
山極寿一(山) 小川さんが河合隼雄物語賞の選考委員で、私が学芸賞の選考委員。別々に審査をしますから、会って話をする機会はないんです。発表のときにやっと顔を合わせて、色々と会話をするようになったんですね。それが、とても面白かった。イベントで対談をしてみようかという話になりました。
小川洋子(小) 最初は公開対談だったのですが、どうしても時間に区切りがありますし、あらかじめ考えていた話の流れを追いながらということになりますから、私のほうに欲求不満がたまって(笑)。もっとざっくばらんに脱線しながらやりたいなという気持ちがあって、2回目3回目と。こちらからお願いしたようなかたちです。
山極さん「ゴリラと会話 心を探る」
山 小川さんは言葉のプロだけど、僕がゴリラと会話をするときには言葉を使うわけにはいかない。向こうの立場に立って、どうやって相手の心を探り当てたらいいのか、ということを考えるわけです。そのときに、普段見えていなかったものが見えてくる。それが、人間が言葉ではすくい取れなかったものだという気がします。
小 文学も、言葉にできないことを言葉にしようとしている。ゴリラとコミュニケーションをとることと、実はそんなに違わないと思うんですよね。
山 我々フィールドワーカーが常に考えなくちゃいけないことは、相手に任せるということです。相手に任せて行動していると、思わぬ発見がある。それがすごく、僕は大切なことだと思いますね。時間の共有なんです。時間と場所の共有。
小 共有しないことにははじまらないですね。
山 今西錦司さん(日本の霊長類学の創始者)の教えなんですが、現代の科学は時間を空間化しちゃっていると。本来ならば、時間と空間を一緒に感じられるのが生命なんだと。我々はサルと同じように視覚でものを見ていますよね。だから空間的に物事を捉えることには慣れている。でも、空間は時間によっても動かされるわけです。その動きを捉えるためには、時間を相手に預けなくちゃいけない。
小川さん「小説と読者 本物のつながり」
小 メールを送って、お互い了解し合ったように見えても、それだと時間は共有していない。現代人は、時間を共有することの手間をはぶこうとしているんですよね。
山 言葉によって作られてしまった人間は、実際には時間と空間が合わさって作られた世界を実感することができなくて、バーチャルなところに常に置かれるようになってしまったんじゃないかという気がするんです。本当に大切なことは、つながりなんですよ。それを人間は言葉で代替した。そして、つながりを意味に変えた。
小 一方で、優れた小説と読者のあいだで結ばれるつながりは、ものすごく個人的な一対一の関係で、バーチャルだけれど本物です。そういう特殊な体験ができるのは、読書だけなんです。本当にいい小説を読んだとき、これは私のために書いてくれたんだと思えることがあって、そういう特別な喜びは、ちょっとなかなか代わる体験がない。人間が言葉を獲得した本当の理由は、そこにあったんじゃないかなと思いたいです。(構成・山崎聡、写真・槌谷綾二)=朝日新聞2019年7月3日掲載
