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「歴史がおわるまえに」「荒れ野の六十年」 答は一つではない 無限の対話へ 朝日新聞書評から

評者: 都甲幸治 / 朝⽇新聞掲載:2020年02月22日
歴史がおわるまえに 著者:與那覇潤 出版社:亜紀書房 ジャンル:歴史・地理・民俗

ISBN: 9784750516103
発売⽇: 2019/09/14
サイズ: 19cm/387p

荒れ野の六十年 東アジア世界の歴史地政学 著者:與那覇 潤 出版社:勉誠出版 ジャンル:歴史・地理・民俗

ISBN: 9784585222644
発売⽇:
サイズ: 20cm/363p

歴史がおわるまえに/荒れ野の六十年 東アジア世界の歴史地政学 [著]與那覇潤

 突然心を病む。本が読めない。なぜ自分がこうなったのか。答えもないまま著者は病院に入る。
 だが彼はそこで発見をする。たまたま病を得るという偶然で集まった人々が、互いの弱さへの共感に満ちた繋がりを保っていたのだ。学問の世界では、著者はこんな「無私と高貴さ」を感じたことはなかった。
 「私たちが偶然、ここでいっしょになったことにも意味があるんだ」という若い患者の言葉に著者は触発される。必然から生まれる意味は貧しい。生まれが豊かだから、能力が高いから、容姿が美しいから、自分がここにいるのは当然だ。こうした考え方からは、他人への共感は生まれない。
 だが偶然からこそ豊かな意味が生まれ得るとしたら。たった今、目の前にいる人の痛みを精一杯想像してみる。自分よりふさわしい人なんてこの世にはたくさんいるだろう。それでも持っている知恵を振り絞って話す。
 こうして立ち上がる意味が貴重なのは、自分と相手の違いを消し去らないからだ。互いの言葉を受け入れながら、欠けたところを補い合う。こうして決して一つの答えに行き着くことのない、無限の対話へと心は広がる。
 『歴史がおわるまえに』では、こうした気づきは新たなものとして語られていた。しかし著者の思考はもともと偶然に対して開かれていたのではないか。『荒れ野の六十年』を読むとそう思う。
 本書には様々な歴史家が登場する。たとえば網野善彦は、今の感覚とは大いに異なる過去の日本語に耳を傾け、そこに無縁といった思考を聞き取ることで、私たちの世界を豊穣なものにした。
 そして内藤湖南は、未来の国家として中国を捉え直す。なにしろ宋代には貴族を排除し、科挙という実力主義によって近代西洋にはるかに先んじていたのだから。けれども儒教という唯一の正しさが世界を覆うことで、意見の多様さが重んじられない傾向があったことも著者は付け加える。
 中華的な国際秩序はどうか。琉球は薩摩に支配されながら、清国に朝貢していた。ならばどちらが支配者なのか。薩摩は支配の事実を清国に隠す。だが清国は薩摩が隠していることを知っている。
 境界を画定するのが当然、という西洋的な思考では、こうした曖昧さは許容されない。だが国際紛争が避けられるなら、これはこれで進んだあり方ではないか。
 著者の読みには、常に複数性への指向がある。答えはたった一つではない。そう考えることで、僕らは互いの弱さに寛容になれる。病気により歴史家としての與那覇は死んだ。そして偶然の思想家としての彼が生まれた。
    ◇
よなは・じゅん 1979年生まれ。歴史学者(日本近現代史)。2017年、重度のうつにより地方公立大准教授を離職。『知性は死なない 平成の鬱をこえて』『中国化する日本』『日本人はなぜ存在するか』など。