら、悪辣な事件の経緯、そしておいつめられた標的の内面を追い続けることになるのです。この感覚、ちょっと横から「この人、凄いなあ」と興味本位で覗いてしまう感じに似ているかも知れない。僕もすでに蟻地獄に引きずり込まれているのでしょう。

 終盤で、事件を追う刑事は、とある重大な事象に気づき、そして、激しい既視感に襲われ、震えを覚えます。永らく刑事畑を歩み続けて来た彼が、自らの肝胆を寒くさせた、ある過去の犯罪をまざまざと思い出す。そしていま、一つひとつの事件が、それぞれ単体で起こっているのではないことを悟ります。自らが手を汚すことなく、言葉巧みに犯罪を誘発する。そのために教唆とも認定できず、結局は本人意思による犯罪として成立してしまう――。嗤いながら不幸の種をまくヒロイン、それが恭子です。

 物語の世界では、主人公を立たせるために、それと対峙する悪役の存在はとても大事です。しかも今作のように、魅力的な悪役が主人公になる作品はなおさらです。中山さんの「御子柴シリーズ」にもちょっと似た側面がありますね。敏腕弁護士の御子柴は、たとえ被告がどんなに不利であったとしても何度も裁判をひっくり返してきました。目的の達成のために彼は手段を選びません。ただ、そんな彼が心に背負った十字架を読者は共有しながら読み進める。だから、僕を含め多くの読者は、御子柴にどこかシンパシーを感じることができるんです。ところがこの本の恭子からは、彼女がこうなった原因がまだ見えてこない。

 恭子は、はたしてサイコパスなのか――。僕が思うに、いわば恭子は、アリを蟻地獄のなかにポッと落とし、もがき苦しむさまを見て喜んでいるような女です。その時彼女は喜んでいるのか、それとも何も感じていないのか…そこが見えてこない。何かがあって人を貶めるようになったのか、もしくは生まれつきなのか……その背景、経緯とは。たぶんそこが中山さんが、これから仕掛ける落としどころ。このシリーズの大きな「どんでん返し」だと思うんです。

 やがて物語は、彼ら「標的」の中心にいる国会議員・柳井へと集約していきます。「淑女のやり口」をまざまざと見せつけられ続けた読者は、「今度こそは騙されないぞ」と思うはず。でも、騙される。そして最後には、なにやら伏線となる描写もあります。きっとここから次に繋がるはず。最後の最後まで、気を抜かずに読んでみて下さい。

 この本を読んだあなたは、前作『嗤う淑女』を読まずにいられなくなるはず。『御子柴シリーズ』もぜひ。罪を犯した人間が、改心し、汚いやり口を交えながらも、クライアントのために頑張る弁護士。じつは僕もいつか演じてみたいなと、秘かに思っているのです。(構成・加賀直樹)