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徳川斉昭は「頑固な攘夷論者」じゃなかった? 茨城県立歴史館の研究員、実像読み解く本出版

徳川斉昭(『徳川斉昭』の書影から、部分)

 江戸幕府最後の将軍となった徳川慶喜の父で、大河ドラマなどでは「頑固な攘夷(じょうい)論者」として描かれることが多い水戸藩9代藩主・徳川斉昭(なりあき)(1800~60)。その生涯を史料などを駆使して新たな角度から描いた『徳川斉昭 不確実な時代に生きて』(山川出版社)が刊行された。

 著者は茨城県立歴史館の永井博・特任研究員。水戸徳川家の歴史を調べるなかで、ドラマなどに出てくる「水戸は天下の副将軍」を強く意識した藩主の1人が斉昭だったと確認した。

 実際には副将軍という役職はなかったが、「水戸家はほとんど江戸在住だったこともあり、御三家の中でも将軍を支える特別な地位にあると周囲にも認識されていた」という。

 斉昭は藩主就任後、「副将軍」を自認するかのように、海防強化など各種改革の必要性を幕府に提言。謹慎処分を受ける。だが士民の期待を集めていたこともあり、政界に復帰。幕政参与となったが、時代は列強との通商条約締結へと流れ、居場所を失った。

 「晩年の斉昭は『攘夷は不可能』と考えており、開国も認めていた」と永井さんは指摘する。

 斉昭らの水戸学が最終的に目指したのは、実は富国強兵の実現による海外雄飛であり、対外的な危機感をあおる攘夷は、ばらばらだった日本を精神的に統一する手段に過ぎなかった。

 「だから列強からの侵略の心配がなくなれば、通商さえも認める。本来は別々のものだった尊王と攘夷という思想を一体化したスローガンとし、天皇中心の統合的な強い国家を作るべく尽力した斉昭の先進性は再評価されていい」と永井さんは語る。(編集委員・宮代栄一)=朝日新聞2019年9月4日掲載