昔から恋愛がピンとこなかった
——『結婚の奴』では、ゲイライターのサムソン高橋さんとの「恋愛感情抜きの結婚」について綴っています。能町さんがこの結婚を思い立った経緯を教えてください。
もともと昔から恋愛がピンとこなかったんですよ。だから誰かと恋をして結婚をするのは自分にはないなと思っていたんですけど、数年前に突然「恋愛をすっ飛ばして結婚したい」という気持ちが湧き上がってきて。
当時は一人暮らしの怠惰な生活に嫌気がさしていたんですよね。掃除や自炊を極限までさぼったり、朝までだらだら仕事をしたりする日々に疲れて、誰かと同居すれば仕事や生活を立て直せるんじゃないかと思っていました。でも、仲のいい女友達はだいたい結婚していてルームシェアは難しいし、かといって男性と一緒に暮らして恋愛めいたことになるのも避けたい。そこまで考えたときに「絶対に恋愛に発展しないゲイ男性と結婚すればいいのでは」とひらめいて、サムソン高橋さんが思い浮かびました。
その頃サムソンさんとは友達ですらなく、Twitterで少し交流がある程度。でも、Twitterやライターとしての文章から、気があうだろうなと感じていました。私がTwitterでサムソンさんのことを「偽装結婚の相手として最高」と冗談っぽく書いたら、すぐに「お互い道に迷ったらぜひ!」と返事が来て、少しずつ距離を縮めていきました。
——本の序盤では、まさにそんなサムソンさんと距離を近づけていく場面が描かれています。SNS上の駆け引きや初デートでの相合傘など恋愛っぽいシチュエーションを楽しみつつ、恋愛感情が生まれないことを確かめているようでもあって、読みながら不思議な感覚になりました。
まず恋愛にはならないと思っていたけど、最初は確かめていたところもありましたね。ただ同時に、自分は恋愛っぽいものは好きなんだなと思いました。
——恋愛は苦手だけど、恋愛っぽいものは好きということでしょうか?
恋愛だと、相手がどう思っているのか気にしすぎてしまうし、そもそも誰かを好きになる気持ちが薄いので、だんだん嫌になってくるんですよ。これは本当に相手のことが好きだからやっているのか、ただ恋愛をなぞっているだけなのか、よくわからなくなってくるというか。
でも、サムソンさんとの間には恋愛感情は発生しません。恋愛感情なしという前提に立つと、その形式だけ真似るのを楽しめたんです。
恋愛は感情だけど、結婚はただの制度
——本の中では、ご自身の過去の経験をさかのぼって恋愛観を掘り下げています。恋愛がピンとこないという感覚はいつ頃からあったのでしょうか。
小学生くらいの頃から「なんでJ-POPのヒットソングは愛だの恋だの歌ってばっかりなんだろう」と思っていました。
小さい頃はその程度でしたが、大人になるとみんなが楽しそうに恋愛をしているのに、自分だけが楽しめないことがコンプレックスになってきて。みんなが恋愛について語るときのような、実感の込もった気持ちが自分にはまったく湧き上がってこない。ちょっとやってみても、無理やり好きな人を作ろうとしているように思えて、そういう自分を気持ち悪いと感じていました。
——能町さんがはじめて付き合った男性、相磯さんとのエピソードも書かれています。相磯さんはインターネット黎明期に掲示板で出会った男性ですが、能町さんは相手を見定めるというよりは、最初から「付き合う」ことを目的に行動しています。冴えない容姿や、足の踏み場がないほどゴミが散乱した相磯さんの部屋に強い抵抗を感じつつも、付き合うという目標を頑なに崩しません。
「ときめく」ってどういうことか今でもよくわからないけど、このときはどうにかしてそれをわかろうともがいていた時期でした。そのときに出会っちゃったのが相磯さんだった、という感じです。
客観的に見ると、絶対に付き合っちゃいけないと思うんですよね(笑)。友達がこんなことになっていたら、止めるか引くかすると思うんですけど。でも、なんで私が相磯さんと付き合ったかを思い返してみると、自分の中ではある程度理屈が通っている。ここではそのことをなるべく忠実に書きました。
——読みながら能町さんの過去作『ときめかない日記』を思い出しました。『ときめかない日記』は恋愛感情が湧かず、誰とも付き合わないまま生きてきた26歳の主人公が、焦ってセックスをしようと迷走する漫画です。
『ときめかない日記』に出てくる「はぎさん」は、まさに相磯さんがモデルですね。あの漫画のもとになった経験を、今回は実体験として書いたともいえます。
——こうした試行錯誤を経て「恋愛感情抜きの結婚」にたどりついたと思うと重みがあります。
とにかく、恋愛だけがよくわからないんですよね。でも、恋愛は感情なのに対して、結婚はただの制度。それだったら抵抗なく受け入れられました。
以前、友人が「恋愛は結婚に向いていない」と言っていて、本当にそうだなと思ったことがあります。恋愛という感情は、結婚という制度を永続させるにはすごく邪魔なものに思える。両立させている人はたくさんいると思いますけど、なんでみんなそんなことができるのか不思議だし、すごいな、と思います。
「作家は不幸なほうが面白い」に抗って生きる
——本の中で特に印象に残ったのが、2016年に亡くなった雨宮まみさんについてのエピソードでした。「こじらせ女子」という流行語の生みの親としても知られ、現代女性の生きづらさと向き合い続けた雨宮さんの突然の死に対して、怒りのような感情を綴っています。
あの部分は、雨宮さんがああなってしまった直後に自分のブログに書いていた文章があって。それを生かすというと変な言い方なのですが、もっとちゃんと残したいという気持ちがありました。
本にも書いていますが、私と雨宮さんは以前トークショーで「幸せになって『つまんなくなった』と言われよう」という話をしていました。
世間では「作家は不幸なほうが面白いものが書ける」とよく言うけど、それがすごく嫌でした。別にわざわざ不幸を求めているわけじゃなくて、たまたまあんまり幸せを感じていないからそれを仕事に落とし込んでいるだけで、幸せになりたくないわけじゃない。
そういうことを言う人へのあてつけとして、雨宮さんと「幸せになってつまんないものを書こう」と言っていたし、私なりにそれを実現するために、サムソンさんとの同居を結婚だと言い張っているところもあります。雨宮さんの存在と、私の結婚は密接につながっているんですよね。
だから本の構想段階から、雨宮さんのことは書くつもり満々でした。怒りのような文章になったのは、そんな話をしていたのに突然いなくなってしまった雨宮さんに失望した気持ちが強かったからかもしれません。悲しいって感じではなかったんですよね。
——葬儀の場面でも、手を合わせたり献花したりすることなく心の中で毒づき続けています。
悲しむのって、納得していないとできないんじゃないかと思います。もう高齢のおじいちゃんおばあちゃんならわからなくないけど、まだ若い人がいきなり亡くなったのに、みんなでしくしく悲しんでいるのはすごく違和感がありました。泣くための儀式に沿っているだけのような、あらかじめ決まった茶番をこなしているように見えちゃったんですよね。
——恋愛感情のわからなさをうやむやにしないのと同じように、故人を悼むときにも自分の感情を貫き通すんだなと感じました。現在は、雨宮さんに対してどんな気持ちを抱いていますか。
今はあの頃の激怒のような感情はないですね。ただ、悲しいか怒りかで言ったら、どちらかというと怒りかな……悲しみに変わっていくこともまだなさそうです。
当時はそう思いませんでしたが、私の雨宮さんへの感情は恋愛だったのかなと思います。だからあのとき、憎しみのような強い気持ちになった。あれは一種の失恋だったのかもしれません。
幸せだけど、ルサンチマンはなくならない
——結婚されて2年ほどが経ちますが、今、能町さんは幸せだと感じていますか?
そうですね。自分の人生の中で、わりと幸せな状態だと思います。
——「幸せになってつまらなくなったと言われたい」という目標は達成できましたか。
客観的に見てつまらなくなったかはわからないですけど、これまでのような恋愛のルサンチマンをテーマにしたものは、もう書かないと思います。
例えば、この取材を受けているのは12月24日の夜ですけど、以前だったら帰り道に幸せそうなカップルを見かけたとき「けっ」と感じたと思います。今はそういう感情は本当になくなりましたね。
でも、ルサンチマンが一切なくなったわけでもありません。若い子が楽しそうにしているのを見てもなんとも思わなくなったけど、自分に近いものを感じていた人が結婚すると「あ、この人は恋愛で結婚したんだな」と変なショックを受けたり。恋愛結婚した人を否定したり、敵視したりする気はないはずなんですけどね。
そもそも「わりと幸せ」というのも、「同居人がいて生活が整って、比較的精神が安定している」というくらいのものなので。典型的な恋愛結婚で、本当にお互い大好きで、みんなに祝福されて結婚して……みたいな人がいまだにどこかで「正しい」と思ってしまうので、それに匹敵するほど客観的に幸せかはわからないです。
——世間的に恋愛結婚こそが最高の幸せという風潮がある中で、それとは違う幸せを探して、生活を作っていった能町さんの姿に勇気付けられる読者は多いんじゃないかと思います。
そうだとありがたいですね。
家族になっていくことには不安もある
——ところで、サムソンさんからは本の感想は聞きましたか?
いえ、多分読んでいないと思います。……というか、あんまり読んでほしくないですね。親に自分の本を読まれたくないのと同じ感覚です。
最近、ちょっと家族化してきたんですよね。サムソンさんはハッテン場(主にゲイ男性が性行為などを目的に集まる匿名的な空間のこと)によく行くんですけど、私は当然行ったことがないから興味があるんですよ。でも、聞いても「なんか妹とかお母さんに話すみたいで恥ずかしい」と言って教えてくれなくて。ああ、向こうも家族化しているんだなと思いました。
——家族化していくことは、能町さんにとっては良いことですか?
うーん……自分でもよくわからないですね。例えば向こうが大病をして、介護が必要な状態になったときに、私が世話するかというとわからないんですよ。逆に私がそういう状態になっても、それを負わせるのは申し訳ないと思ってしまう。「ちゃんと看取らないと」となっていくのはちょっと怖いし、どこまで家族化していくのかは不安もありますね。
——老後のことなどを考えると、結婚や家族の重みがまた変わってきますね。ちなみに、入籍はされているのでしょうか。
籍は入れていないです。私は法的な問題からしたほうがいいんじゃないかと思っていたんですけど、サムソンさんはあまりその気がないみたいで。私もこだわりがあるわけではないので、入れないままですね。だから今は「内縁の妻」みたいな関係です。
——古風ですね(笑)。最近は生活の中で面白いことはありましたか。
ビッグニュースは猫を飼ったことですね。私は自分でペットを飼った経験がなくて、飼いたいと思いつつもかなり慎重だったんです。それに、生き物の命に責任を持つことになるから、サムソンさんとの関係性も変わってしまうんじゃないかと思っていました。
だからサムソンさんにも何度も相談して、最終的には「あんたが世話するならいいよ」とお母さんみたいなことを言われて許可を得たんですけど(笑)。びびりながら飼ったわりに、案外普通に飼えているんですよね。サムソンさんとの関係も変わりませんでした。「インスタにアップして金稼ぐ」とか露悪的なことは言いつつも、可愛がってくれています。猫が来ていっそう結婚っぽさが増した気がしますね。
自分が結婚だと言い張れば、こっちのもの
——最後に、『結婚の奴』というタイトルについて教えてください。ウェブ連載のときは「結婚の追求と私的追究」というタイトルでしたよね。
冒頭で、サムソンさんとの同居初日に私がいきなり水状のウンコを漏らすんですよ。そんなふうに前半は笑える話や穏やかなエピソードが続くので、逆にタイトルは堅苦しくしてみようという遊び心で、「結婚の追求と私的追究」という論文みたいなタイトルにしました。
でも一方で、「新婚ハッピーエッセイ!」みたいな雰囲気も出したくて。それで、各章のタイトルは「ジェラートピケ」「ハーゲンダッツ」みたいに7文字のカタカナを続けていきました。
——本の装丁にも使われていますよね。
そうですね。ちなみに、連載時は「ソファーベッド」のように一般名詞も混ざっていたのですが、時代の空気感が伝わるかなと思って書籍化の際に固有名詞の章題に統一しています。
連載を続けるうちに「結婚の追求と私的追究」というタイトルがちょっと合わない気がしていたし、このカタカナ7文字が気に入っていたので、当初は『ジェラートピケ・ストロングゼロ』というタイトルにしようと思っていました。最初と最後の章題をくっつけたものです。でも、それは商標上の問題で難しいと言われてしまい……。
困っていたときに、友人に「あの結婚のやつ読んでるよ」と言われて、「『結婚のやつ』って良いな!」と思ったんです。このときはひらがなの「やつ」だったけど、「奴」と漢字にしてみると、いろいろな意味が浮かんできます。結婚について書いた「奴」、愛憎入り乱れた呼び方としての「奴」、結婚という制度や概念に取り憑かれた奴隷という意味の「奴」。さらに「ケッコンノヤツ」とカタカナで書くと7文字です。これだと思って『結婚の奴』というタイトルが決まりました。
——すごく色々な意味が含まれているんですね。私は最初は結婚に対して構えていたから堅いタイトルだったのが、連載を通じて心境が変化して、「奴」と呼べるようになったのかなと思っていました。
たしかに、「結婚なんて大したことじゃない」と言いたい気持ちもあるんですよね。大変なことだと思っているからこうして執着しているんだけど、「結婚も離婚も簡単にやってやるよ」とも思っていて。相反する気持ちがあったうえで、それでも軽視してやろうって意味での「奴」でもありますね。
書いているときからずっと考えていたのは、結婚という概念をぶち壊してやろうということ。みんなもっと気軽に結婚して良いんじゃないかなって思います。私も法的には結婚していないし、同性だろうと3人以上だろうと、自分が結婚だって言い張ればきっとこっちのもの。そうやって結婚への固定観念をどんどん変えていきたいという気持ちがあるので、そんなことを頭の片隅に入れて読んでもらえたらうれしいです。
「好書好日」掲載記事から