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「老いのゆくえ」書評 自分らしさを見出す初々しい論

評者: 柄谷行人 / 朝⽇新聞掲載:2019年07月27日
老いのゆくえ (中公新書) 著者:黒井千次 出版社:中央公論新社 ジャンル:新書・選書・ブックレット

ISBN: 9784121025487
発売⽇: 2019/06/19
サイズ: 18cm/235p

老いのゆくえ [著]黒井千次

 本書は、二〇〇五年から新聞に連載されたエッセイを集めた『老いのかたち』、『老いの味わい』の続編である。ここで著者は、「可能なかぎり率直に、老いていく自分を描き、その感覚や感情を記していくことを目指した」という。ただ、最初の『老いのかたち』には、老いの問題を、広く歴史的・社会的に見る観点、あるいは、セネカのような哲学的考察があった。それに比べると、本書に書かれているのは、まさに「老いていく自分」だけである。しかし、私はこの地味なエッセイに感銘を受けた。
 ここで幾度も出てくるのは、転倒する話である。最初に、空足(からあし)を踏んで倒れた話も出てくる。つまり、「あると信じていたものがなかったために空を踏んで」転倒してしまう。これは、他人の老化はわかるが、自分の老化はわかりにくい、ということを典型的に示す例である。実は、私も七〇歳を越えてから、空足ではないが、転倒を経験した。何度か転倒すると、それが老化の兆候だということを認めざるをえなかった。老いを自覚するのは、このように難しい。
 社会的には、高齢者は前期と後期に分けられている。しかし、後期以後には区別がない。死以外に、「『高齢者』には終りがない」。とすれば、老いはいよいよ、各人の問題となってくる。
 たとえば、本書に書かれているのは、他人の年齢が気になることである。それは結局、自分の老いが納得できないからだ。その意味で、老年期は思春期とまるで異なるにもかかわらず、類似した「自己」意識をもたらす。それに対して、著者は自分に言い聞かせる。「自分らしく老いればいい」「自分の老いを育てればよい」
 しかし、これは「自分」へのこだわりではない。著者が見出すのは、「あらゆる〈老い〉が、夕陽の中を静かに登っている」というような「老いのゆくえ」だ。初々しい老年論である。
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 くろい・せんじ 1932年生まれ。作家。『群棲』で谷崎潤一郎賞、『一日 夢の柵』で野間文芸賞。