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円居挽さんが楽しく観た記憶を封印した映画「アルマゲドン」 あの酷評はなんだったのか

 中学三年の頃、一ヶ月に一回か二回ぐらいのペースで映画館に足を運んで新作映画を観ていた時期があった。「アルマゲドン」もそうやって観た映画の内の一本だった。

 地球の危機に変な素人集団が立ち向かう面白さ、お約束のアクシデントにつぐアクシデント、そして悲痛な選択と感動のラスト……脚本術の基本すら理解していなかった当時の私だったが、それでも普通に楽しんで観ていた気がする。

 しかし後日、何かの雑誌で「アルマゲドン」が具体的に酷評されているのを読んで、衝撃を受けた。曰く「宇宙描写がおかしい」「宇宙パートの絵作りが雑」「そもそもプロの採掘屋を宇宙に送るんじゃなくて、宇宙飛行士に採掘スキルを仕込んだ方がいい」「流石に主題歌だけはいい」……感動に水をかけられたというのもそうだが、「自分は駄作を観て喜んでいたのか」という落胆から、「アルマゲドン」を面白がっていた記憶ごと封印してしまった。

 今回このエッセイを書くにあたって封印を解き、「アルマゲドン」のことを調べてみたのだが……関わっている人間が超豪華。監督がマイケル・ベイで脚本担当の一人はJ・J・エイブラムス、あのA・J役はベン・アフレックだ。流石に主演のブルース・ウィリスや娘役のリブ・タイラー、あと主題歌がエアロスミスだったということぐらいは憶えていたが、ここまでそうそうたるメンツとは思っていなかった。別に有名な人間が関わっているから面白くなるというわけではないが、「あれを楽しんでいた中学三年のオレは別に間違っていなかったのでは?」という気持ちには少なからずなった(「アルマゲドン」ショックから随分後に、これまたマイケル・ベイの監督作品と知らずに「ザ・ロック」を観て凄く好きになったので、元からマイケル・ベイ的なセンスが好きなのかもしれないが)。

 そもそも「アルマゲドン」のことを思い出したきっかけは「アベンジャーズ/エンドゲーム」を観ていた最中に「この視聴体験、前にもどこかで……」となったからだ(具体的に連想した理由を挙げるとネタバレになるので避けるが、両作品を知っていると何となく私の言いたいことは伝わるのではなかろうか)。確かに「アルマゲドン」には拙いポイントは沢山あるが、映画そのものの設計思想がそう間違っていたとは思えないのだ。ただ、没入させるための作り込みが足りてなかったというか、話に入り込めないから粗が気になるというか……。

 調べて驚いたのだが、ベイ監督は「アルマゲドン」をたったの16週間で撮影せざるをえなかったそうだ。しかしそれなら納得はできる。やりたいことは明快だったのに、そこから逆算してちゃんと詰めていくべき部分を詰めず、見切り発車で撮影を開始してしまったということだろう。それでも低めの当たり損ないをスタンドインさせたベイの豪腕は見事という他ない。

 「アルマゲドン」の公開から二十年以上が経ったが、マイケル・ベイは映画界で確固たる地位を築き、我が道を進んでいる(映画の「トランスフォーマー」があんなに長く続くとは思わなかった)。創作を糧にする以上は他人の評価から完全に自由でいることは不可能だが、それでも野次に耳を貸さず自分の信じる面白さを追求できる強さがないと大成しない……そんな当たり前のことをマイケル・ベイは教えてくれた気がする。

 そして「アルマゲドン」が一瞬だけ好きだった私はと言えば、編集さんから指摘が入れば反射的にすぐに修正するような作家になってしまった。なんというか、昔「アルマゲドン」を手ひどく振ったしっぺ返しを今になって受けているような気分だ。よくできた映画のような伏線回収だが、まさか自分の人生でこうなるなんて……。