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独立研究者・山口周さん 激変する時代と価値観に合わせ、働く意味を見いだすための3冊

文:岩本恵美 写真:山田秀隆

山口周さんが選んだ「はたらく」を考える本

1. 『限界費用ゼロ社会』(ジェレミー・リフキン[著]/柴田裕之[訳]、NHK出版)
2. 『権力の終焉』(モイセス・ナイム[著]/加藤万里子[訳]、日経BP社)
3. 『0点主義 新しい知的生産の技術57』(荒俣宏、講談社)

自分らしい人生を歩むために、どの問題に取り組むか

1.『限界費用ゼロ社会』(ジェレミー・リフキン[著]/柴田裕之[訳]、NHK出版)
2.『権力の終焉』(モイセス・ナイム[著]/加藤万里子[訳]、日経BP社)

 分散型社会・共有型経済の未来を予測する『限界費用ゼロ社会』と、あらゆる分野において「権力」が衰退しつつあると指摘する『権力の終焉』。この2冊から共通して読み取れるのは、いまある世の中の仕組みがダイナミックな変化のプロセスにあること。いま生きている人たちが経験して知っている世の中の状態って、せいぜい100年。だからこそ、いまの「当たり前」を当たり前だと思わない方がいい。

 『限界費用ゼロ社会』の中で私が面白いと思ったのは、1万人以上の規模の大きな会社が世の中に多く出てきた背景には、産業革命や資本主義の登場といった、ある種の歴史的必然性があるという点です。例として挙げられているのが、石油産業。石油は簡単には見つけられず、限られた場所から世界中に供給するので、いったん見つけたら独占するために掘るところから供給するところまで、全てのバリューチェーンを持つ垂直統合型の会社の方が効率がいい。

 垂直統合型となるとスケールのメリットが大事になってくるので、基本的には会社は大きい方がいいし、大きな会社を回すためにはマックス・ウェーバーが言う官僚型の仕組みや組織運営をやらなくてはいけないので、権限を与えて文書で組織を動かしていく。そうなると、読み書きや四則演算ができる人材が必要とされるので、そういった人たちを学校で育てる。マルクスが言うところの生産様式である「下部構造」のあり方によって、組織運営のやり方や優秀さの定義などの「上部構造」が決まるわけです。

 現状、経済や生産といった下部構造の仕組みは変わってきていますから、これまでよしとされていた様々なことが変わっていくと感じました。パズルのピースがある程度固まって、社会という全体の絵柄ができあがっていく中で、一つひとつのピースが変わっていくと別の絵柄が立ち上がる可能性があるわけです。

 これに対し、『権力の終焉』では上部構造の中での権力のあり方が変わってきていると述べられています。企業について言えば、CEOの在任期間は短くなっていて、これまでの「大きな組織である方がいい」「組織の上のポジションにいる方がいい」といった価値観がこの先も続くかどうかわからないと、大きな問題提起をしています。誰が権力を握って上がり、誰が権力を失い下がるかという、従来の「エレベーター式思考」はもはや重要ではなくなりつつあると指摘しています。

 資本主義社会におけるビジネスって、歴史的な生命を終えつつある気がしているんですよね。シンプルに考えると、人は「困っていること=問題」を解決するためにお金を払ってきて、それがビジネスだった。つまり、「問題」の総量が市場規模を規定してしまうわけです。

 世の中にある問題を整理してみると、普遍性の高い・低い、解決が簡単・難しいという2つの軸で、大きく4つに分類できます。この中でどこからビジネスを始めるかといったら、大抵の場合、普遍性が高くて解決が簡単な問題から手をつけますよね。普遍性が高い問題の方が市場規模が大きいのでリターンも大きく、解決が簡単な問題の方がインベストメント(投資)が小さいからです。そして、その解決方法のほとんどがモノをつくることでした。

 ところが、もはや先進国の物質的な満足度は90%近くになっていて、GDPの成長率も80年代くらいから極めて「寝ている状態」。物質的な不満を解消するというビジネスが、ほぼエンドゲームになっているんです。日本経済が低成長で生産性が低いことに関してはネガティブな意見が多いですけど、見方を変えると実は素晴らしいことだと思うんですよね。生産性が低い、ビジネスをしなくていい状態というのは、困っていることがない社会ともとらえられますから。

 そうなると、今この時代を生きている人が次世代に渡していけるバトンというのは、基本的に2つしかありません。普遍性は高いけど非常に解決が難しい問題か、普遍性は低いけど解決もわりと簡単な問題に向き合うこと。

 前者はガンなど非常に難しい問題なので、後者の方が先に手をつけやすい。とはいえ、一部の人にとっては極めて切実な問題でも、市場規模はそんなに大きくありません。そうなると、いままでのビジネスの仕組みではどうしても対応できない。スケールデメリットになってしまうんですね。スケールの大きい組織というのはそもそも、世の中に残されている問題にフィットしていないと思います。

 こういった残された問題を解決することで喜びを得られたり、人生に意味が与えられたりするのであれば、サブスケールで構わないということなんです。『限界費用ゼロ社会』と『権力の終焉』が示唆している大きなポイントはここにあります。

 先進国における物質的な満足度は90%と高い一方で、精神的に充足した状態で人生を生きているかというと、数字的には50%くらいだそうです。もう物質的な欲求を充足させるためにお金を出す社会ではなくなってきているので、GDPを指標にした生産性が高い・低いという議論よりも、それぞれの人がその人らしい人生を歩むために、意味的な価値を与えていくことの方が大事だと思います。

クソ仕事の中に、どう面白みを見出していくか

3.『0点主義 新しい知的生産の技術57』(荒俣宏、講談社)

 これは、従来的なモノサシとはまさに逆の発想をしている本です。荒俣宏さんは、極端に言えば、世の中にとっては役に立たないことばかりやってきた人。でも、学生のころから怪奇文学や妖怪図鑑などが好きで、ずっと好きなことをやり続けてきたことで、彼独特の個性につながって道が拓けた。この本にはそういったメッセージが込められています。

「役に立つこと」は普遍的なので差別化が難しくなりますが、好きなことや個人の心が動くことには相対的に個性が出て、意味が生まれます。『ニュータイプの時代』にも書いていますが、「役に立つ」ことよりは「意味がある」ことが求められてくる時代。だからこそ、荒俣さんが言う「0点主義」でいいんだと思いますね。

 本の中で、すごくいいなと思ったエピソードがあります。学生時代に怪奇文学や博物学の研究をやってきた荒俣さんは、辛い目にあってもタコの頭をなでたりすれば我慢できるかもしれないと思って、大好きな魚を扱う会社、日魯漁業(現マルハニチロ)に入社するんですが、もちろんタコの頭なんてなでられる職場じゃない。入社まもなく、いちばん行きたくなかったコンピュータ室という部署に配属されて、すぐに気づいたらしいんですね。コンピュータのプログラムを書くというのは、人間とコンピュータの対話であり、その両方を自分が受け持つ一人称の文学である、と。文学作品を書くのと同じだと思ってからは、逆に夢中になったそうです。

 『ニュータイプの時代』で、意味のない仕事を「クソ仕事」と言っているんですけど、クソ仕事の中にも面白みを見出していくことができないと、人生ってつまらない。角度を変えて面白みを抽出していくというのは、私も心がけていたことだったので非常に共感しました。何でも「ネタにする」。ネタ思考はメタ思考でもあるんです。自分なりに楽しみを見つけていくことができると、それがアセット(資産)になります。

 つまらないことにただ耐える訓練を受けすぎてしまうと、「仕方ない」とすぐに諦めてしまう人もいると思いますけど、我慢強さというのは知的な怠慢だとも言えると思うんですね。もう少しわがままになっていい。上司からクソ仕事を振られて「仕事なんだから仕方がない」と諦めていると、組織としても停滞しますよね。

 どうしようもないなと思った職場からは飛び出すってことが、もうちょっと頻繁に起きると、職場あるいは管理職の自然淘汰が起こる。「0点主義」というのは、世の中的な尺度を全部捨てて、徹頭徹尾自分の尺度で生きた方が、結果的には競争という局面においても有利になるという、ある種のアンチテーゼなわけです。この考え方自体が労働市場における差別化であるという考え方もあるし、市場から退出すべきものがちゃんと自然淘汰させられるメカニズムをきちんと働かせるという意味でも「0点主義」というのは重要な考え方だと思います。

「働く」とは価値を生み出すことに尽きる

 働くことって、価値を生み出すことに尽きると思います。広告代理店に勤めていた20代のころは、「自分は社会人に向いていないんじゃないか」とずいぶん悩んだことがあります。相当ストレスを抱えていて、仕事が嫌いだと思っていました。でも、この年になって振り返ってみてわかるのは、価値を生まない営みが嫌いなんだということ。何の価値を生み出すのかよくわからない仕事を一生懸命やれと言われても、体質的にできなかった。当時は自分に問題があると思っていたけれども、システムの問題なんですよね。

 私にとっての価値は、誰かが「ありがとう」と言ってくれたり、世の中にある問題が解決したりすること。この仕事には何の意味があるのかと問われたときに、自分なりに答えられるものがない仕事はできないですし、それを仕事とは言わないだろうと思うんです。仕事は、必ず何らかの価値を生み出すものに接続していないといけないという気がしています。

 でも、今の時代、仕事に対する価値の認識っていうのはものすごく難しいと思います。わかりやすい困りごとの解決はうれしいし、意味を感じやすかったけど、いま残されている問題はそういう問題じゃない。そのうえ、大きな組織になると、末端にいる人たちは自分の仕事の意味をどう評価していいのかわからなくなってしまいます。端的に言うと、「ありがとう」と言ってもらえる距離が長くなればなるほど、心を病みやすい。バリューチェーンを短くしていかないと難しい時代だとも感じています。

 本質的な意味での生産性って、価値と投入労働量の問題です。生産性の議論も、GDPで測ることにどれくらい意味があるのだろうと疑問に感じています。一人ひとりが自分の仕事の価値というものを考えれば、自ずと生産性も上がってくるはずで、そこをもう少し意識した方がいいという気はします。