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太田愛さんインタビュー 「今これを書かねば」との思いで小説を書いてきた 「カドブン ノベル」の新連載『彼らは世界にはなればなれに立っている』もスタート

文:篠藤ゆり 写真:家老芳美

「始まりの町」で起きる事件の行く末は?

――「おまえの体にはこの町の人間の血が流れている。始まりの町に生まれた者の誇り高く勇敢な血だ」。そんな台詞から、今作『彼らは世界にはなればなれに立っている』は幕を開けますね。

 まず、舞台となる町にある人物が帰郷したところから物語は始まります。そして、その人物が少年時代に体験したひとつの事件が回想されます。その事件と深いところで共振するような形で、次の事件、もうひとつの事件が起こっていく。それぞれの事件を当時者が一人称で語るという形で、物語が進んでいきます。
 最終的に、冒頭の彼がどのような形で帰郷したのかが明らかになっていく。同時に「始まりの町」がどのような方向に向かうのか、行く末が示せればいいなと思っています。

――舞台は架空の町で、時代も曖昧です。一見、寓話的な設定にしたのは、どういう理由からでしょう。

 前作の『天上の葦』を書くにあたり、戦争中の新聞をつぶさに読みました。書き進める中で、今、もう少し進むと足の下の地面がなくなるような危うい縁に来ているのではないかと何度も認識し直して――。
 次作は危うい縁を転げ落ちた先、しかもそれが日常になっている世界の中で、人々がどんなふうにもう一度世界を取り戻すのか。そういうものを描けたら、と思いました。そのためにどういう設定が一番いいのかと考えた時、自然とこういう形に行きつきました。

――その町では、代々そこに住む血筋の人と、よそから流れ着いた「羽虫」という名で呼ばれている人たちがいる。つまり、差別の構造があるわけですね。

 かつて人々は大きな犠牲を払い、差別と排除を克服しようとしてきたかに見えた。少なくとも、克服すべきものであるという了解のもと、やってきたと思います。それがここ数年、差別と排除、それによる分断が、世界中に広がりつつある。まるで身体の中にずっと温存されていたものが、苛烈な病のごとく皮膚の上に顕在化しているような印象を受けます。
 今ある状況と、かつてそれが猛威を振るっていた状況と、本質的に通底するものがあるのではないか。それを小説という形で掴みとりたいという気持ちで、書いています。

――タイトルは、詩人パウル・ツェラン(※注参照)の詩から取られているそうですね。日本ではあまりポピュラーではない詩人ですが。

 「彼らは世界にはなればなれに立っている」という言葉は、パウル・ツェランの『夜ごとゆがむ』という詩の一節です。その詩には、たくさんのユダヤ人が立ったまま凍死しているというイメージが描かれている。初めて読んだ時、深く頭を垂れるような思いを抱き、今回、タイトルとしてぜひこの詩の一節を使いたいと思いました。

※パウル・ツェラン(1920-1970)
 旧ルーマニア領(現在はウクライナに属する地域)出身のドイツ系ユダヤ人の詩人。ナチス・ドイツの侵攻によりゲットーに移住させられ、両親ともに強制収容所で死亡。戦後ブカレストで暮らすが、48年にパリに亡命する。20世紀を代表する詩人のひとり。

硬派のテーマ、あえてエンターテイメントに

――『犯罪者』『幻夏』『天上の葦』のシリーズは、手に汗を握るスピーディーな展開が魅力で、熱狂的なファンも多くいます。違う路線の作品を書くことに不安はありませんでしたか?

 『犯罪者』では企業や組織対個人、『幻夏』では司法システム対個人、『天上の葦』では国家対個人というふうに、1作ごとに少しずつ枠を広げてきましたが、いずれの作品も〝今これを書かねばならない〟と思って書いてきました。今回の作品に関しても、まったく同じです。ですから、今までのシリーズを楽しんでくださったファンの方には、必ず伝わると信じています。
 また、この作品で初めて出会う読者の方々がもし面白いと感じてくださったなら、過去の作品も楽しんでいただけるのではないかと思っています。

――3作のシリーズでは、立場も年齢も違う3人の登場人物に魅せられている人も多いのでは。ハラハラしながらも最後はカタルシスを得られることも、人気の秘密だと思います。

 『天上の葦』に寄せられた若い方の感想を読むと、戦争が描かれているものは苦手だけど、大好きな登場人物たちに強引に連れていかれて読んだ。読んでよかった、といった内容のものが多く、嬉しかったです。新作では、彼らは登場しませんが、読んでいただいて、そこに出てくる人々を同じように好きになってもらえるのではないかと期待しています。
 硬派のテーマをあえてエンターテイメントの形で書くのは、広く多くの人に読んでもらい、知ってもらいたいという思いからです。容易に希望を口にすることができない時代ですが、『彼らは世界にはなればなれに立っている』でも、希望を見つけることができれば、と思って書いています。

ドラマの脚本と小説の違いは?

――初めて小説を書こうと思ったのはいつ頃ですか?

 つい最近、実家の物入れを片づけていたら、オープンリールのテープレコーダーが出てきて。まだ字が書けない頃の自分が空想した物語が録音されていました。たどたどしくも、喋りながら展開を考えているらしく、いろいろな意味でスリリングでした(笑)。
 小学校高学年くらいからは、書き散らす、という感じで。書く内容も年代によって変わり、高校時代はきわめて個人的なことを書いていたので、恥ずかしくて誰にも見せられず(笑)。大学時代は〝世界をつかまえたい〟という思いで書いていました。ただ、構想が長大すぎて、なかなか最後までいきつけませんでしたが。
 大学卒業後は脚本の道に進みましたが、小説を書くのは生活の一部といった感じなので、ずっと続けていました。ちょうど『犯罪者』を書いている途中で、ドラマ「相棒」のシリーズに参加することになりました。

――ドラマの脚本と小説との共通点、そして相違点は?

 脚本はどんなに読んで面白くても、撮影が可能でないと使い物になりません。たとえば予算配分や、俳優さんのスケジュール、ロケ地の条件など、現実的な制約とどう折り合いをつけるか、話し合いながらリライトを重ねていきます。ですから、プロデューサーの皆さんや、監督、スタッフ、キャストの皆さんの力でひとつの映像作品としてできあがったときには、チームの一員としての喜びがあります。
 一方で、そういう枠のないところで、ひとりで小説でしかできないものを書きたいという気持ちも強くなっていきました。躊躇せずに題材を選べるのも、大きな魅力ですね。

誠実に苦しむことで先に進める

――太田さんの書く小説や脚本に対して、「女性なのに骨太だ」と評する方もいるようです。そのことに関しては、どう思われますか?

 その方が男性であろうと女性であろうと、おそらく褒め言葉としておっしゃってくださっているのだと思います。ですから「女性なのに」と言われることは気になりません。
 ただ、属性に対する概念は、一歩間違えると、たとえば「日本人なのに」「アメリカ人なのに」、あるいは「黒人なのに」「白人なのに」といった具合に、容易に広がりうるものだと思います。そして「○○なのに」が「○○のくせに」になった時、悪意や強い強制力、あるいは暴力性に結びつく情動を誘いかねません。
 私自身、ふと日常のなかで「○○なのに」と思ったら、本当にそれは「○○のくせに」に滑り落ちないものであるかどうか、その認識は正しいのかどうか、疑うことが大切なのだと思っています。

――作品を描くごとに扱うテーマが大きくなっています。この先、どこに行くのでしょう?

 それは誰より、私自身が見てみたいですね。これを書くことで、自分がどこまで行けるのか。その時、何が見えるのかは、まだ想像がついていません。

――最後に、小説を書くことは楽しいですか? それとも苦しいですか?

 苦しくて楽しいです。どこまで誠実に苦しめるか。それなしには、先に進めない気がします。

●太田愛さんの新連載『彼らは世界にはなればなれに立っている』が読める「カドブン ノベル」2月号のラインナップ

【小説】
赤川次郎/綾崎隼/王谷晶/太田愛/櫛木理宇/河野裕/小林泰三/月村了衛/中山七里/藤井太洋/藤野恵美/増田俊也/三羽省吾/宮木あや子/夢枕 獏/米澤穂信/渡辺 優

【エッセイ・コミック】
今野敏/酒井順子/井上純一/オカヤイヅミ