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せめてごはんぐらいは 津村記久子

 毎年さえない生活をしているけれども、今年も良くない。判断力の衰えが特にひどい。あるイベントに出かける日、早めに起床して張り切って駅で電車を待っていたのだが、予定の時刻になっても電車が来ないので「なんだよ」と怒っていたところ、自分自身が乗り場を間違えていた。それで待ち合わせに遅れて、乗り換えであわてて駆け込み乗車をし(一緒に外出する友達にも駆け込み乗車をさせてしまった)、自己嫌悪に陥った。携帯の待ち受け画面のメモには〈階段を慎重に降りる、駆け込み乗車をしない〉と書いてあるのに。さらにその後、ある単発の仕事の報酬が入った封筒を持ち歩いて半分使った後、残り半分が入ったまま紛失した。大変、衰えている。

 そんな中、着実に良くなっていることが一つだけある。料理のレパートリーが増えているのだ。個人的に作成している料理レシピの項目は、今年の六月から数えても十二項目も増えている。野菜を摂(と)れるメニューも多い。わたしはべつに料理が好きでも得意でもないのだが、どうしたのかと思う。たぶん、他の部分があまりにさえないので、せめて好きな時にお金をかけず好きなものが食べたいのだと思う。落ち込んでぐったりしながらも、自分で作ったものをうま、うま、と言いながら食べている様子は、変だけれどもちょっと救いがあるような気もする。

 自分が自由になった、大人になったともっとも感じるのは、実は自分で好きなものを作って食べている時だ。それは、若い時は好物を作ってくれる(かどうかは確実でない)母親からの解放であり、現在は外食にかける時間と金額からの解放である。料理は自己肯定感を高めてくれるらしい。

 なんとなく、自分が夜中にいきなりスコーンを焼き始めたりする理由が理解できたような気がする。たぶん、書かなければいけない小説があまりにも書けずに消えてしまいたいぐらいだから、お菓子を焼いて自分を取り戻そうとしているのだろう。=朝日新聞2019年8月29日掲載