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サマセット・モーム「月と六ペンス」 すべての人生、皮肉る知性

William Somerset Maugham(1874~1965)。英国の小説家・劇作家。

桜庭一樹が読む

 世の中には二種類の人間がいる。“様々な選択肢を持っている人”と“一つの生き方しか許されない人”だ。

 どちらの人生にも、祝福があり、不幸もある――。

 この物語の舞台は二十世紀初頭のイギリス、ロンドン。小説家の“わたし”は、四十歳の株式仲買人ストリックランドと知り合うが、彼は突然妻子を捨ててパリに出奔。「おれは画家になる」と毎日絵を描き始め、生活は困窮を極める。やがて南の島タヒチに移住し、一枚の凄(すさ)まじい絵を描くと……?

 タヒチに移住した画家ゴーギャンからヒントを得て書かれたと言われているこの物語の作者は、一八七四年生まれ、イングランド育ち。小説作品が大ベストセラーとなる一方、『世界の十大小説』など批評でも広く知られている。

 物語には二種類の人間が登場する。“様々な選択肢を持つ人生”を迷いながら生きているのは、語り手の“わたし”とストリックランドの妻エイミー。対して、まるで何者かから強制されたかのような“一つの生き方しかない人生”を傷だらけで走り続けるしかないのが、ストリックランド、友人の画家ストルーヴェ、その妻でストリックランドの愛人ブランチだ。これらの登場人物を、作者は極めて独特の筆致で描いていく。……独特って? それは、豊かな知性や人間観察力のすべてを、“人生を皮肉る”ことに使い切ってやるぜぇ、という作風だ。わたしは中学生のころから重度のモーム中毒なのだが、まさにこれこそがモームを読む醍醐(だいご)味であり、さらに言うなら、これこそが(たぶん……)イギリス流の知的ユーモアなのだと思う。

 全人類に対して平等にシニカルな作者の視線は、読んでいて最高に心地いい。通俗的であることを恐れないところも好き。不謹慎な気がしてあまり大声では言えないが、じつは、神さまってほんとはこういうちょっと下世話で皮肉な気持ちで人間を眺めてるのかもしれないな、と思っている。=朝日新聞2020年6月6日掲載