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柔道リオ五輪銀メダリスト・原沢久喜さん 今度こそ、世界の頂点へ(後編)

文:渡部麻衣子、写真:斉藤順子

>原沢さんが漫画「SLAM DUNK」の魅力を語る前編はこちら

リオオリンピック代表選考の最中に急成長

――海外選手の柔道と日本人選手の柔道、違いはありますか?

しっかり組んで一本取りにいくのが日本の柔道。対して、徹底して勝ちにこだわるのが海外の柔道です。試合後半にリードしていればあからさまに逃げの姿勢をとるし、組ませないようにするのも上手い。日本人の感覚からするとずるく見えても、ルール上はそれで問題ないし、組ませないのも技術がないとできないこと。日本柔道が一時期低迷したのは、時代の流れに対応できなかったことが原因だと思います。

――金メダルを獲得できずに終わったロンドンオリンピックのころのことでしょうか。

そうですね。といっても、僕はそのとき大学に入ったばかりで全国的にも有名な選手ではなかったから、「次は自分が」とは思わなかったですが……。オリンピックを意識し始めたのは、試合で勝てるようになってきた大学3年くらいからです。

――原沢さんは、大学4年の講道館杯でまさかの一回戦負けを喫してから、国際大会7連勝、国内外の公式戦37連勝と勝ち続け、あっという間にリオの切符を手にしました。

『SLAM DUNK』で、花道はバスケを始めた直後に急成長しましたけど、自分の場合は、ちょうど代表選考の時期と成長期が重なった。あのころは試合で負ける気がしなかったです。畳に立つと相手の動きがよく見えて、自分の思い通りに体も動く。そんな状況でした。

――なぜそんな急成長を遂げることができたのでしょうか。

練習がきつすぎて、大学2年までは柔道が嫌いだったんです。だけど、結果が出るようになると、「やらないと怒られるからとりあえずやる」から、「試合に勝つためにもっと技術を身につけたい」に意識が変わっていきました。そのための練習なら、きつくても楽しめる。楽しみながらやると上達は速いですよね。

――柔道で、修得するのが楽しいと思った技はありますか?

小3のときに教わった“内股”です。投げ技で最初に教えてもらったのは背負い投げでしたが、みんなより身長が高かった自分にはしっくりこなくて。でも、内股はおもしろいように技がかかってすごく楽しかった。内股は今でも僕の一番の得意技です。

誰かのために、ではなく、自分のために

――リオでは、テディ・リネール選手に破れて銀メダル。その後、国内外の試合でなかなか思うような結果が出ない日々が続きました。

オリンピックを目指してずっと気を張っていたので、一回緩めてしまったらなかなか気持ちが戻らなくて。このままじゃいけないと学生時代の感覚でとにかく量をこなす練習をしていたら、今度はオーバートレーニング症候群になってしまった。2ヶ月間、柔道から離れて休養をとり、「自分は柔道とどう向き合いたいのか」「自分は本当に柔道が好きか」と、自問自答しました。

――そして、大学卒業後に就職したJRAの退社を決意。2018年5月からフリーで活動することに。

「柔道でトップになりたい」。それが僕が出した答えですが、そうなると働きながら柔道をやっているのが中途半端な気がしてきて……。いつ引退しても安定した生活が約束されている環境では、自分は100%柔道に打ち込めない。自分を追い込むために会社を辞め、一人暮らしを始めました。競技の結果だけでなく自己管理にもすべて自分が責任を負うと決めて、食事も栄養士に相談しながら自分で作っています。すべてが柔道に繋がっていると思うと、自炊も楽しいです。

――貯金を切り崩しながら一年過ごして、今年4月から百五銀行の所属に。心境に変化はありましたか?

やっぱり、より良いものを自分に投資するためにもお金は大切だなと思いました。当たり前のことは当たり前じゃないと実感できたことで、一回り成長できた気がします。

2018年 柔道・全日本選手権決勝 ©朝日新聞社
2018年 柔道・全日本選手権決勝 ©朝日新聞社

――ストイックな姿勢が実を結び、現在は世界ランク3位。東京オリンピックに向けていい流れできている印象ですが。

まずは今月下旬のグランドスラム大阪と、2月にヨーロッパで行われる国際大会。この2つの大会でしっかりポイントをとって、代表権を獲得したいです。

――柔道が初めて正式種目として認められた1964年の東京オリンピックから、56年。競技人口も増えている中で頂点に立つのは大変なことだと思います。

今は「トップになりたい」という自分の目標のためにやっているので、プレッシャーは感じていません。誰かのために、ではなく、自分のために。その意識がフリーの間に固まったので、今は期待されることも素直にありがたいと思える。せっかくの自国開催ですし、自分が金メダルをとって「日本柔道ここにあり」ということを示したいですね。