「高みからの批判」覆し、人々の目覚め信じる
佐々木さんは上智大でスペイン語と哲学を学び、オルテガやウナムーノの研究をしながら、清泉女子大教授などとして30年余り教壇に立った。その後、故郷の福島県南相馬市に戻った。
11年の東日本大震災では、福島第一原発から25キロの自宅から認知症の妻を連れて避難できないと判断。「モノディアロゴス(独対話)」と題したブログで発信を続け、国内外の取材者や芸術家を迎え入れた。
『大衆の反逆』の翻訳を本格的に始めたのは06年、翌年にいったん訳し終えたが、震災による中断をはさんで手直しを続けた。18年12月、肺がん治療のため入院する直前、完成した翻訳の原稿を家族に託した。5日後、79歳で亡くなった。
遺稿は、佐々木さんの著書の愛読者を通じて、岩波書店に持ち込まれた。担当した、岩波文庫編集部の小田野耕明さんは「本人が最終的な校正ができないことに懸念があったが、納得いくまで時間をかけて推敲(すいこう)された見事な翻訳だと思った」と話す。
『大衆の反逆』はこれまで複数の日本語訳が出ているが、本論以外に、それぞれフランス語と英語での翻訳出版のために書いた「フランス人のためのプロローグ」、「イギリス人のためのエピローグ」を収録して日本語訳されたものは初めてという。
出版のあてがないまま、佐々木さんが新訳を世に問う情熱を保ち続けた理由は何だったのか。手がかりになるのは、誰でも読める形でいまも公開されているブログの記事「新・大衆の反逆」(15年11月4日付)だ。
日本でオルテガの名を広めた一人で、『大衆への反逆』(1983年)も書いた評論家の西部邁に対して「高みから大衆を見下ろすという貴族主義的なところに共鳴し、オルテガ思想の一側面を拡大解釈して自論を展開するといった傾向」と批判的だ。三島由紀夫、小室直樹、そして母国スペインでのファシズム政党の創始者も引き合いに出し、「オルテガが右翼思想に利用されやすい側面があったが、それは悪く言えば曲解、良く言っても部分的な拡大解釈」と評する。
佐々木さんは、「オルテガの大衆論の新たな解釈と展開」を掲げる。使命や理想を失ったと批判される「大衆」の肯定的な側面をとらえ直すことだ。
「目指したいのは、戦争や原発依存などの道に進もうとする動きに対する目覚めた大衆の粘り強い反逆」と説明する。理性は大きく間違える。だが、感情は間違っても大きくは間違えない。もう戦争はこりごり、父祖の残した美しい自然を汚す核の利用はまっぴら、といった人々が抱く感情への信念をつづっている。
長男の淳さんは「大衆、すなわち私たち一人ひとりが覚醒し、慎み深い自己沈潜において新たにまっとうに歩み始めること。それがオルテガの祈りだったのではないか。父はそう捉えていたようだ」と振り返る。
岩波文庫版に解説を寄せた宇野重規・東京大教授は「エリートの視点から、大衆を高みに立って批判する本という通俗的なイメージは間違い。SNSで相手を罵倒する言説があふれる現代、新鮮な自己批判の書として読むべきだ」と話す。(編集委員・浜田陽太郎)=朝日新聞2020年6月3日掲載