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凪良ゆうさんが読んできた本たち 作家の読書道:第214回

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漫画家になりたかった

――いちばん古い読書の記憶を教えてください。

 小さい頃から漫画が大好きでした。親も「気がつくと漫画を読んでいた」と言っているので、たぶん、いちばん古い読書というと漫画だと思います。もともと漫画家志望だったんです。

――そうだったんですか。それは家に漫画があったということでしょうか。

 姉が2人いて、それぞれが雑誌も買ってくるし、図書館でも借りてくるしで、そういうものを読ませてもらっていたんだと思います。一番上の姉は少女漫画などの女性向けの漫画が好きで、二番目の姉が少年漫画とミステリ系の小説が好きで。だから少年漫画も「ジャンプ」も「サンデー」も「マガジン」も揃っていました。「チャンピオン」もあったかな。姉の影響で、小学生の時に一番熱狂したのはたぶん、『ベルサイユのばら』。『リングにかけろ』とかも好きだったかな。漫画はまんべんなく読んでいましたね。

――お姉さんたちとはどれくらい年齢差があるのですか。漫画を読んでいても怒られない雰囲気のおうちだったのでしょうか。

 一番上が10歳上で、二番目が5歳上なんです。5歳ずつ離れているんです。
 親がまったく本を読まない人たちだったので、普段は放っておかれるんですけれど、あまりにも増えすぎて家がすごいことになると、大噴火みたいな感じで怒られて(笑)、それまでの本を全部バーンと捨てられたりして。たまっては捨てられ、たまっては捨てられの繰り返しでした。

――二番目のお姉さんのミステリ小説好きの影響は受けなかったのですか。

 全然受けなかったです。私もアルセーヌ・ルパンのシリーズとか、江戸川乱歩のポプラ社のシリーズは読んでいたんですけれど。

――なるほど。さきほど漫画家志望だったとおっしゃっていましたが、小さい頃から自分でも描いていたんですか。

 ずっと描いていました。小学校で漫画クラブに入ったんですが、そこは読むクラブではなく、描くクラブだったんです。今考えると全然つたないんですけれど、漫画みたいなことを描けるのが楽しかったんですよ。ただ、描き切るということができなくて、だいたい5ページとか6ページ分くらい、自分の好きなところだけを描いて終わるという。
 記憶に残っているのは、宇宙船が壊れて「私はこれから一体どうすれば」という場面3ページくらい描いて終わっているものです(笑)。

――学校の国語の授業は好きでしたか。

 好きでしたね。好きというか、なんだかよく分からないけれど得意だったんです。すごく嫌な言い方になるんですけれど、他の教科全滅だったのに、国語だけはスッと頭に入ってきたんです。苦も無くできるものって、大概子どもは好きになりますよね。
 一度、登校する前に「感想文の宿題出てたの忘れてた」と気づいて、5分くらいでババババッと書いたことがあったんです。心にもない感動路線みたいなことを、先生に受けるために書いて。それを提出したら「とても良かったのでクラスの代表として読んでください」と褒められてしまい、「自分は嘘をついた」って子ども心に罪悪感が芽生えました。
 逆に怒られることもありました。一生懸命書いた卒業文集の文章を「子どもらしくないから」って言われて、書き直しさせられました。
 だから、国語の授業自体は好きだったんですけれど、文章で何かを書くことについてはその二つの、あまりよくはない記憶があるんです。

――今振り返ってみるとどんな子だったのですか。活発だったのか、それとも目立たないようにしていたのか...。

 全然目立たないです。ずっとクラスの隅っこで絵を描いている子っているじゃないですか。そういう感じでした。

――では、放課後もおうちに帰ってずっと漫画を描いていたりとか。

 そうですね。漫画を読んでいるか描いていました。

二次創作を始める

――中学生になってからはいかがでしょう。

 ずっと漫画が好きだったんですけれど、中学に上がると友達から氷室冴子さんを薦められて。それまでも『赤毛のアン』とかは好きだったんですけれど、小説ってこんなに身近で面白いんだと思ったのは、氷室さんが初めてです。

――『クララ白書』なのか『なんて素敵にジャパネスク』なのか...。

 『なんて素敵にジャパネスク』がすごく人気だったんですけれど、私は『クララ白書』から『アグネス白書』、それと『シンデレラ迷宮』が大好きでした。他の作家のコバルト文庫もたくさん読ませてもらったんですけれど、やっぱり記憶に残っているのは氷室冴子さんですね。

――漫画を読んで自分でも描きたくなったように、少女小説を書いてみたくなったりはしませんでしたか。

 あ、そのくらいになるともう、漫画で投稿を始めていたんですよ。プロになりたいと思っていました。全然ダメだったんですけれど。だから、「いつ作家になりたいと思ったんですか」とよく質問されるんですけれど「小説家になりたい」と思ったことは小さい頃から一度もないんです。

――投稿されていた漫画はどういう作品だったんですか。

 「マーガレット」に投稿していたので、少女漫画でした。

――作風とか画風に影響を受けた漫画家の方はいましたか。

 投稿していた時期か、もうちょっと後かもしれないんですけれど、楠本まきさんの絵には影響を受けました。『Kissxxxx』という漫画があって、物語的なものは特にないんですが、とにかく絵が美しいっていう。当時、あの絵を真似する人は多かったと思います。
 ただ、ずっと好きなのは大島弓子さん。全部好きなんですけれど、衝撃を受けたのは『ダリアの帯』という、女の人が少しずつ精神を病んでいく話なんです。みんながその主人公のことは「頭がおかしい」という扱いをするんですけれど、最終的には「おかしいのは僕たちのほうじゃないのか」みたいな問いかけを含んだ話で、そういう話をそれまで読んだことがなかったので、すごく考えさせられたというか。私が今まで信じていたものは正しくないのかもしれないとか、そういうことをはじめて考えさせられた漫画です。

――そういう価値の反転をはじめて体験すると衝撃を受けますよね。

 氷室さんの『シンデレラ迷宮』とかでも、孤独とか、「男性に幸せにしてもらおうなんて、思っても叶わないわよ」みたいなことが描かれていて、その時も読んで結構、「ほう」と思いました。

――漫画を投稿する際に、物語づくりでは苦労はありませんでしたか。

 特にはなかったです。あの、腐女子だったので、すでに。自分の好きな作品とかアニメとか、そういうものの二次創作的なこともたくさんやっていたので。

――おお、すでに。二次創作を始めるきっかけって何かあったんですか。

 たぶん、「花とゆめ」。唯一、姉ではなく自分がお小遣いで買っていた雑誌だったんです。今どうなっているのか分からないんですが、当時の「花とゆめ」は普通に男性同士のカップルとか性描写が雑誌の中に入っていたんです。そういうのを小学生の時にもう読んでいたので、全然抵抗がなかったのかもしれませんね。

――世の中に二次創作というものがあるというのも、すでに知っていたわけですか。

 本屋さんにアニメ雑誌とかがたくさんあって、そういうのを見ていると、読者がアニメの絵を真似したイラストを投稿するコーナーがあるんですよ。「ぱふ」という雑誌なんかは、本当に同人誌をそのまま紹介しているようなコーナーがあって、「ああそうなんだ、そういうものがあるんだ」って。それが中学生だったんじゃないかな。あとは友達に教えてもらったりとか。

――なるほど。それで二次創作をはじめ、その後オリジナルで書き始めて。投稿してみて、いかがでしたか。

 せいぜいAクラス賞とかだったんですが、それでも編集者さんから短いコメントがもらえるんです。とっても厳しくも温かいコメントなんですが、まあ子どもが見ると厳しいんですよね。やっぱり真剣に書いてくださるので、10代の子が読むと立ち直れないくらいで。もう、傷ついたし、泣きましたね。その後しばらく投稿しなかったかもしれない。私なんか全然ダメだというのがよく分かったので、簡単に心もポキッと折れちゃったんです。

――そんなことが...。

 投稿でポッキリ折れた気持ちがまた二次創作のほうに向かいました。「ちょっとこっちで心を癒やそう」みたいな。その頃、田中芳樹さんの『銀河英雄伝説』とか『創竜伝』とかも好きで読んでいたんですけれど、その二次創作をしていましたね。

――ああ、「銀英伝」がお好きだったのですか。

 最初にアニメを見て。それでめちゃくちゃ面白いと思って、小説が原作なんだと知って、読みたいと思って、読んだらすっごく面白かったんで。『創竜伝』はその流れで読みました。

――ほかにどんな小説を二次創作していたのか......いや、二次創作していなくても好きだった作品は。

 小学生くらいの時にはまっていた『リングにかけろ』は全然二次創作じゃなくて、漫画として面白いなと思っていただけで。でも「ジャンプ」で同じ車田正美さんの『聖闘士星矢』の連載が始まった時には「おう」っていう。王道路線で『キャプテン翼』も好きでしたし、そこらへんはきっちり順序は踏んで。

執筆を再開するまで

――順序は踏んで、二次創作で漫画を描き続けて......。

 でもそのあと音楽のほうにハマってしまったんです。バンドがやりたいけれど、住んでいるところが滋賀のド田舎だったんですよ。だから京都の子と友達になったりして。その頃は漫画を描くのはやめていたし、読むほうも漫画よりも音楽雑誌ばかりでした。結局京都に移り住みましたし。

――音楽雑誌はどのあたりを?

 バンドブーム全盛期と言われている時代で、おたく気質なので、ほとんど全部の雑誌を買っていたような気がします。好きなアーティストの記事は全部、舐めるように読んでいました。

――どんなバンドが好きだったのですか。

 若かったので、ビジュアル系とか。なんか読書道の話になっていないですよね、すみません(笑)。改めてこうやって訊いていただくと、自分は駄目だったんだなって思います......。作家さんを目指している方って、根っこに小説の読書があるじゃないですか。そういう方と自分は全然違うと思っているので、それはすごくコンプレックスです。

――いやいや、小さい頃から読書家の方もいれば、昔は全然本を読んでいなかったという方もいますし、みなさん本当にそれぞれです。では、京都で暮らし始めてからというと...。

 それが10代の終わりくらいからですが、そこから本当に、プラプラ生きていたので、その後も特に小説を読み込むとか、また漫画に戻るとかいうこともまったくなく、読書は10年くらい本当に空白期間があって...。

――ではその空白期間を経て、その後読書を再開したということでしょうか。

 結婚して、その後からですね。全然身にならない読書というのに2年くらい費やしたと思います。暇で暇でしょうがなくて、すぐ近くに図書館があったので、とりあえず目につく本を借りて読んでいました。ほとんど小説しか置いてなかったので読んだのも小説なんですけれども、めちゃくちゃ量を読んだのに、今思い返すとなにも記憶に残ってないんですよ。振り返って「私、なんのために本を読んだのかな」って思うくらい。いちばん本を読んだのがその2年間なのに、不思議です。
 そういうなかである日インターネットを見ていたら、「銀英伝」の記事があったんですよ。「あ、昔好きだった」と思ってなんとなくその記事を読んでいるうちに「銀英伝」熱が甦ってきて、小説をもう1回買い直して読んでいたら、また描きたくなっちゃったんですよ。でも、もうその時には10年以上ブランクがあるので漫画は描けなくなっていたんです。ペンも使えなくなっていたし。でも何か作りたいなって思って、「じゃあ、小説書こう」って、気軽に思って(笑)。

――へええ。そうだったんですね!

 そうなんです。だから、小説を書いたのは二次創作が始まりだったんです。あまりに楽しくてどんどん書いていたんですけれど、誰にも見せたりはしなくて。でも毎日毎日ずーっと書いていたら、「そんなに書くんだったら、投稿してプロになればいいのに」って言われたんです。そう言われて、「そういえば私、昔漫画を投稿していたな」って。でも、投稿したりプロになるのは漫画でしか考えたことがなくて。今書いているものは(原作がある中での)借り物の世界での遊びだと思っていたのにそういうふうに勧められて、「そうか、そういう道もあるんだ」って気が付いたんですよ。そこからオリジナルを書くようになりました。昔漫画で投稿していたので、そのあたりのハードルが低かったんだと思います。

――それでBLの賞に応募したのですか。

 はい。昔読んでいた「花とゆめ」と同じ白泉社から、もう廃刊になっちゃったんですけれど「小説花丸」という雑誌があって、それがボーイズラブ専門誌だったんですよ。やっぱり昔すごく好きで読んでいた雑誌と姉妹っぽいタイトルということで馴染みやすかったんでしょうね。

――投稿されてすぐ入選されたんですか。

 3回目に入選して、そこで担当さんがついたので、まず雑誌掲載を目標に指導してもらうようになりました。オリジナルを書いたのが投稿した3本だけだったので、教えてもらいながらじゃないと何もできなかったですね。

デビューしてからの悩み

――ああ、では「プロになった!」みたいな実感とかは。

 なにもなかったです(笑)。小説を書き始めたきかっけも「銀英伝」の二次創作で好きなキャラクター同士、まあ男性同士の話を書いていたし、投稿するオリジナルのものもその延長で楽しく書いていたので、あんまり自分の中で「作家だ!」というハードルがなかったのかもしれないです。まあ、でも担当さんがつくと全然楽しくなくなっちゃったんですけれど。

――というのは。

 本当にしごかれる。文章から、表現から、ストーリー展開から。とっても厳しい担当さんだったので、プロットが通って書き上げてもすべてに赤が入って、最終的にできあがったものを読んでボツ、とか。「あなたにこれは書けない」と言い切られるタイプの方だったので、そうすると結構心も折れるんです。でも10代の頃は子どもだったので簡単にポキッと折れてやる気もなくなったりしていましたが、その時はもう30歳過ぎていたので、なんとか耐えることができました。何回折られても「頑張ろう」って思えて。

――他の方が書いたボーイズラブ小説を読まれたりはしましたか。

 「花丸」に載っている先生たちの話は読みました。でもやっぱり、木原音瀬さんが一番ガーンときました。「こんなBLあるんだ!」って。
 私が10代の頃に読んでいた時は、まだBLという言葉ができていなくて、男性同士の話は「ジュネ」とかそういう呼び方がメインだったんです。内容もシリアス寄りで、心理描写も深くたっぷりとあって、読後感もビターテイストなものが多かった。30歳過ぎてからもう一回そこに戻った時に、世界がまったく変わっていて驚きました。「ジュネ」から「ボーイズラブ」というジャンル名が変わってるし、登場人物も「受け」「攻め」という呼び方になっているし、テイストも思いきり甘くなっていた。男同士なのになぜかその時は花嫁ブームがきていたり......。「男同士でどうやって結婚するんですか」と担当さんに訊くという、それくらいボーイズラブについて知らないまま飛び込むことになって戸惑うばかりでした。

――そういうなか、木原音瀬さんという方は...。

 そういうブームとは無縁の作風でした。ボーイズラブは恋愛ジャンルなので、最後は絶対にハッピーエンドに着地するんですけど、木原さんの話は甘さがほとんどなくて、容赦なくて最後も手放しでハッピーエンドとはいえない話もあったので、「あ、こんなのも書いていいんだ」って目から鱗が落ちたし、安心もしました。
 自分の書きたい方向が見えたのに、でもその時のブームが花嫁だったので、求められるものは全然違う。はじめて壁にぶつかったんですね。

――なるほど、そういうブームがあるんですねえ...。

 レーベルや担当さんにもよると思うんですが、わたしの場合は縛りがきつくて、デビューさせてあげる代わりに内容は絶対に花嫁もので、本のタイトルにも「花嫁」という言葉を入れること、と言われていたんですよ。「この条件がのめるならデビューさせてあげる」っていう話でした。
 そこで「これを私は書きたいのかな。自分は何を書きたいのかな」と考えたのは、そういう条件を突き付けられた時でしたね。
 まあ、花嫁ものをちゃんと書きました(『花嫁はマリッジブルー』)。ただその時に、条件は全部クリアしつつも、自分のカラーだけはなんとか入れようとがんばって、そこで結構鍛えてもらった気はします。ただ、よく作家さんって「デビュー作に(その作家の)すべてが詰まっている」って言うじゃないですか。あの言葉を見るたびに、「私のデビュー作には詰まってない」と、すごく葛藤が生まれます。

――その束縛みたいなものからだんだん自由になっていけたのですか。

 ラッキーなことに、デビューさせてもらったレーベルが姉妹レーベルを作ることになったんです。デビューしたレーベルは甘め傾向のレーベルだったんですけれど、新しく創刊するレーベルはブラックレーベルといって、重いシリアスでもいいし、どエロでもいいし、なにを書いてもいいって言われて、そこでやっと好きなものが書けたんです。「やっと」と言っても、花嫁もののデビュー作が出た翌年にそのレーベルができたので、結構早く息を抜くことができました。だから、自分では、その2冊目(『恋愛犯 LOVE HOLIC』)がデビュー作なんだって思っています。意地みたいに。

好きな女性作家たち

――そしてどんどん作品を発表するなかで、読書生活はいかがだったのでしょうか。

 やっぱり女性の作家さんを読むことが多かったですね。今でも江國香織さんはむちゃくちゃ好きで。島本理生さんも好きです。最近だと千早茜さんの文章がとてもきれいで好きでした。

――それぞれ好きな作品はありますか。

 江國香織さんだと『ぬるい眠り』と『落下する夕方』。島本さんだと『波打ち際の蛍』。千早さんだとやっぱり『男ともだち』かな。
 『落下する夕方』は、彼氏が他の女の人のことを好きになったと言いだすんですが、その女性が自分のマンションに居候するという。とんでもない話だと思いましたが、でも、読んでいて全然嫌な感じじゃなくて、逆にすごく魅力的で。『波打ち際の蛍』は心療内科に通っていて出会った男女の話ですよね。島本さんはなんというか、すごく微妙なところをいつも突いてきますよね。女性の微妙な輪郭を描かれるところが好きです。
 山本文緒さんと豊島ミホさんも大好きです。山本さんは最近新作をあまり出されていないので本当に寂しいです。豊島さんももう小説は全然書かれていなくて、こちらも本当に寂しいです。

――そうなんですよねえ...。山本さんと豊島さんでそれぞれ好きな作品は。

 山本さんはすべて好き。でも一番というなら『恋愛中毒』と「ネロリ」(『アカペラ』収録)です。豊島ミホさんは『日傘のお兄さん』。あれ、最後、号泣したんですよね、私。ソファに寝転がって読んでいたんですけれど、最後の最後でとんでもないほどの量の涙が出てきて、耳の中に入ってゴボゴボッっていうくらい泣いちゃって。最後、そんな悲しい終わり方じゃないのに、なんであんなに泣いたのかなっていう。豊島さん、今もずっと待っているんですけれど、復活されないんでしょうか。だいたい、私がずっと好きでいると、寡作になっていかれるか、書くのを止めてしまわれるかどっちかになっちゃって。
 大島弓子さんも今はほとんど描いていらっしゃらないですし。大島さんは1000年くらい生きて、ずっと漫画を描いてほしい方です。山岸凉子さんもそう思います。このおふたりは漫画という媒体の限界を突破していると思います。

一般文芸も書き始める

――さて、BLを書いているうちに、他のジャンルからも「うちでも書いてみませんか」というお声がかかったのでしょうか。

 そうですね。はじめて声をかけてもらったのはコバルトでした。でもずっと忙しくて何年か「待っていてほしい」と言っている間に担当さんが部署替えになっちゃって、コバルトからオレンジ文庫になり、そのうち依頼も立ち消えとなり、その次に声をかけてくださったのが、富士見L文庫さん、その次が講談社タイガさん。でも、書いたのはタイガさんが先ですね。

――声がかかった時、ご自身でも「書いてみよう」と気持ちが動いたのですか。

 さっき言ったようにBLは約束事が多いジャンルですし、当たり前ですけれどボーイズラブってボーイズの世界なので、女性を書けないんですよ。絶対に主人公は男性だって最初から決まっていて。でも、10年間も書いているとさすがに「もっと違うものも書きたい」という欲が溜まっていたんだと思います。声をかけてもらった時、「できるかな」という不安はありましたが、「女の人を主人公にしてもいいんだ」という解放感のほうが大きかった。それで、やりたいなって思いました。

――講談社タイガ文庫から出されたのが『神さまのビオトープ』ですね。これはどのようなイメージで書きはじめたのですか。

 「タイガではこういうのを出しています」と言って送ってくださった本が全部ミステリーだったので、「これはミステリーを書かなくちゃいけないんだ」と思って、最初、がんばってミステリーのプロットを送ったんですよ。そしたら「これは別に求めていない」ってボツになりました。「うちのカラーとかではなく、自分らしい話を書いてください」と言われたんですが、そのミステリーで出したプロットの中のひとつのエピソードとして、亡くなった旦那さんと暮らしている女性というのが出てきたんですよ。じゃあ、ここを膨らませていこうという感じで。

――そうして『神さまのビオトープ』を出したら、それを読んだいろんな他社の編集者から声がかかって...。『流浪の月』の版元の東京創元社もミステリーやSFのイメージが強いですが、最初に声をかけられた時はどう思いましたか。

 いたずらかなって思いました(笑)。ミステリーって今まで本当に読んだことがなかったんですよ。小池真理子さんのミステリーを大昔に読んで、いちばん「わあ、面白い」と思ったのが『妻の女友達』という本で、あとホラーも混じってるんですけど、『墓地を見おろす家』というのがとっても面白かったです。読んだのは何十年も前なのに、いまだにマンションのエレベーターに乗るとこのまま地下に連れていかれるんじゃないかと思います。まあわたしとミステリーは本当にそのくらいの浅いつきあいで......。
 東京創元社のお仕事はチャンスなのでもちろんお引き受けしたんですけど、ただ、タイガさんの時のことがあったので、がんばってミステリーのプロットを出すという同じ失敗はしませんでした(笑)。そもそも、東京創元社の担当さんからは最初に「絶対ミステリーを書かないでほしい」って言われたんです。

――それが今大変評判となっている『流浪の月』という物語になったのはどういう経緯だったのでしょう。事件扱いされたことで引き離された二人の長い年月にわたる物語です。

 やっぱりミステリー専門の編集者の方ということで、事件性のある話に寄せたのかもしれませんね。自分でも書きたいことを書いたんですが、内容的に、ほとんど受け入れてもらえない、ちょっと嫌う人のほうが多いだろうと思っていたので、そうでもない反応をいただけた時に、嬉しくもあり意外でもありました。BLは恋愛を扱うジャンルなので「善」を求められることが多くて、それに慣れていたので、一般文芸は受け入れ幅が広いんだな、というのはちょっと新たに感じたことでした。どっちがいい悪いの話じゃないんですけれどね、はい。

――新作の『わたしの美しい庭』は、『流浪の月』と平行して書かれていたわけですか。また違って優しさ溢れる内容ですね。

 最初に依頼をいただいた時に「児童書を出している会社なので、ネタ的にあんまりどぎついのは...」というオーダーがあったので、初稿を書いている時に、あまり深堀しないように気を付けたんですよ。最初は正直ちょっとストレスだったんですけれど、書いているうちに「あ、この深度じゃないと見えないものがあるな」と気づいてびっくりしました。海でいうと、光の届くところで書いているって感じですね。『流浪の月』はもうちょっと深く、ぐぐっと潜る感じなんですよね。でも同じ海だっていう。だから『わたしの美しい庭』はポプラ社さんの担当さんとだから作れた本だし、『流浪の月』は東京創元社の担当さんとだから作れた本だと思います。

――『わたしの美しい庭』は、屋上に縁切り神社のあるマンションの住人たちの話。一般的にすぐ想像つく家族構成だったり、マジョリティのイメージとはまた違うけれど、でも絵空事でなく実際に存在していそうな人たちが登場しますよね。最初の発想はどこにあったのかなと思ったのですが。

 やっぱり、生きづらい感じの人というか、普通にしていると世界とあんまり仲良くできそうにない人をいつも書いているのかもしれないです。あんまり意識したことなかったんですけれど、訊かれると、確かに毎回そういう人が出てくるんですね。自分自身が普通にしているだけでも弾かれてしまうことが多いので、自然とそういう題材が多くなっていくのかもしれないです。

――自然と弾かれてしまうことが多いですか。

 そうですね。目に見える大きな事件があって弾かれたというなら話しやすいんですけれど、結構、今の弾かれ方って、つらい弾かれ方という気がしていて。私は言葉ではうまく言えないんですけれど、小説だったら書けるのかなとは思っています。
 自分がやってきたことを振り返ると、本当に言いづらいことが多いので...。コンプレックスのほうがやっぱり大きいので。

――生きづらさというものが共通しながらも、作品の読み心地はまた違いますね。

 結構、担当さんのカラーを読みながらプロット出ししたりします。嫌な感じに聞こえたらごめんなさい、なんですけれど、担当編集者さんと話す時って、結構観察しているんですよ。ご挨拶とか、雑談とかの時に。「こういうのが好きなんだ」「ああいうのが好きなんだ」とか。担当編集者さんって、最初の読者さんじゃないですか。ずっとエンタメでやってきたせいか、「楽しんでほしい」という気持ちがいちばんに来るので、担当編集者さんが面白がれる話を書きたいなって思うんです。

――今、BLと一般文芸と両方書かれているわけですか。

 今は3冊連続で一般の小説を書かせてもらっていて、その合間にBLのシリーズものを書いています。こんなに一般のほうから依頼をもらえると思っていなかったので、嬉しがって全部受けていたら、そんなスケジュールになってました。

編集者が挙げた2冊

――今、一日のタイムテーブルはどのようになっていますか。

 朝起きてから夜寝るまで書いています。その時間全部集中できているわけではないですけれど、とりあえずずーっとパソコンには向かっています。ご飯は食べますしお風呂も入りますけれど、そういう最低限のこと以外は、全部。毎日。こうして外に出る機会がない限り。
 そう言うと、哀れみの目で見られることも多いんですが(笑)、私、書くのは本当に好きで、書いていると楽しいんです。でもそういうのって、暗い人っていうか、他に何も楽しみがない人みたいな目で見られることが多くて「ちょっと外に目を向けたほうがいいんじゃない」って言われたりもします。でも私は書いていることがいちばん楽しくて、たとえばレジャー系のところに遊びに行ったとしても、「はやく帰って原稿書きたい」って思っちゃうんですよ。でも、そういう自分の幸せって、人に言ってもあまり分かってもらえなくて。結局、その人の目で見ると「哀れな人」という、ジャッジになってしまうので、自分が仕事をしているだけでも生きづらさを感じます。

――思うのは、外部から何かインプットすることなく、パソコンに向かっているだけで、よく豊かな物語が生み出せるなということなんです。

 ずっと創作に向き合っていたわけではなく、10年間ぽかっと空いていたりしましたから。「バンドやりたいから京都行くわ」とか(笑)。トータル的に言うと、今は頑張る時というか、向かい合う時っていう。本当に自分が好きなことをその時その時でやってきたので、今は小説を書くのが楽しい。めっちゃ遠くでインプットしたものが今出てきているのかなと。リアルタイムには出てこないものかもしれないです、もしかして。

――読書の時間はありますか。

 読むようにしています。もう読書量の少なさが本当に恥ずかしくなってきたので、ちゃんと読むようにしていますね。読み始めると「あ、こんなに楽しい本がいっぱいあるんだな、損してきたな」と思います。

――今後のご予定は。

 次は中央公論新社から。隕石が地球に降ってくる話なんですよ。さっき言った、小学生時代に書いた「宇宙船が壊れたわ」という話がここに繋がっているかもしれないです(笑)。

――終末の話を選んだということは、今度のご担当者のカラーというのは...。

 「僕、『ディストラクション・ベイビーズ』が好きなんですよ」とおっしゃられたので、「この人、暴力もの書いても大丈夫だな」って思ったんです。どれだけ殺伐としていても許してもらえるわ、って(笑)。
でもその話はずっと書きたくて、じつは『流浪の月』の時もどちらを書くか迷ったんです。面白かったのが、東京創元社の担当さんも中公の担当さんも、「終末ものを書くなら、これだけは読んでおいて」というのが一緒だったんです。「その作品とは被らないようにしてほしい」って。伊坂幸太郎さんの『終末のフール』でした。東京創元社の担当さんはもう1冊、新井素子さんの『ひとめあなたに...』も挙げてくださいましたね。

――なるほど。どちらももうすぐ地球に隕石が衝突します、という世界の話ですね。

 まあ、新井さんはもうすでに読んでいたのですが、伊坂さんの本は先に読んだら絶対に影響を受けてしまいそうで、読まずに先にプロットを書いて出して、それから読みました。「大丈夫、被ってない」と思っていたら、担当さんも「被ってないのでOKです」って言ってくれました。それで安心しましたが、でも、ああいう素晴らしい作品と被るところがなかったというのもちょっと悲しかったです(笑)。

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