「魚がこわい」自分に正面から向き合う
「魚を自分でおろすことができますか?」――突然、こう質問されたらあなたはどう答えるだろう。「もちろん! いつも丸ごとの魚を買って、自宅で調理しています」と自信満々に答えられる人はそう多くないのではないだろうか。そういう筆者も、魚の調理はスーパーで買ってきた切り身か干物を魚焼きグリルに突っ込むことぐらいで、全く自信がない。
著者のキャスリーン・フリンさんが、アマゾン・ドットコム・シアトル本社のキッチンスタジオで、販売予定のミールキット(レシピ付きの食材セット)のレシピチェックをしていたときのこと。料理に慣れていそうな40代の女性がおっかなびっくり、不安そうに鮭の切り身をひっくり返しているのを見て衝撃を受けたという。「アマゾンのテストキッチンでは、『魚の調理に自信が持てない』という意見がとても多かったんです」
わたしは多くのアメリカ人に比べると魚を食べることが好きなほうだ。魚を料理するほうだとも思う。しかし、魚を前にするとやはり戸惑う。正直少し、魚がこわい。 『サカナ・レッスン 美味しい日本で寿司に死す』(CCCメディアハウス)より
そんなとき、前作(『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』)の邦訳を担当した編集者から「“サカナ”をテーマに、日本の読者に向けて書き下ろしをしませんか」と提案された。「日本の食卓でも“魚離れ”が進んでいると聞いて驚きました。読者とSNSなどで交流してナマの声を聞くうちに、日本の魚文化や家庭のキッチンで起こっていることにとても興味が湧いてきて。前作で担当編集者や翻訳の村井理子さんと一緒に仕事ができ、とても楽しかったので、またこのグレイトなチームで何か自分にとっても特別な本が作れるのではないか、という期待感がありました」
こうして、フリンさんは移転直前の築地市場を取材し、新宿の「東京すしアカデミー」で江戸前寿司のレッスンを受け、日本の家庭のキッチンで読者と一緒に魚を調理し、自身の「魚がこわい」という苦手意識に、真正面から向き合うこととなる。
学んだのは“変化”を恐れず、前に進むこと
本書では、豊洲に移転する直前の築地の様子が、フリンさんの目を通してビビッドに描かれている。市場関係者がナーバスになる中でスムーズに取材できたのは、築地市場で長年競り人として働いてきた石井久夫さんが案内をしてくれたことが大きかった。
「石井さんにはとても感謝しています。築地に関しては、来日前に『築地ワンダーランド』というドキュメンタリーを観たり、資料を大量に読んでいたこともあって、ある程度の知識はありました。でも、石井さんと共に市場を歩くことで、築地で働く人々の現状をこれまでと違った視点で見ることができました」と振り返る。築地市場を取材したことで、日本の魚文化の伝統を肌で感じることができたという。
「築地を取材して、一番心に残ったことは?」と尋ねると、「“変化”をどう受け入れるかということですね」と微笑んだ。「築地が閉場することで、石井さんの世界は変化して、全く違うものになってしまった。彼だけでなく築地で働いてきた多くの人々も同じです。変化はいつもハードだけど、決して避けては通れないもの。でも、必ずしも悪いものだとは限らない」
「築地でのレッスンは、私の人生にとっても有益だった」と語るフリンさんは、今作ではより自身の内面に焦点を当て、パーソナルな事柄についても率直に記している。印象的なのは、日本での取材を終えてフロリダに戻ったあと、一人で釣りをしながら家族に対して思いを馳せるシーンだ。13歳のときに亡くなった父、そして父との思い出がたくさん詰まった家を自分が買い取ろうとしていた矢先に、母が相談もなく売却してしまったこと……。
「母とのエピソードを書くことになるとは、思ってもみなかったんです。魚や日本といったテーマとは遠く感じる、私の個人的な話だから。母がアナマリア島にある思い出の家を売ってしまったとき、私はとても動揺して傷つきました。築地で石井さんの話を聞いているとき、彼の感じている喪失の悲しみと私の当時の思いが重なって見えたんです」
大切な思い出や積み重ねてきた歴史が、目の前から消えてしまうことには寂しさを感じる。しかし、本書を執筆しながら学んだことは「手放すこと、そして歩き出すこと」だった。
「執着していたものは、感謝してから手放す。“コンマリ”(片付けコンサルタントの近藤麻理恵さん)も言っていますよね(笑)。そうすれば、そこから一歩前進できる。まさか、サカナから人生を学べるとは想像もしなかったんですけど」と笑う。
“サカナ”に感謝の念が湧いてきた
築地の取材を進める一方で、「東京すしアカデミー」では、寿司飯をぴったり正確に27グラム分握ることができる寿司職人、“ミスター27グラム”から手ほどきを受け、出汁の取り方、魚のおろし方と下処理、寿司の握り方などを学んだ。「東京すしアカデミーで得たことの一つは、食材への敬意です。魚もチキンと一緒で、切り身で買うと元がどういうものだったのか分からなくなる。かつて、命があったものだということを忘れてしまう。でも丸ごとの魚を見て自分でおろしてみると、自然に食べ物に対しての感謝の気持ちが湧いてきますよね」
様々なサカナ・レッスンの中でも、クライマックスはやはりアナゴをさばく場面だろう。「ヘビが大の苦手」というフリンさんが、ヌルヌルとのたうつ生きたアナゴに恐怖しながらも「目打ち」に挑戦し、なんとか最後までさばくくだりは、笑いと同時に爽やかな感動を覚える名シーンだ。
そしてアナゴと格闘したあと、休憩時間に夫のマイクさんと訪れたのは、新宿の高層ビルの谷間にある小さな神社。そこには、“ミニチュアの富士山”のような「富士塚」があった。富士塚でフリンさんは、数々のレッスンを乗り越えた達成感と共に、自分の「価値観を変える何か」を感じることとなる。
賑やかな都会でわたしたちは再び沈思のひとときを得た。(中略)そしてわたしはまったく今まで知り得なかったことを経験することとなった。この都会のど真ん中にあるミニチュアの富士山に登ることだってそうだ。冒険や新しいことにチャレンジしたいのであれば、チャンスを手にして、努力することで、きっと報われる。 『サカナ・レッスン 美味しい日本で寿司に死す』(CCCメディアハウス)より
「“富士塚”は、夫のマイクが見つけて、一緒に行こうと誘ってくれたんです。東京のど真ん中にミニチュアの富士山があるなんて……見つけられてすごくラッキーだと思った。富士塚に心を動かされたことで、高層ビルが立ち並ぶ“TOKYO”のイメージではない、自分でも想像しなかったものが好きだということに気付きました。マイクがよく言う“the extraordinary in the ordinary”(日常の中に非日常がある)という言葉があるんですけど、本当にそう。日常を注意深く見てみると、必ずどこかに人生を変えるようなサプライズがあるんです」
自分を変える“冒険の種”は日常に落ちている
『サカナ・レッスン』は、一人の女性が新たな自分を発見する冒険の書でもある。自分を変えたいけど一歩踏み出す勇気がない。何かを新しく始めるには遅いかもしれない――。そんな悩みにフリンさんは「変わりたいならまず、“自分がどうなりたいか”というビジョンを描いて、周囲にもアピールすることが大事」とアドバイスする。「マイクは人生って人混みの街角に立っているようなもの、とよく言うんです。面白いことに『こっちに行きたいの!』って思い切って言えば、周りの人だって助けてくれる。でも『どこへ行けばいいか分からない……』と道にたたずんでいるだけでは、誰も気付いてくれないし、手を貸してくれることもないんですよね」
また、フロリダの新聞社で働いていた20代前半、ある女性の短い死亡記事を書いたことも、人生について考えるきっかけになったという。「葬儀社にもらった故人の情報には名前と年齢といつ亡くなったか――ぐらいしか書いていなかった。この人はどういう人なんだろう……と疑問に思ったそのとき、ひらめいたんです。自分の死亡記事には“ル・コルドン・ブルーを卒業した”って書いてほしいと。結局、ル・コルドン・ブルーで学ぶことになったのは36歳のときだったんですが、他のことをしていてもずっと、このビジョンを失うことはありませんでした。私が結婚したのは37歳、初めての本を出したのは40歳。そして私のヒーロー、料理研究家のジュリア・チャイルドが初めてのクックブックを出したのはなんと50歳のとき! 何かを始めるのに遅すぎるということは、決してないんです」
本書の最後は「料理に、人生に、勇敢であれ」という読者への励ましの言葉で締めくくられている。
「失敗することへの恐怖心が人々をチャレンジから遠ざけているんですよね。でも、思い出してみて。映画のロッキーだって、初試合では勝ってないんだから(笑)。私だって料理を焦がすこともあるし、まだまだ成長途中。でも、一番大事なことは“失敗したって、そこそこおいしい”ってこと。人生だって同じ。たとえ何かにチャレンジしてうまくいかなかったとしても、あなたの人生はその時点で変化しているんだから」