寺山修司は病みつきになる。俳句に短歌、ラジオドラマから映画、芝居、評論、エッセー、小説――ジャンル不問の作品の数々は、しかしどれを取っても寺山ならではというほかない魅力に満ちて、飽きない。
寺山に関する本もまた何冊も出てきたが、この大冊には驚かされた。寺山の著書は収録作が重複していたり、版を追って中身が変わっていたりする。それらをここまで執拗(しつよう)に整理、分析した人を寡聞にして知らない。巻末の「寺山ラジオ番組年譜」「単行本全書誌」だけでも労作で、高い資料価値を持つが、煩雑な作業を思えばほとんどあきれてしまう。
お会いしてみれば、いわゆるオタクの印象とは遠く、身長182センチ、穏やかな語り口の優男であった。寺山が47歳で世を去った時にはまだ2歳だった若い研究者である。
「細かいことが気になる性分で、分類したい、全体を整理したいという欲求があるんですよね」。学生時代に見た映画「田園に死す」で知った寺山の世界、その異才の「八面六臂(ろっぴ)の活動と、著作の混沌(こんとん)ぶり」は格好の標的となった。相手にとって不足なし、これをどう整理できるか――「方法への挑戦」でもあったという。寺山の生きた時代は体験していないし、ゆかりの人や場所を訪ね歩くこともしない。図書館や書斎で文献渉猟に徹し、寺山のジャンル横断の成立と必然性に迫っていった。
「記憶を言葉にしていく、誰かとの出会いや現象を文字化するというのは、僕には心もとなくて。文字として書かれたという物的な安心感、あれ何だったっけという時に戻れる安心感、それがほしい。不確かなものは信用できない、というか」
島根県で生まれ育った。父親は地元紙に「アナログ・ドクター」と紹介された医者で、言葉と触診をおろそかにせず、随筆集もある。性分は父譲りか。(文・写真 福田宏樹)=朝日新聞2020年4月18日掲載