人間国宝の狂言師、野村万作先生が6月22日に88歳になられ、「米寿記念狂言の会」にあわせてこの本を出されました。3歳で初舞台、85年間の「狂言を生きる」。美しく深く、豊かな芸に背筋が伸びる思いがいたします。
万作先生とは「平家物語」の「木曾最期(きそさいご)」の語りや、2009年の舞台劇「六道輪廻(ろくどうりんね)」で共演もしました。17年に私が出演した「子午線の祀(まつ)り」(木下順二作)は、初演の1979年に先生が義経役で出演されました。本ではその時の志をうかがえ、貴重です。
26歳で演じた狂言「楢山節考」を80代で再演しています。山に捨てられる老婆のおりんをせりふなしで、しぐさだけで演じられたのを拝見しました。ちょっとした半歩の間(ま)や動きで、感情が伝わり、余計なものをそぎ落としたシンプルな美を感じましたね。
本でも「理想とする狂言は『美しく、面白く、素直な』狂言」とあり、やはりそうだったのかと思いました。
本では修業や演目について詳しく書いてあり、狂言で使う面の写真も載せています。若い頃から今までの狂言師としての取り組みや心の変容がつづられているのも興味深いです。天下泰平や五穀豊穣(ほうじょう)を祈る「三番叟(さんばそう)」は、力いっぱい激しく舞っていた若いころから、年齢を重ねるにつれ新たな境地に変わっていかれます。先日の米寿記念の会で万作先生が「三番叟」を踏むのを客席から拝見した時、鈴を振りながら種をまく所作をする「鈴之段」で、金色に輝くものがキラキラと大地に降り注ぐ様子が目に浮かんだのです。
見えない物が見えてくる、これこそが芸だと思いました。役者としてそんな域に達したいとあこがれますね。(聞き手・山根由起子 写真・伊ケ崎忍)=朝日新聞2019年10月30日掲載