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大人になったら…… 奥田英朗

 子供の頃、たまに母親が作ってくれるプリンが大好物だった。もちろん、卵と牛乳と砂糖を使った手作りプリンではなく、食品メーカー製の、粉末のプリンの素(もと)とお湯だけで作るインスタント・プリンのことである。

 容器入りのプリンがまだ生まれていない時代、子供たちは本物を知らず、インスタントでも最高の贅沢(ぜいたく)だった。品のいい甘さと、カラメルのほのかな苦み。なにより舌の上をツルンと滑る触感が、味覚以上に快感で、子供にはこの世の極楽と言えた。

 ただひとつ不満があるとすれば、それは量が少ないことで、小ぶりのアルミ容器で固められたプリンは、ゆっくりゆっくり食べても、せいぜい五口で終わり、わたしはいつだって物足りなかった。そこで世の子供たちが思うことはひとつである。ああ、プリンをバケツいっぱい食べてみたい。大人になったら絶対にやってやるぞ――。

 ちなみに、ふと気になってネットで検索してみたら、「バケツ」と入力しただけで、二番目の候補に「バケツプリン」が出てきて笑ってしまった。おお同志たちよ。日本は平和だ。

 で、バケツは大袈裟(おおげさ)にしても、丼くらいならやってもいいと思っていたのだが、長じるにつれてその欲望は薄れ、わたしはいまだ実行に移していない。なんとなく結末がわかるのである。昔食べたプリンは、少量だったからこそ恋い焦がれたわけで、その思い出を今になってわざわざ壊すことはなかろう。わたしも一応大人なのである。

 一方で夢を叶(かな)えた食べ物もあり、それはウニだった。わたしは小学校の高学年あたりから、ウニの軍艦巻きが大好きで、ワサビも大丈夫だったこともあり、父親に寿司屋に連れて行ってもらうと必ずウニを食べた。ただし高価ゆえ、追加注文は許されない。で、例によって思うことは、大人になったら腹いっぱい――である。

 これは作家になってから、取材で宮城を旅行中、たまたま入った港町の食堂でウニ丼なる品書きに遭遇し、記憶の扉が一気に開いた。何、ウニ丼? 世の中にはそんなものがあったのか。わたしはとうとうこの日が巡ってきたと興奮し、よろこび勇んで注文した。

 実際に食べたそれは、ウニが山盛りの実に贅沢な一品で、さすがは産地と羨(うらや)ましくなった。磯の匂いも香(かぐわ)しい。もっとも地元の人に聞くと、「観光客向け。うちらいつでも食べられっから」と素っ気なかったのだが。

 ウニ丼はその後、自分でウニを買ってきて作ってみたが、あのとき食べたような感動は得られなかった。たぶん、一度限りの夢を叶えるメニューとして、今日も旅人をよろこばせているのだろう。食の心得は適量にあり。わたしもやっと悟ったのである。=朝日新聞2020年2月29日掲載