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極限状態が生み出す、くだらなくて崇高な物語 鬼才・平山夢明さんの短編集「あむんぜん」

文・朝宮運河 写真:有村蓮

とにかくくだらない小説が書きたかった

――『あむんぜん』は集英社のWEB雑誌「レンザブロー」に掲載された6編をまとめた短編集ですね。執筆に際して、何かコンセプトや狙いはありましたか。

 狙いとしては、余所じゃ絶対読めない、変わったものをやりたいということだよね。最近、小説の概念が狭くなっていて、「読めば感動できる」とか「有益なことが得られる」とかさ、本屋に並んでいるのはそんな本ばっかりじゃない。
 だったらおれは小説の限界に挑むようなものを書きたい、と思ったわけ。で、自分のスキルでできる挑戦は何かと考えたら、結局「くだらなさ」に行きついた(笑)。誰も読んだことがないほどくだらない小説を書けば、新しさに到達できるんじゃないかと思ったんだよね。

――集英社からはすでに『他人事(ひとごと)』『暗くて静かでロックな娘(チャンネー)』という短編集を出されていますが、前2作との関連性は?

 『他人事』は当時それほど顕在化していなかった、人間の残酷さみたいなものを表現した作品集。だから基本的にはホラーだよね。『娘』はもっと人間喜劇に寄せたもので、文藝春秋で書いている「イエロートラッシュもの」の2冊(『デブを捨てに』『ヤギより上、猿より下』)にも通じる世界。人間喜劇といっても必ず悲劇とセットになった笑いなんだけど。
 それで今回は、とにかくくだらないものが書きたかった。どうせなら本自体も便所紙に印刷しようとか、出版界初の「モンドセレクション」を狙おうとか、担当者と盛りあがったんだけど(笑)、諸事情があってちゃんとした本の形で出版することになりましたね。

――ペーパーバック風の装丁が、作品の雰囲気によく合っています。

 そうそう。装丁家の川名潤さんには「予算はかけられないけど、好き勝手やってください」とお願いしたんですよ。そしたらこんな立派な本に仕上げてくれて、ありがたいね。

普通の日本人っぽい名前をつけるのは苦手

――巻頭作の「GangBang The Chimpanzee」は、動物園を訪ねた男性が凶悪なチンパンジーに強姦される、という悲惨な物語。主人公に執着するチンパンジーが、とにかく恐ろしいですね。

 チンパンジーって、とてつもない怪力なんだよ。本気出したらプロレスラーの腕でも引っこ抜いちゃう。しかも人間と一緒で、意味のないいじめや残虐行為をするんだって。無意味なことを楽しむには、ある程度の知能が必要。つまり『あむんぜん』だって、知性のなせる業なんだよ(笑)。子供の頃、おれのおふくろが空港の検疫所でバイトしていたことがあって、猿系全般には妙に愛着があるんだよね。

――主人公の名前は神羽狆一(じんばちんいち)で、妻がマホエ、息子はトケル。この短編に限らず、登場人物名がかなり大胆ですよね。

 普通の日本人っぽい名前がどうも苦手なんだよね。書いていると「馬っ鹿みたいだな」と思えて、筆が止まっちゃうんだよ。時代小説だとまだ大丈夫なんだけど、現代ものだと全然ダメだね。みんなどうして平気なんだろう。
 普通じゃない名前を付けるのは、村上龍先生の影響も多少あるかもしれない。村上先生の作品には、アネモネとか日本人離れした名前がよく出てくるから。そういえば初期の村上先生は、人間喜劇の名手だよね。『テニスボーイの憂鬱』とか『走れ!タカハシ』とか。この本のくだらなさも、いわば村上先生へのリスペクトですよ。

――表題作は男子中学生・あむんぜんの脳が、割りばしを押し当てられることで奇現象を引き起こすというSF系の作品。生理的な嫌悪感とともに、切なさやノスタルジーも漂う珠玉作です。

 おれの通っていた中学校は、全国でも数少ない丸刈り強制校だったんだけど、一人だけ髪を伸ばしている男の子がいたんだよ。理由を聞いたら、小さい頃車に轢かれて、頭蓋骨がないんだっていうんだよね。その傷跡を隠すために、髪を長く伸ばしていたの。「お前、すげえな」って盛りあがってさ。結局途中で転校していなくなったけど、その子のことが妙に印象に残っていてね、当時を思い出しながら書いたの。

良い小説を読めば悩みの99パーセントは解決

――3話目の「千々石ミゲルと殺し屋バイブ」では、多額の借金を抱えた女性が、ウンゲロと呼ばれる凄まじいペナルティを課せられます。短編を執筆される際は、こうした異常なシチュエーションをまず考えるのですか?

 いや。まずは頭の中に方程式を思い浮かべるのね。その右辺にいちばん描きたい感情、たとえば今回でいう「くだならさ」みたいなものを置いてみて、それから左辺にどんな要素を置いたら釣り合うのかを考える。おれの場合、右辺が先なんだよ。
 左辺には当然、チンパンジーとかあむんぜん君とか、自分が好きなものが入るよね。左右が釣り合うまですごく悩むんだけど、びしっと芯が通った時は気持ちいい。この等式をあらかじめ作っておかないと、小説の強度が足りなくなるんだよ。

――「あむんぜん」や「千々石ミゲルと殺し屋バイブ」といったインパクトのある題名は、どのように決めているのですか。

 映画の題名のようなイメージかな。作品内容をすべて象徴するような、ぴたっとはまる言葉を毎回探しているよね。「千々石ミゲルと殺し屋バイブ」に関しては、内容とまったく関係ないだろうと叱られたけど、そういうこともあるんですよ(笑)。

――続く「あんにゅい野郎のおぬるい壁」は、平山さんお得意のアウトロー小説。ある液体から違法薬物を抽出することになった男の決死の逃走劇です。

 こんなひどいこと、よく思いつくよねえ。真藤順丈が毎回読んでくれていて、「こんなでたらめな小説が許されていいんですか!」って叫んでいたけどね(笑)。あいつも遠慮しないでどんどん書いたらいいんだよ。直木賞を獲ったんだから、いくらでも自由に書けるだろ?

――平山さん以外、なかなか書けるものではないのでは……。

 そうかい。おれは常々、マンガやゲームと同じくらいの感覚で、気楽に小説を読んでもらいたいと思っているんだよね。小説を読むという行為が、一輪車に乗るとか、英語を使いこなすと同じくらいの特技として、世間で受け止められているのは、すごくもったいないと思うわけ。それは物書きにとっても、読者にとっても不幸な状況だよね。
 だって良い小説を読み、良い映画を観ておけば、人生の悩みの99パーセントは解決するんだよ。人間の大抵の悩みなんて、すでに誰かが小説にしているんだから。そこに人びとを誘導できるようなジャンルを作りたい、という気持ちはあるんだよね。たとえばチャールズ・ブコウスキーやジム・トンプスンみたいに、ラフだけど凄味のある小説が、日本にもっとあってもいいじゃない。

――5編目の「報恩捜査官夕鶴」は、昔話の「鶴の恩返し」と警察小説をミックスし、さらに広島弁と下ネタを盛りつけた抱腹絶倒の怪作です。

 そう聞いてもわけが分からないな(笑)。人間が許容できるぎりぎりのくだらなさ。いや、もはや半分くらいはみ出してるね。最近クラス会があって、「最近どんなもんを書いてるんだ」って聞かれたから「夕鶴」の話をしたんだよ。「平山、お前大丈夫か?」と本気で心配されたけどね。

――そして巻末作「ヲタポリス」には、アイドルグループ・ヤブサカ69に熱中する男性オタクの生活が、赤裸々に描かれています。平山さんがオタクの世界を題材にするのは珍しいですね。

 正直そんなに詳しくはないんだけど、くだらなさを描いていくうえで、ドルオタ(アイドルオタク)のエネルギーは無視できないと思ったわけ。調べてみたら、これがまた非常に小説的な舞台なんだよ。特殊な専門用語だらけで、知らない人には彼らが何を言っているのかまったく分からない。『仁義なき戦い』の世界とよく似ているわけ(笑)。自分一人じゃ心許なかったんで、最後は作家の柴田勝家先生にチェックしてもらいました。

小説はお守りやお札のように売るべきもの

――以上全6編。確かにくだらないとしか呼びようのない作品ですが、そこには不思議な解放感や高揚感、救いもあるようにも感じます。

 だったら嬉しいけどね。読んだ後で、何かが残らないと失敗だから。小説って、本来はお守りやお札みたいな売り方をするべきものだと思うんだ。長いスパンで100年、200年かけて売っていくもの。それが最近は一時期に売って荒稼ぎしようという、興行師風のやり方に変わってきている。小説も傾向と対策に沿ったものばかりでさ。それはどうなんだという思いはあるよ。今回は集英社みたいな大きな版元が、ぎりぎりのラインに挑戦させてくれて、ありがたかったよね。

――ホラー小説好きとしては、平山さんが2006年に出された短編集『独白するユニバーサル横メルカトル』の衝撃がいまだに忘れられません。十数年前をふり返って、執筆スタンスに変化はありますか。

 『ユニバーサル』の頃までは、みんな多少バブル時代を引きずっていたじゃない。そんな浮ついた風潮に対する怒りが、執筆の原動力になっていた。ところが2011年に3・11が起きて、日本人は浮つくどころじゃなくなったよね。こりゃ大変だと思って、あらためて人間喜劇みたいなものに目が向いたんだよね。山田洋次監督の初期作品のような、貧乏でどうしようもないけどみんな妙に元気、というあの空気感を復興したくなったんだよ。去年、真藤順丈の『宝島』が直木賞を獲って、あれだけ世間に受け入れられたのも、型にはまらないエネルギーに対する、憧憬があるからじゃないのか。

――ホラーは時代を映す鏡。『あむんぜん』も現代社会が生み落とした小説なんですね。ところで平山さんにとって、今一番怖いものは何ですか。

 道ばたで倒れているのに誰にも気づかれずミイラ化するとか、いきなり落盤に巻き込まれて死ぬとか、その手のアプリオリな恐怖は別にすると(笑)、日に日に政治の状況が悪くなっているのは怖いよね。有権者から権力を付託された人たちが、国をおかしな方向に持っていこうとしているわけじゃない。そういう危険な状況に対して、みんな本気で怒らなくなっているのもまた不気味だよね。普通なら暴動が起きてもおかしくない状況じゃない。

――確かにそう感じます。怪談もたくさんお書きになっていますが、幽霊への恐怖は?

 え、幽霊が怖いって人がいるのかい? 幽霊なんて『アラジン』のジーニーと同じじゃん。現代の科学知識を超越しているわけだから、会ったら願いを叶えてもらえるんじゃないの。それよりは生きた人間に狙われるほうがずっと怖いよ。昔、地元におれを殺すと宣言しているやつがいたけど、あれはいやなもんだね。そんな経験、誰にでもあるだろ?

――ありませんよ(笑)。現在は待望の長編『ダイナーⅡ』を連載中。こちらの完結も楽しみですね。今後も平山さんにしか書けない、刺激的な小説を期待しています。

 長編はキャラクターがしっかり出来上がっていないと、いくら話が面白くても飽きがきちゃうよね。事件を次々起こせばいいってものでもないし、どれだけその主人公に問いを投げ続けられるかがキモ。うまくいけば“深度”を出せるけど、その分難しいよ。
 短編は辻斬りみたいなもので、読者が呆気にとられているうちに逃げられる。書いていて楽しいのは短編だね。『あむんぜん』は究極のくだらなさを目指した本。読んでひでえなと呆れてくれたら嬉しいし、世の中にはいろんな小説があるんだな、と勉強するきっかけになると思うよ(笑)。