桃山商事の3人は清田隆之さん(代表)、森田雄飛さん(専務)、ワッコさん(係長)の3人からなる恋バナ収集ユニット。2001年に清田代表、森田専務を中心に結成され、「失恋ホスト」として、これまでに1200人以上の女性の恋愛相談を受けてきています。
フラートって、なんだろう?
2019年6月に発売された『モテとか愛され以外の恋愛のすべて』(以下『モテすべ』)は、「食事」や「遊び」「お金」を恋愛の切り口でひもといていく書籍。その中でも特に読者からの反響が大きかったのが「フラート入門」という章なのだそう。フラート(flirt)とは欧米における恋愛の概念で、「友達以上恋人未満の関係を楽しむ」「恋の戯れ」を意味します。
清田代表(以下、清田):「フラート」はもともと、知り合いの編集者さんが教えてくれた言葉なんです。その方は「微量のエロスを含むコミュニケーションを楽しむこと」と言っていましたが、アメリカ文化の研究者・吉原真里さんの『性愛英語の基礎知識』(新潮新書)の中では「あくまでいっときの戯れの掛け合いである」とも説明されています。
森田専務(以下、森田):『モテすべ』の中では、「友達以上恋人未満の相手とふと手を繋いでみたり、合コンの最中に気になった人と視線を交わし合ったり、そういういっときの戯れを示す言葉がフラート」と説明しています。
清田:この言葉を知ってから、我々の中で「あの時のあれってフラートだったかも?」という話をすることがあって、桃山商事のラジオで取り上げてみたんですよ。そしたら反響がすごいあって、今回書籍に収録するに至りました。
MC:「男女の戯れ・遊び」と言われても日本人からすると「それってセフレとは違うの?」「『やれたかも委員会』(双葉社)みたいなもの?」とイマイチぴんとこない人もいるかもしれませんが……。
清田:そこはなかなか難しくて、適切な和訳がないように、「フラート=○○」というバッチリした定義があるわけじゃないんですよ。ただ、欧米の人たちはこういうのを「付き合う」とも「セフレ」とも差別化して楽しんでいるみたいなんです。
森田:『やれたかも委員会』と違う点をあえて言うとすれば、セックスをゴールとしているかどうかというところだと思います。さっきの説明にもあったように、フラートはあくまで「いっときの戯れのかけ合い」なので、「セックスにつながるかどうか」は重要ではないのかなと思ってます。もちろん、フラートも性的なニュアンスを前提としたやりとりなので、セックスと無関係ではないんですけど。
MC:お話を伺っていると、フラートには「楽しみ」の要素が強くあるように感じます。そのあたりはなかなか“上級者感”がありますよね。どうしても日本人だと「あれは……やれたのかも……(たそがれ)」みたいな、哀愁とか苦い思い出の方に気持ちが着地しがちで、出来事を「楽しむ」イメージが湧きにくいのかもしれません。
清田:そうなんです。本にも書いてある通り、僕とワッコはそこが全くできない(笑)。
MC:書籍でも、お二人はフラート童貞/フラート処女、なんて言われていました。
ワッコ係長(以下、ワッコ):フラートって、おしゃれすぎません?! 私たちはほんと、フラート検定5級って感じですよ……。
清田:フラート的なムードになったとしても、そこでとどめておけず、「これはワンチャンある流れでは!?」とがっついて情緒を壊してしまうという……。
「雑魚寝」はフラートが生まれやすい?
イベントでは、まずは通称“フラート上級者”の、桃山商事・森田さんの極上のエピソードを例にあげながら、フラートについて掘り下げていきました。
森田:これは『モテすべ』の中でも言及してるんですが、“雑魚寝がエモい”という話ですね。雑魚寝をするということは、基本的な関係性は「友達」じゃないですか。だけど夜中にお互いちょっと意識している異性の友達と目が合って、ふと手を繋いで……みたいなエピソードは何度か聞いたことがあります。雑魚寝は構造的に、フラートのきっかけになりやすいんだと思いますね。
ワッコ:いつもただただ爆睡していた自分を呪う……。
清田:そもそもさ、その「ふと」って一体なんなの?
お互いが狙っていないのに、突然そのチャンスがきて、それを感じ取って逃さない人たちにフラートがやってくる、ということがどうしても解せない清田さん&ワッコさん。会場のみなさんはおおむね、この「フラート」イメージを掴めているよう……。実際に参加者から寄せられたエピソードも紹介しつつ、ここから桃山節満載の恋愛談義がスタート。登壇の3人そして参加者のみなさんで、ビールとおつまみを片手にほろ酔いで恋バナを楽しみます。
エピソード1「バンド仲間」
大学時代のバンドサークルで同窓会がてら久々に4人でスタジオ練習をした。その打ち上げの最中、他2人がお手洗いに行ったところでふと憧れの先輩が隣の席に移動してきて、そのままなんとなく先輩とキスをする流れに……。
清田:フラートのエピソードを聞いてると、「集団で飲んでいる最中にふと二人きりになる瞬間があり、そこでちょっとしたエロスが生じる……」という構造の話が結構あるんだけど、そもそも人々はそんなになんとなくキスしてるものなの!?
エピソードを提供してくれた女性も名乗り出てくださり、会話に加わって、フラートにおける「ふと」や「なんとなく」というシチュエーションについてや、飲み会における「トイレ前というフラートのホットスポット」の話などで盛り上がりました。
合コンの最中にトイレでバッタリ会った男女はフラートが起きやすい、と言う森田さんに対し、そんなところで2人きりになってもどうしたらいいやら……な清田さん。そうした小さな差がフラートのあるなしを左右する!?
セックスはフラートの関係に影響を及ぼすのか
エピソード2「半年ぶりのキス」
付き合ってないけど時々キスしたりセックスしたりする男友だちがいます。セフレでは?とも思うのですが、頻度も少ないのでもはやセフレでもないなと。ただの飲み友達。そんな中途半端な飲み友達と先日オールして、路上でキスされた思い出。半年ぶりのキス。めちゃくちゃ興奮しました。
ここでは「セックスの有無とフラート」についての考察がありました。この投稿の男女は、すでに肉体関係がありながらも、ふいのキスにドキドキ。そんな2人の関係は、「セフレ」ではなく「フラート」なのではないか?という話に。
清田:セフレという関係は、2人で会うということの中に「セックス」が組み込まれていることを意味するのだとしたら、この2人の関係にそういった約束は存在していない。その“不確実性”みたいなものがポイントかもね。というのも、フラートって「あるかないかわからない」みたいなところから生まれやすいんじゃないかと思っていて。
ワッコ: “なんかあっかも感”が大事ってことですよね。
清田:セフレだと、そういう不確実性はやや弱まる。
森田:つまりこの2人は「セフレ」じゃなくて「セックスのある友達」ってなんじゃないかなと。
ワッコ:なんだよー! その友達ー!
(会場笑)
森田:冒頭で説明したように、フラートはセックスを伴わない関係のことを指すことがほとんどなんですけど、それでもこの話はフラート以外のなにものでもないなって思うんですよ。
セックスの重さって、人によって違いますしね。この方の場合は、セックスするかしないかはあまり重要ではないんじゃないでしょうか。目の前に来た「波」に乗ることをただただ楽しんでいる印象を受ける。
会場からはこの話を受けて別のエピソードも。すでに肉体関係のある相手と、お互い「今日はするのか、しないのか」を探り合い「あえてのフラート状態」を作り出しているという方が登場します。
ワッコ:上級者すぎる……フラートクリエーター?
参加者:今日すると思ってるでしょ、しないからね。バイバーイ。みたいなのを、お互いにやりあっている。するときはするんですけど(笑)。
ワッコ:ジャズじゃん。セッションじゃん……。
森田:たしかに、コントロールできない部分がある、というのも、フラートの重要な要素な気がします。相手の意思もありますし。
清田:そこでやらないっていうのが、野暮じゃなくていいんだろうね……。きっと俺が同じ状態になってたら「え、帰るの?」みたいな、“セックス貧乏性”みたいなところが出ちゃってフラートは発生しないと思うので(笑)。
エピソード3「女である自覚」
2年ほど付き合った恋人とマンネリな時に上司と惹かれあって、付き合いはしないもののフラートに。あまりにマンネリだったため、自分は恋愛感情というものを今後抱かないと思っていたので、それを味わえただけで自分の可能性みたいなものを感じてしまい、彼氏との別れを決意してしまいました。かと言ってその上司と付き合うわけでもないんですが……フラートによって女である自覚を再び持てたような気がします。
森田:フラートによるエンパワーメントですよね。『モテすべ』の中でも、似たエピソードが出てきました。
清田さんの知り合いの女性もバーに行って男性たちの視線を感じながら「自分もまだまだいけるぞ感」を抱いて、何もせずに帰ったりするのだそう。自分を異性として見てくれない人といすぎて、自分の魅力を信じられなくなってきた人のスイッチを思わぬ形で押してくれる・・・・・・これもフラートの力なのかもしれません。
そのほかにも、男友達とひょんなことから男女を感じ合うようになってしまったがその後疎遠になってしまった、自分は恋愛のつもりだったけれど相手からしたらただのフラートだったのだろうか、そういう「心の機微」のない自分を責めてしまうというお話を打ち明けてくださった参加者もいました。
清田:自分も似たような経験をしたことがあるのでわかる気がします……。フラートというのは、両方の思いが一致してはじめて成立するものということなのかもしれないね。
森田:お互いの気持ちに差があったことが悲しい、ということはすごくわかります。それは、多くの人が経験したことがあるんじゃないでしょうか。ただ、「相手からしたらフラートだったのか」どうかは、本人でなければわからないことなので、なんとも言えません。相手の男性もいわゆる「恋愛」のつもりで進めていたけれど、途中で引き返してしまったという可能性もありますし。その場合は、「心の機微」みたいな話ではないですよね。あるいは、友達であることを優先したのかもしれない。これは答えの出ない問いだと思います。
清田:フラートといわゆる「恋愛」は二項対立するようなものではなく、境目が曖昧なグラデーションの関係だしね。フラートな関係からお付き合いが始まることだってあるわけで。
森田: お二人の間には色気はあるけれど曖昧な空気があったんだろうなと思うのですが、おそらく相手の男性もその関係をどうしていくか、悩んでいたのではないでしょうか。当たり前の話ですけど、相手の気持ちについてはどうしようもない場合があって、そこは本当に難しいなと思います。
フラートは「中動態」
この日はたくさんのエピソードが寄せられ、そのどれも、投稿者の方々の想いやドキドキ、そして迷いなどを感じられるものばかりでした。
最後に、桃山商事の3人からコメントをいただきました。
森田:みなさんからいろいろなエピソードを聞いていて、自分でコントロールできない部分があるという点がフラートのひとつの特徴なのかなと思いました。状況や雰囲気、あるいは思ってもみない相手の行動なんかも含めて、ふっと訪れた波に乗る楽しさをみなさんのエピソードから感じて、めちゃくちゃ興味深かったです。
ワッコ:自分には“メスみ”というか、色気のようなものがないから、フラートな出来事が起きないんだと思っていたんですが、みなさんのエピソードを聞いていたら、フラートがあることで、自分の中にあるメスみに気づく場合もあるんだなぁと。
清田:哲学者の國分功一郎先生が書かれた『中動態の世界』(医学書院)という名著があるんですが、もしかしたらフラートって、「中動態」的なものではないかと感じました。中動態というのはかつて存在していた、「能動態」とも「受動態」とも異なる動詞の“態”で、「する/される」では語ることのできないものを表現するための文法だと言います。
動詞って一見、能動態と受動態の2つですべて説明できると我々は思っているけれど、たとえば「誰かを好きになる」という動詞は能動態だけれど、「好きになるぞ!」と思えば好きになれるわけではありませんよね。「好き」という気持ちが自分の中に発生したときに初めて誰かを好きになることができる。こういう状態を表現できるのが中動態なんだそうです。
フラートもそれと同じで、「自分からフラートをしてやる!」という能動態のものではないし、かと言って相手からのアプローチだけでも成立しない。二人の間にフラート的なものが発生することによって初めて生まれるという、極めて中動態的なものなんじゃないかと感じます。
森田:「能動態か受動態か」もそうなんですけど、「0か1か」とか「Yes or No」みたいにパキッと分かれているものは分かりやすいですよね。それは恋愛でいうと「付き合う or 付き合わない」とか「セックスする or しない」みたいなことで。でも本当は、その間にいろいろなグラデーションがあって、その淡いものを楽しむっていうのが、フラートなんじゃないかと思ってます。
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桃山商事『モテとか愛され以外の恋愛のすべて』を読みながら、煮え切らなかったあの出来事や、誰にも言えない“アガる”思い出、「あれってなんだったんだろう」の疑問をもう一度堀り直してみてはいかがでしょうか。もしかするとそれ、あなたにとっての素敵な「フラート」エピソードかもしれません。