大澤真幸が読む
民主主義に反対する人はほとんどいない。民主的ということは、まともな政治であるための最小限の要請だ。だが一九五一年に初版が出た本書は驚くべき内容をもつ。アローは、民主主義なるものは不可能だ、ということを数学的に証明してみせた(ように見える)のだ。
民主主義とは何であろうか。それぞれの個人に、何が好ましいかということについての考えがある。何がより良く、何がより悪いと判断するかは、個人の自由である。しかし、政治的な行動を起こすには、投票したりして、皆のバラバラの判断を集約し、ひとつの社会的決定を導き出さなくてはならない。その集約の仕方が民主的であるためには、少なくとも三つの条件を満たさなくてはならない。
第一に、全員が一致して、AがBより好ましいと判断しているときには、社会的決定でも、その通りになるべきだ。国民全員が戦争反対なのに、開戦する国は民主的ではない。第二に、AとBのどちらが良いかという決定に、これらとは別の選択肢Cに対する人々の好みが影響を与えてはならない。第三に、独裁者が存在してはならない。独裁者とは、その人の好き嫌いがそのまま社会的決定になるような個人のことだ。独裁者が、Aが好(よ)いと言ったら、誰が何と言おうとAで決まりだ。
三つのどれも民主主義であるためには外せない条件に思える。しかしアローは、三条件を全て満たす、(人々の好みの)集約の仕方は存在しない、ということを証明した。前の二つの条件を前提にすると、必然的に独裁者が出てくる、と。
本書の破壊的な結論を知った後でも、私たちは民主主義を擁護すべきか。多分すべきである。だが、そのためには三条件の中のどれかを捨てるか(しかしそれでも民主主義は良いのか)、あるいはアローとは全く別の設定で民主主義を考えなくてはならない(それはどんな民主主義なのか)。本書を通過していない、民主主義をめぐるどんな主張も虚(むな)しい。=朝日新聞2020年4月4日掲載