残酷なお話&少女漫画
――いちばん古い読書の記憶を教えてください。
小学館から出ている世界名作童話全集の『ほうせきひめ』というのがものすごく好きでそればかり見てたので、その記憶しかないんですよね。外国の絵で、ちょっと他の絵本と違っていたんですね。外国で出ているものをそのまま持ってきたという感じでした。中に入っているのが「ほうせきひめ」と「ろばのかわ」と「おやゆびこぞう」だったかな。全部、内容がちょっと怖いんです。「ほうせきひめ」は最後に意地悪なお姉さんが口から蛇やカエルを出して、その蛇に噛まれて死んじゃうし、「ろばのかわ」はろばの皮を剥いで着るという話だし、「おやゆびこぞう」は人喰い鬼に食べられそうになった兄弟が、機転を利かせて帽子と冠を取り替えて鬼が間違えて自分の子どもを食べちゃうような話。
――ああ、昔話って実際は結構残酷だったりしますよね。広まるうちにマイルドになったりするけれど。
そう、すごく残酷で。それがすごく好きだったんですよね。それが小学校に入る前くらいだったと思いますが、大人になってからどうしても欲しくて、探して買い直しました。
――小さい頃は、活発に外で遊ぶほうでしたか、それとも家でそういう絵本とかを見るのが好きでしたか。
本を見ている本が好きで、ずっとインドアだったと思います。その絵本のほかに、ピーターラビットも買い与えられたんだけど、最初の1巻が一番残酷だから、そればかり見ていました。しっぽがちぎれていたり、ネズミが猫をパイにしようとするところとか。
――小学校に入ってからは。
少女漫画ばっかり読んでいた気がします。家がリサイクルショップをやっていたので、里中満智子さんとか、大和和紀さんの『ヨコハマ物語』とかがお店に並んでいて、それを読み始めたのがきっかけです。
――じゃあ、少女漫画誌を買ったりは...。
私、「りぼん」とか「なかよし」はデビューが遅くて、小学校5年生で読みだしたんです。母親から漫画を買っていいという許可をもらったのがその頃だったのかな。友達の影響だったかもしれません。それまでは、小学館の「小学一年生」とか「小学二年生」とかを、4年生くらいまで読んでいたんですよ。あそこに載っていたのが上原きみこさんの「ハーイ!まりちゃん」というバレエ漫画とか、女の子がアイドルになる漫画とか。2つ下の妹も「小学〇年生」を買っていたんですが、上原きみこさんの違うバレエ漫画が載っていたので、どっちも楽しみに読んでいました。
――では、自分で真似して漫画を描いたりとかは。
漫画、描いていました。よく分からない、「たこ焼きマン」っていう(笑)。最初はギャグ漫画のつもりでたこ焼きマンにされてしまった男の話を描いていたんですけれど、だんだん「たこ焼きマンには実は悲しい過去があって」って、シリアスストーリーになっていきました。ノートに連載してクラスの子に読ませていたんですけれど、みんな「え、どういうこと」って言って引いていました(笑)。あれどうしちゃったかな。家には残ってないですね。
――ところで小さい頃、漫画は親の許可が出てなかったということは、テレビなどもいろいろ禁止がありましたか。
ドリフは見ていなかった。「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」からオーケーになりました。そういうバラエティ番組もすごく好きでした。今、連載で女芸人の話を書いているんですけれど、私、本当にテレビが好きだったんだなって実感している最中です。「まんが日本昔ばなし」も好きでしたし、女子が好きそうなアニメはなんでも。一番衝撃だったのは、「ジョージィ!」。『キャンディ・キャンディ』のいがらしゆみこさんが原作で、アニメは「レディジョージィ」というタイトルで。アニメだけど、セックスシーンがあるんですよ。裸で男女が抱き合って、大事な部分はシーツに隠れていて...。でも胸は出ていたと思う。
――え、アニメで?
アニメです。土曜か日曜の朝に放送されていたんですけれど、それを見た瞬間、雷に打たれたようになってしまって、すぐに原作を買いました(笑)。主人公の女の子が、3人の男を渡り歩く話で、3巻くらいしかないんですけれど。これも大人になって買い直しました。
転校による環境の変化
――児童書は読みましたか。
寺村輝夫さんと岡本颯子さんの「こまったさん」シリーズが好きでしたね。いろんなご飯を作るシリーズ。ただ、活字の本の記憶があまりなくて、その次に憶えているのは江戸川乱歩の「少年探偵団」シリーズ。あれを図書館で片っ端から借りて読んでいました。
そういえば、小学生の時に学級会の劇で『若草物語』の脚本を書きました。ベスが死ぬところですよ。今思いだいました。
――山場ですね。それが初の創作物。
そうかもしれません。その後は少女小説ブームがきて、小学5~6年生くらいから、コバルト文庫のシリーズを読むようになって。その頃いちばんすごかったのは藤本ひとみさんですよね。みんなは講談社のティーンズハートの折原みとさんとかを読んでいて、そっちも読みましたが、私はコバルトのほうが好きでした。
――何が違ったんですか。
改行。ティーンズハートのほうは当時よく「下が全部メモとして使える」と言われるくらい、下側に空白がありました。「トクン......。」みたいな擬音だけの1行あったりして。だから30分くらいで読めちゃうんです。今思うと、悲惨な目に遭う女の子の話も多くて、携帯小説っぽい感じがあったのかな。恋に特化したものが多かった。で、コバルトはもうちょっとバリエーションがあったんです。ティーンズハートもミステリーはあったけれど、コバルトのほうが、氷室冴子さんみたいな人がいるからか、もうちょっと文芸寄りというか。
当時コバルトにハマりすぎていて、先生に出す作文に「私の彼はイツキ君です」って、二次創作というか夢小説みたいなものを書いて出したことがあって。本当にあの過去は消しに行きたい(笑)。あれを読まされた先生、どんな気持ちだったんだろう......。
――それが初小説といえるかもしれない(笑)。
実際、小説もその頃書き始めたんです。文集にも「将来小説家になりたい」って書いていたと思います。最初はクラスの子に見せて喜んでもらっていたんですけれど、中学2年生の時に引っ越したんです。都会の学校からわりと田舎のほうに引っ込んだら、田舎の子のほうがませているというか。わりともう、みんな恋して付き合ったりしていたんです。それで、仲良くなった子に書いた小説を見せたら、「え、何。こんなの書いてどうするの」みたいに言われて。「作家になるつもり?」って。ハッとなってノートを引き上げて、「もう誰にも見せない」ってなりましたよね、その日から。「あ、そうか。小説を書くことって恥ずかしいことなんだ。作家になりたいって思うって、馬鹿みたいな夢なんだ」って。それまでは天真爛漫だったんだけれど、そこでハッとなりました。
――ああ...。でもそこで「もう書かない」とはならず、こっそり書いていたんですね。
そうそうそう。もう癖みたいになっていて。作家になった後で「どうして小説を書くのか」みたいなことって考えるじゃないですか。ずっと答えが出てなかったんだけれど、最近分かったんです。書いちゃうから書いているんだなって。昔からそうだったからなんだなって。
――少女時代から、書くことが当たり前だったわけですね。では中学校時代は転校がありつつ、読書生活に変化はありましたか。
相変わらず漫画とコバルト文庫をすごく読んでいました。それと、まったく本を読まない母が、2冊だけ本を持っていて、それがサガンの『悲しみよこんにちは』とカポーティの『ティファニーで朝食を』。
――へえ!
すごいチョイスですよね? いまだに「母、そのチョイスすごい」って思います。そのときそれを読んで、意味も分からないけれど「ああ、なんかいいな。なんか好きだな」と感じました。これも大人になって買い直して読んだら、やっぱりすごく好きでした。
性に対する興味
――中学生時代って、日本の古典的なものに触れる時期でもあるのかなと思うのですが。
このインタビューを受けるにあたって考えたんですけれど、太宰治の『女生徒』がすごく好きでしたね。『斜陽』とか、あのへんを読んで、面白かった。
――中学生時代にとりわけ好きだった漫画は?
中学校時代に岡崎京子さんに出会うんですよね。当時、お小遣い全部を漫画につぎ込むくらいの感じで雑誌を買っていたんです。「りぼん」「なかよし」だけじゃなくて、「別冊マーガレット」、「少女コミック」、「別冊少女コミック」とかも読んでいて。当時、「ヤングロゼ」っていう、「フィール・ヤング」みたいな雰囲気の雑誌があったんです。そこで岡崎さんが『愛の生活』を連載していて、それが衝撃的だったんですよね。それまでの「ぶ~け」とか、くらもちふさこさんとか岩館真理子さんとかもすごく好きだったんですけれど。岡崎さんの絵って、なんだろう、「線」という感じ。当時、まわりの友達は松苗あけみさんとか清水玲子さんの繊細な絵が好きだったので、私が「岡崎さんのこと好き」って言ったら「え、絵、下手だよね」って言われて、「え、これ、下手ってことなの? 確かに丁寧には見えないかもしれないけど、これ下手なの?」って衝撃が。ただ、今から考えると、岡崎さんは、やっぱりセックスを描いていたから好きだったんだなと思います。さっきの「ジョージィ!」もそうなんですけれど、性のことを描いている話が好きですねよね、あはは(笑)。
――ほほう(笑)。その頃の年頃の女の子向けの雑誌って、「彼との初体験」とか投稿されているコーナーとかありましたよね。
あ、すごく好きでした。いろいろありましたよね。「明星」とか「平凡」の片隅にもそういう投稿ページがあって、もう、めっちゃ好きでした。あははは。「ポップティーン」なんかは転校する前はみんなで「なにこれ、面白いね」「キャー」みたいな感じで回し読みしていたんですけれど、転校してからはもう、生々しくて。実際にもうセックスしている子たちがいるから、そういうムードじゃなくて、こっそり読むものになっていました(笑)。今思うと、中学2年生での転校って、すごく大きかった。環境がすごく変わったんですよね。
――居心地の悪さを感じたりはしなかったんですか。
いえ、普通にクラスのイケてるグループにいました。なんか、イケイケでした(笑)。
――部活は?
転校前も後も、吹奏楽部でトランペットを。家にまだ楽器があるのでたまに吹いてみたりするんですけれど、もう1オクターブくらいしか吹けないです。
――さて、高校生になってからは。
山田詠美さんと村上龍さんをエロ目的で読んでました(笑)。ありがちなんですけれど。でも、このお二方で一番好きなのが、山田さんの『ラビット病』と、村上さんの『69 sixty nine』なんですよ。エロ目的で読んでいたのに、結果、好きなのはエロじゃないんだ、という。はるな檸檬さんが『れもん、よむもん!』で、やっぱりその2冊が好きって言ってて、なんか、すごい一致だなって思って。
『ラビット病』は、仲良しのカップルがただいちゃいちゃしているだけでこんな小説になるんだなって驚きがあったのかな。「こんなの読んだことない」という。『69』は、青春小説が好きだったのと、当時ロックが好きだったので。当時ロック関連の小説や映画を片っ端からあたっていたんです。でも、もう全然思い出せなくて...。あ、中森明夫さんの『東京トンガリキッズ』とかのあたりですね。書店や図書館で、タイトルとか、帯とかあらすじとかを頼りに探していました。あとは「新潮文庫の100冊」みたいな冊子や文庫目録も見たし、ロックな小説を買うと巻末に似たような本の広告が入っているので、そういうものを頼りにしていた気がします。
――ネットがない頃って、本を探すのも結構大変でしたよね。
大変でしたよね。でも、町の本屋さんがいっぱいあったから。田舎の町の本屋さんって結構小さいから、しらみつぶしにできるというか。端から全部見ていけたんです。
――その頃ご自身で書いていたのはどんな小説ですか。
いちばん最初に書いた小説は、クラスに女の格好をした男の子が来るっていう話。その男の子のことを主人公が好きになるという。まあ、今と変わらない感じの話を描いていましたね。それが小学校5年生くらいの時。
――そのお話は完成させたんですか。
いえ、当時は書き出しだけ書いて「すごい」みたいな(笑)。そんなことばっかりやっていてよく憶えていないんですけれど、最後までは書いていない気がします。途中まで書いては...という。
――でもその最初に書いたお話も面白そう。とってありますか。
ないんじゃないかな。私はわりとはやく、20歳の時に今の夫と同棲を始めるんですよ。で、「恥ずかしいもの」っていう頭があったから、「見られてはならぬ」って持っていけなくて。「だが実家にも置いておけぬ」ということで、断腸の思いで捨てた気がします。
短大で小説創作を学ぶ
――20歳で同棲の前に、高校卒業後、短期大学に進まれたんですよね。何を専攻されたのですか。
文芸創作学科というのができたばっかりだったんです。今もその学科はあるんですけれど名前は変わっていて、その1年生でした。で、小説の創作ゼミをとっていました。はっきり小説を完成させたと憶えているのはそこからですね。そこからは話を全部、完結させています。
――投稿は始めていないのですか。
「すばる」に投稿しました。ゼミの先生が清水良典先生だったんですよ。私がちょっとロックとかサイバーパンクっぽいSFを書いていたら、清水アリカさんを薦められたんです。その流れで、「すばる」がいいんじゃないって先生に言われて投稿しました。1回きりだけれど。
――創作学科やゼミの影響は大きかったですか。
何が大きかったっていうと、ゼミで扱う小説。名前を挙げると、角田光代さん、川上弘美さん、吉本ばななさん、松浦理英子さん、山田詠美さん。角田さんを始めて読んだのはその時で、いまだに本当に好きな作家さんです。『学校の青空』を読んだんですけれど、「女生徒」を読んだ時以上に、そのまま自分のことが書かれているような印象で、「あ、こんな小説がこの世に存在するのか」という驚きがありました。そういうものに出会わせてくれたことが一番大きかったなと思っています。それまでサイバーパンクみたいなものを書いていたんですけれど、角田さんに出会ったことによって、ただ本当にありのままの日常みたいなものを書いていいんだっていうことで、書くものがガラッと変わりました。
――周りは小説家志望の人は多かったのですか。
そんなにいなかったです。同じゼミでも「卒論より小説なら楽に書けそうだから」みたいな感じの子が結構いて。私、逆だったんですよ。「卒論じゃなくて、小説で卒業できる学校」というところがいいなと思っていました。ゼミは全部で10人くらいだったんですけれど、後は二次創作をやっていたような子が1人、2人いるくらいな感じでした。
――サイバーパンクみたいなものを書き、「すばる」に応募し...ということで、ご自身では小説のジャンルというものは意識されていましたか。
ああ、ゼミで純文学というものを教わったんです。ちょうど河出書房新社から「J文学」のブックガイドが出た頃で、それをガイドにしていた時期がありました。でも、自分で書くものについては意識していませんでした。
あ、でも当時、桜井亜美さんがものすごく流行っていたんですよね。私のエロを求める気持ちはまだ脈々と続いていたので(笑)、桜井さんとか、斎藤綾子さんとか、河出の文藝賞を獲った佐藤亜有子さんの『ボディ・レンタル』とか、赤坂真理さんの『ヴァイブレータ』とか。そのへんは嗅覚がすっごく効いて、「ジャンル・エロ」として追いかけてました(笑)。エロはすごく追いかけているから、私、本当に「女のための女によるR-18文学賞」で出るべくして出たんだな、って(笑)。
――ふふふ。吉川さんがデビューされたR-18文学賞は第10回まで、女性による性について描かれた小説を募集してましたよね。そう思うと、追いかけてい読んでいたエロも、女性が書いたものなんですね。
別に意識していたわけじゃないんですけれど、やっぱり女性が書いているもののほうが装丁がエッジが効いて格好良かったし、内容もわりとイケイケのギャルが主人公のものとかが多くて好きでした。エロと同時にギャルというものも追いかけていたので。
――では、ゼミで小説を書いて、卒論を投稿し、今後小説家を目指していろいろ書くぞ、という感じで卒業されたわけですか。
それが、「すばる」に投稿したものが箸にも棒にも引っかからず、その後すぐ同棲するから、しばらく恋愛アホ期というのがあって(笑)。家でずっと彼氏が帰るのを待っているみたいな状態があって、まったく小説も書かないし、本も読まない状態が2年くらい続きました。もうね、ずっと「結婚したい!」って。
――恋愛アホ期(大笑)。
なぜまた書き始めたかっていうと、パソコンを買ったからなんですよ。iMACを買ったのでホームページを作って、そこで小説を発表するんです。その時にはもう本当に完全に、自分が読んできた少女小説とか少女漫画、角田光代さんとか寄りの、本当に身近な、ほとんど今書いているものと変わらないようなものを書き始めていました。それを発表していたら、読んだ人が「送ってみたら」と言ってくれるようになって、「じゃあ送ってみようかな」と思ってまずコバルトに送って、それが1次通過だったのかな。その後すぐにR-18文学賞に送ったのが受賞しました。
頼りにしたブックガイド
――執筆を再開した時、読書も再開したんですか。
はい。私の人生に、斎藤美奈子編著『L文学完全読本』が登場するんです。2002年に出ているんですけれど、これをガイドに読んでいました。「L」は「Lady」「Love」「Live」などの意味が含まれている。コバルトから始まって、脈々と続く女性文学みたいなものをまとめてくれているんです。ここに載っていて特に好きだったのは山本文緒先生、中山可穂先生。あと、フランチェスカ・リア・ブロック。アメリカのヤングアダルト小説を書いている人で、「ウィーツィ・バット ブックス」というシリーズがすごく好きでした。あとは姫野カオルコさんとか、藤野千夜さん、江國香織さん、金井美恵子さんといったあたりを。嶽本野ばらさんを読むようになったのもこの頃かな。それと、作家になってから井上荒野さんも。
――たとえば山本さんや中山さんは、どんな作品が好きですか。
山本文緒さんは、一番読み返しているのは『眠れるラプンツェル』です。これっていま考えると未成年淫行ですよね。でも、大きな声じゃ言えないけどセックスシーンが好きでした(笑)。あと、相手の男の子とお父さんと、誰ひとりも血が繋がっていないのに家族みたいに一緒にいて、主人公自体も大人になりきれない子どもみたいで、みんなが一緒にゲームをしたりして遊んでいる、あの空気感がすごく好きでした。
中山可穂さんは、「恋」です。「ザ・恋愛小説」って感じ。一番「恋愛小説だー」って思いながら読んだ方かもしれません。『猫背の王子』も『白い薔薇の淵まで』も『感情教育』も好きだし。恋とはちょっと違うんですけれど『深爪』も何度も読みました。
姫野カオルコさんは女性器が喋る『受難』。あと、『整形美女』は最近になって読んだんですけれど、衝撃的でした。妹に薦めたら「私が今まですごく苦しかったものがすべて説明されてる」って。「こういうことだったんだ、って説明してくれている。だからこの先何回でも読み返すと思う」って。あとは『ツ、イ、ラ、ク』も好き。あれも未成年となんですけれど。
藤野千夜さんは一番好きなのが『ベジタブルハイツ物語』。シリーズ化されていて『さやかの季節』もありますね。あと、『少年と少女のポルカ』も好きです。あ、すごく好きだったのは『主婦と恋愛』。あれは何回も読みました。2002年の日韓ワールドカップの雰囲気がすごく出ているのと、恋にまで至らない、でも何か期待みたいなものを勝手に抱いちゃう感じがすごく面白い。これも「あ、こういうことが小説になるんだ」っていう驚きがありました。
――江國さんと金井さんは。
江國香織さんは『落下する夕方』。あれが一番好きです。彼氏が他の女の人のことを好きになっちゃって、その女の人も一緒に暮らすんですよね。その絶望感と同時に、その女の子がすごく魅力的でさらに絶望、みたいな。主人公もその女の子の魅力に抗えないみたいなところが、すごく絶望的な小説だと思って読んでいました。でも好き。
金井美恵子さんは『小春日和』の続篇の、『彼女(たち)について私が知っている二、三の事柄』。私、女の人たちが喋っているだけの話がすごく好きなのかも。話が前後するけれど、岡崎京子さんも一番好きなのは『くちびるから散弾銃』だったし。固有名詞がいっぱい出てきて、しかも女の人たちがべらべら喋るのが好きなのかも。
――作家になって読んだという井上荒野さんは。
めっちゃいっぱいあります。全部好きだなー......全部好きなんですよ。あ、『ズームーデイズ』にします。あれは「きらら」に連載されていたんですよね。作家になってから文芸誌が送られてくるようになって、文芸誌を読んで好きになった作家が2人いるんですけれど、1人が井上荒野さんで、もう一人が大島真寿美さん。どっちも「きらら」の連載を読んだからなんです。『ズームーデイズ』は、ズームーという男の子と一緒に暮らした日々の話で、自分も長い同棲をしていたら、その様子が読んでいて面白かったというのがあるかも。
大島真寿美さんは『虹色天気雨』。これも女の人たちがよく喋っているんですが、「小説ってこんな自由に書いていいんだ」って。型がないんですよね。それがすごいと思って。大島さん、最近もどんどんフリーダムになっていっているじゃないですか。直木賞を受賞した『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』も本当にびっくりして、「大島さん、フリーダムにもほどがあるね」って言ったら、「やりたい放題だよ」って言ってました(笑)。
――吉川さんも大島さんも名古屋ですよね。交流があるんですか。
よく飲みに行っています。すごく仲いいです。
作家同士の交流&編集者に薦められた本
――吉川さんは第3回R-18文学賞で大賞と読者賞を受賞してデビューされたわけですが、まだできたばかり頃にあの賞の存在をどこで知ったのですか。
はい。書店で『青空チェリー』を見た時に。
――第1回の読者賞受賞作を収録した豊島ミホさんの作品集ですね。
ちょっと判型が小さい本で、装画を描いていたかわかみじゅんこさんがすごく好きだったので「え、何これ、かわいい」となって、読んでみたらまあ、自由だという。今まで私が「ジャンル・エロ」として読んできたものは、ちょっとハードだったりちょっと暗かったりちょっと特殊な状況にいたりするものが多かったのに、豊島さんは本当に普通の女の子のことを書いていて。あれも衝撃でしたね。
――短編の賞なので、受賞してもすぐ単行本は出せませんよね。受賞してからはどうだったのですか。
受賞してすぐに受賞後第1作の短編を書きました。当時の担当さんに「年内に本を出したいからすぐ書いて」みたいに言われて「はい!」って言って。そういえば、受賞が決まったのが3月だったんですけれど、その1月に綿矢りささんと金原ひとみさんがダブルで芥川賞を受賞した年だったんです。それでもう、母が「ええー!」って喜んで。自分の娘もテレビに出たりするんだって思ったみたいで、「待って、違う違う違う」って、説明が大変でした(笑)。
――R-18出身の作家さんたちって仲がいいですよね。東日本大震災の後には、チャリティーで『文芸あねもね』というアンソロジーも出されていましたし。あれは毎年の授賞式の時に過去の受賞者が顔を合わせて仲良くなって...という感じですか。
最初のうちは、受賞者同士顔を合わせても挨拶してちょっと話す程度だったんです。宮木あや子さんが来てから変わりましたね。宮木さんのコミュ力、まとめ上げ力のおかげです。すぐお茶会をセッティングしようとしてくれるので。
――そうした作家仲間や、編集者と本の情報を交換することもあると思います。薦められて面白かった本はありますか。
デビューして最初についた編集者に向田邦子さんの『思い出トランプ』を渡されたんですよ。「これ、短編のお手本みたいなものだから」って。それで「はい!読みます!」って。読んでみたら、上手すぎてよく分からないんですよ。お手本にするにしても真似するにしても上手すぎてどこから手を出していいか分からない。でもそれから向田さんの小説もエッセイも全部読みました。何を読んでも上手いし、まあ、面白いですよね、すごく。
それと、コバルトの元編集長だった方に、「あなたは田辺聖子さんみたいになりなさい」って言われたんです。その時点で1冊も読んだことがなくて、「はい!」って言って、そこから全部ではないんですけれど、半分くらい、田辺さんの本はどわーっと読みました。一番好きなのが『蝶花嬉遊図』。フリーランスで仕事をして成功している女性が、すごく年上の家庭持ちの男と同棲を始めるんですね。そのことによって仕事を手放してその人中心の生活を始める。私、恋愛アホ期があったので(笑)、女の人が何かを手放してその人中心になってしまうみたいなのが、分かるんですよ。だけど、少しずつ日常の中でその男のちょっとした言動とかに失望していく。ものすごく愛しているのに失望するってことが書かれていて、すごいなって。その生活の様子が書かれているのと、男のシビアな状況が描かれているのがすごく良くて。
――その他の読書というと、どのように本を選んでいるのですか。
やっぱり同世代の作家さんがすごくいっぱいいるから、そういうのを順番に読んでいます。西加奈子さんも、デビューが同時期で、『あおい』が本屋に並んだ瞬間に「何この可愛い本」と思って飛びついたら、中味もすごく良かった。柴崎友香さんの『きょうのできごと』も読んだし。あと、桜庭一樹さんの『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』とか『推定少女』のあたりもすごく好きでしたね。桜庭さんは『私の男』もめちゃくちゃ好きなんですけれど。辻村深月さんも、『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』がすごく好き。あとは、R-18の作家の本を読んでいるだけで結構な量になります。「あ、また新しい本出したな」みたいな感じで(笑)。
――知り合い同士だと読んで感想を送り合ったりするのですか。
最初はしていたんですけれど、なんとなくですけれど、「みんなそこまで読めないよね」となり、「読まなくていいよね」ってなっていきました。いまだに本が出ると感想をメールしてくれるのは柚木麻子くらいです。
――柚木さん、R-18出身じゃないけれど『文芸あねもね』に参加されていましたよね。
私、柚木のことはR-18の仲間のつもりで話していますから(笑)。山内マリコさんと蛭田亜紗子さんがデビューした回に柚木も応募していたんですよね。それで授賞式にも来ていて、その後、一緒に飲みに行って、普通に喋っていたんです。でも柚木はその時点で私が誰だか分かっていなかったらしく、後から「一緒に飲んでいる時に吉川トリコだってわかった瞬間に吐きそうになって帰りました」って言ってた。「は?」って感じですよね(笑)。
それと、同世代で一番好きだった作家って、雨宮まみさんなんです。
――ああ。一昨年、40歳で亡くなってしまった。
まみさんの『女子をこじらせて』が出た後くらいにまみさんにツイッターでフォローされたのがきっかけで読んだら、いやあもう、本当にすごくて。エッセイですが、「え、すごい、これ、文学じゃん」みたいな。びっくりしてまみさんにそのままメールを送りました。自分に性欲があって、性欲がどういう種類のもので、みたいな感じのことをあんなに子細に、しかもエッセイで書いたものを読んだのってはじめてだったかもしれない。しかも同世代の人がっていう。『女子をこじらせて』は衝撃でした。
――これから年齢を重ねて、いろいろ書いていってほしかったですよね。
そうです。いまだに「今なら、まみさん何書くかな」って考えちゃいます。読みたいなって思っちゃう。どの本も違うけれど、いつも包み込まれるようなところがあって。ひとつしか年齢が違わないのに、すごく優しくて、いつも読んでいると自分を肯定してくれる気分になりました。
――本当にそうですよね。......ところで、やはり男性作家が少ないですね。
意識したわけじゃないんですけれど、そうなんですよね。中島らもさんとかはすごく好きでした。他にも誰かいたように思うんですけれど...。あ、漫画家で安達哲さんがすごく好きでしたね。『さくらの唄』を書かれていて。「週刊ヤングマガジン」で連載していたんですけれど、全3巻で18禁、成人指定がついている。
――あれは男の子が主人公ですが、いろいろと、ものすごいことが起きますよね...。さて、今、日頃一日のサイクルは決まっていますか。
今はだいたい、9時とか10時くらいに起きて、夕方まで仕事してって感じですね。後もう、酒を飲みます。ずっと、毎日5枚ってノルマを決めているんです。だから、「ちょっと行ったかな」と思うたびに原稿用紙換算して、「ちっ、まだか」って(笑)。ノッている時や集中している時はわーっと書くんですけれど、そういう時に書いたものって、次の日読み返してだいたい「うわっ」となるんです。「ちょっとやりすぎてるな」ってなる。毎分ごとに原稿用紙換算して一文一文ちょっとずつ進めていっている時のほうがいいんだな、と思います。
――本を読むのはどんなシチュエーションが多いですか。
寝る前が一番多いですね。あと、ジムに行ってサウナに入るんですけれど、サウナで本を読みます。ちょっと温度が低めなので、長くいられるんです。結構他にも本を読んでいる人がいますね。
新作&今後の予定
――お話をうかがってきて、読んできたものと書いてきたものがすごく繋がっているなと感じます。
そうですね。やっぱり興味があるから、読みたい本もだいたいそうなりますよね。そんなにめちゃめちゃ離れたものって読んでいないですね。やっぱり、女性のことに興味があります。今まで書いてきた本って、タイトルに「女」って入ることが多いんですよ。
――新作の『女優の娘』は「女」という字がふたつ入っていますものね(笑)。ポルノ女優の母を持つアイドルの女の子の話で、消費されていく立場の2人のことが掘り下げられていく。
もともと「女優の娘」というのを書きたかったんですよね。ジェーン・バーキンとセルジュ・ゲンズブールを両親に持つってえぐいじゃないですか。
――女優のシャルロット・ゲンズブールのことですね。
そう。どんな気持ちかな、という発想から始まったんです。でもだんだん、芸能界で消費されていくのってどういうことなんだろうという方向に興味がわいて、そういう話になっていきました。
――母親がポルノ女優ということにしたのはどうしてですか。
マリリン・モンローみたいな女優が日本にいたらどうなるんだろうと思って。マリリン・モンローって、セックスシンボルみたいな消費のされ方をしているから、日本に置き換えてみたらどうなるかなと考えた時、普通のいわゆる日本の女優さんではあまりピンとこなかったんです。じゃあ、日活ロマンポルノの女優さんにしようかなという感じで。娘は最初、連載の第1回目は40歳くらいの舞台女優として書いたんですよ。そうしたら担当編集者に「いや、これはアイドルにしたほうが良くないすか」って言われて、最初すごく抵抗があったんですけれど、考えてみたらすごく話が動く。しかも書きやすい。担当編集者は最初の原稿を読んで、鈍重に感じたんだと思います。私、時々「自分も重たい小説を書きたい」みたいなのをやらかしちゃうんですよね。それをすぐに見抜いてくれて、軽やかさを取り戻そうとしてアイドルを提案したのかな、と。
――確かに、アイドルの主人公に軽やかさを感じる内容になっていますね。他に、『少女病』が文庫化されたばかりですね。
これは先にタイトルがありました。いろんな症例があったほうがいいというので姉妹の話を書きたかったのと、小説家のお母さんを書きたいというのがあって。お母さんがどんな人だろうというところから考えたのかな。
――今後も女性、少女というモチーフを書いていきたいですか。
書きたいです。今は「別冊文藝春秋」で、さきほどいった女芸人と女性アナウンサーの話を連載しています。いろいろ気になるトピックを総ざらいにして書いていこうかなと思っています。