水木しげる一色だった小学生時代
「読書は小さい頃から大好きだったんです。僕の両親はすごく真面目な人たちで、躾も厳しかったから、自宅にマンガがなかったんですよ。テレビもニュースとかばかりだし、パソコンもネットに繋がってなくて(笑)。でも二人とも読書が大好きだったので本はたくさんあった。だから小さい頃は本当に本ばかり読んでました。家の本を読み尽くした後は、近所の図書館に通ってましたね。朝行って、6冊借りて、早い時は当日に全部読み終えて、夕方にまた図書館に行くこともありました。
小学1〜2年の時、僕が読書好きと知って叔母が水木しげるさんの全集をプレゼントしてくれたんです。そこから妖怪にハマって。同級生はテレビゲームやアニメの話をしてたけど、僕の興味は水木しげる一色でした(笑)。水木しげるさんと言えば『ゲゲゲの鬼太郎』が有名だけど、他の作品は子供が読むにはかなりドギツイ内容なんですよ。社会の不条理さとか、人間のズルさとかがこれでもかってくらい描写されてる。ねずみ男ってキャラがいますよね? あいつはいわゆるトリックスターで味方だか敵だかわからない。水木しげるさんの作品にはそういうキャラが本当によく出てくる。世の中に対する目線という部分では、水木しげるさんにものすごく影響を受けてます。あと妖怪の造形も大好き。もちろん輪入道という名前も妖怪から取りました。そこに深い意味はないんですけど(笑)」
輪入道のラップには節々に水木しげるイズムが息づいている。彼は人間の暗部をしっかり見据えて、なおかつ肯定する。いつもうまくいくわけではないし、矛盾した行動をとることがあっても、ポジティブな側面を信じたい。だからこそ、義理堅く情熱的な男なのだ。フリースタイルMCバトルでも相手と真正面からぶつかり合い、エモーションを爆発させることで相手の本音を引きずり出し、そこから言葉でセッションしていくのがおなじみのスタイルだった。そんな輪入道は活動初期、即興のフリースタイルだけでライブをしていた。
「ラップは高校2年の冬くらいからはじめました。最初はラップって本当にすごい人だけがやれるものだと思ってたんです。当時は般若さんとキングギドラが大好きでめちゃくちゃ聴いてましたね。でも友達にイベントに連れて行ってもらったら、そうでもない人たちもかなりいて(笑)。それで俺もやってみようと思ったんです。初期はライブもずっとフリースタイルでやってて。1stアルバムもフリースタイルで作ろうと思ったんです。でもレコーディングブースだと全然言葉が出てこない。ライブハウスやクラブのようにお客さんが目の前にいないと、何を言っていいかもわからない。最初に紹介するのはそんな時に読んだ本です」
芸人はどんな視点で話を作っているのか
「当時の僕のラップは一人称が多かったんです。僕が何をどう思うか、みたいな。イベントでライブをする場合、だいたい持ち時間は20分。一人称の視点でずっとラップしてると、お客さんはもちろん僕自身も飽きてきちゃう。あと言いたいこともそんなにないから、勢いだけでは20分もお客さんの前に立っていられない。それで芸人さんの本を読んでみようと思いました。ラッパーも芸人も話でお客さんを楽しませる仕事なので、彼らはどんなふうに考えてるか知りたかったんです。
『陰日向に咲く』は劇団ひとりさんのデビュー作ですね。オムニバス形式の小説です。会社員、アイドルオタク、女子大生、ギャンブラー、お笑い芸人……。どの話も登場人物にものすごくリアリティがある。『ああ、実際にこういう人いるな』って思えるというか。当時は自分以外の価値観を知りたくて、いろんな世界に飛び込んでいきました。そこで現在にいたる大切な友達や先輩と知り合えた一方、めちゃくちゃ怖い人や本当にダメなやつとも遭遇して。だからこの小説に出てくる人にすごく親近感を覚えたんです。ものすごい観察眼だと思いました。しかもミクロな目線を持ちつつ、物語の構築はマクロの思考でやっていて。この感覚は本当に勉強になりましたね。
実は僕もライブやバトルをしている時、めちゃくちゃエモーショナルではあるんですけど、頭のどこかは常に冷静で、俯瞰で状況を捉えてるんです。『陰日向に咲く』を読んで、僕もこういう感じでライブをやって、それを作品に活かしたいと思いました。あとひとりさんは地元が近いということもあって、勝手に親近感を覚えています。同じような景色を見て育った人がそんなすごい小説を書けるんだって」
生々しく写実的な心の暗部の表現に共感
さらにもう一冊は、話芸に定評がある千原ジュニアの半自伝的な小説『14歳』だ。
「この本はタイトル通り、ジュニアさんの14歳の1年を描いた小説です。ジュニアさんは当時引きこもりだったそうです。その時の心境や家庭内暴力する様子がものすごく生々しく描かれています。
今はもうないかもしれないけど、アナログ方式だった頃のテレビは深夜に放送が終わるとザーッって砂嵐みたいなノイズが流れてたんですよ。ジュニアさんは部屋に籠ってずっとそれを見てたらしくて。ずっと見てると虫が集まっているように思えるって描写があるんですけど、そこはすごく共感しましたね。実は僕も小学生の頃はいじめられっ子だったんです。夜全然眠れない時に、テレビをつけてずっと砂嵐を見ていることもありました。ずっと見てると頭がおかしくなりそうな気持ちになるんですよ。でもそれすら良いというか。自暴自棄とも違うし、ナルシシズムでもない。あの途方に暮れた気持ちを思い出しました。
あと家庭内暴力のシーンも写実的でした。工場で働いてたお父さんがお昼を食べに帰ってくると、ずっと部屋から出てこないジュニアさんに嫌味を言うんです。我慢してたものが爆発する心の流れや、それによって実際に発動する暴力と、現実にある結果。お母さんが用意してくれたご飯が散らばってぐちゃぐちゃになっちゃう様子も、まるで見ているような感覚になりました。実際僕もそういう状況に陥ったことがあったので、余計に強烈でしたね。
ジュニアさんは兄のせいじさんに誘われてお笑い芸人になります。そしたら家族とも少しずつ話せるようになるんです。それで15歳になって小説は終わる。この本は『芸人が書いた』というのを抜きにして、めちゃくちゃすごいと思います。人間の話です」
違和感は人の心にすごく刺さる
最後に紹介してくれたのが中村航の『100回泣くこと』という意外な一冊。
「この本はラップをはじめたばかりの頃、17歳の時に読みました。実家の本棚にあったんです。たぶん母が買ったんだと思います。何気なく読んだらすごく好きだった。当時読んだもので今も手元にある唯一の本です。ストーリーはセカチュー(『世界の中心で、愛をさけぶ』)みたいな感じです(笑)。でもそこが好きなポイントではない。
この本は文章が良いんですよね。言葉の置き方が面白いというか。例えば、恋人同士が串揚げ屋で反省会をするシーンがある。本題とは全然関係ないのに唐突に『これ、塩だっけ?』と聞く描写があるんですよ。そのやりとり自体はものすごく無意味で、伏線でもない。だけど強烈に印象に残る。平坦な会話に、そのアクションが入ることが面白い。そもそも『串揚げ屋で』という舞台設定も言う必要はないんですよ。ソリッドに伝えたいことだけを書く人なら『飲み屋で』でも成立するし、そこまで丁寧にこだわって書くんだなという微細な表現が終盤で一気に生きてくるというか。意図的かどうかはわからないけど、この本の文章には違和感がすごくあって、僕にとってはそれが心地いい。
実は僕もフリースタイルをする時、最終的に言いたいことがあっても、あえて全然関係ないことを言うことがあるんです。その言葉は無駄かもしれないけど、ないと最終的に言いたいことの輝きが薄れてしまう。だから無駄じゃないというか。違和感ってすごく人の心に刺さるんです。
この本に関しては、今日持ってきたはいいものの、自分でも何が好きなのかうまく言語化できなかったんです(笑)。だから最初の2冊の話をしている段階で『これは紹介してなくていいかも』と思ってたんだけど、話してたらなんでこの本が好きなのかちょっとわかった。こうやって好きな本について話すのも楽しいものですね」
輪入道は日本屈指のフリースタイルラッパーらしい独自の視点から興味深い3冊を紹介してくれた。フリースタイルとは即興のラップで、バトルは言葉のセッション。彼らはただ思いついた言葉を無作為に吐き出しているのではなく、言いたいことを整理し、流れを考え、さらに韻を踏む。脳みそを高速で回転させて、0.0001秒でさまざまなことを判断している。今回の取材からはそんな彼らの知性が感じられた。