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okadadaの音楽論に迫る5冊 DJとして考える。場所と不可分の音が、記録されて広まることの意味(後編)

okadadaさん=寺沢美遊撮影

>【前編】okadadaの音楽論に迫る5冊 「残された音源を使って、残らない一晩を彩るDJとは何か」

消え去った音楽と残る音楽

――では次の本を紹介していただきましょう。

 『レベティコ-雑草の歌』というバンド・デシネです。1920年代にギリシャで生まれたレベティコという音楽ジャンルの話。タンゴの影響を取り入れてて、ギリシャのブルースと言われてるそうです。レベティコとは反逆者ですよね。そのレベティコを演奏するバンドの一晩の話なんです。

――大判で画もすごくきれいですごくかっこいい本ですね。

 このマンガ、大好きなんです。舞台は1936年で、第2次世界大戦が起こるちょい前。バンドのメンバーは流浪民でハシシを吸いながら、下層階級民の苦悩を歌うんです。当時のギリシャはファシズムに向かっていて、体制に批判的なレベティコは演奏するだけで捕まっちゃうんです。思想犯として捕まってたやつがバンドに再び合流したところから始まります。

――なんかむちゃくちゃかっこいいですね。

 演奏のシーンも描かれてるんですけど、レベティコの踊りがあるんですよ。盆踊りみたいなんだけど、この画がまたすごくかっこいい。敵対してるバンドと喧嘩したり、いろいろあるんですけど、 バンドはアメリカから来たレコード会社の人に「あなたのグループのレコードを出しませんか?」とオファーされるんです。

――「あなたの音楽がもっと広まりますよ」的な。

 だけどメンバーは言うんです。「そのレコードを1回録音したことがあるけど、それが通りから聞こえて来る。あの馬鹿げた現象はなんなんだ。俺の声を蓄音機の上で回してたのが誰かわからねえ。レコードは何枚も作ったが、この馬鹿げた条件はなんなんだ 」って。これを受けてレコード会社の人が言うセリフがすごいんです。「マルコスさん、この渦は歴史の必然です。私たちは録音の世紀を生きています。これまで音楽は消え去るものでした。だが、今後は何も失われはしない。何に戸惑ってらっしゃるんですか。何も失われないことに 」って。

――まさに残る音楽と残らない音楽の話ですね。

 レベティコは消え去った音楽なんです。バンドは結局このオファーを受けないんですね。あまりに未来のなさにバンドは離散してしまう。そのうちの一人はニューヨークに行く。つまりこのマンガはその彼が回想してるんです。

――うわー。その展開は……。

 そう。ヤバいんですよ。最後の手前でさっきレベティコを踊ってたおっちゃんが、ギリシャのどこか神殿の遺跡のような場所で石像に向かってこう話しかけます。「お前たちが目を覚ましてくれたら、俺が奏でる音でかくも完全な完全な美しさに火をつけてやれたら。お前たちはあまりにも冷たく固すぎる。お前たちが俺の頭の中に音楽ができたら、そいつは俺にまで届く。俺たちはまた行ったり来たり。俺たちのレコードは彫像のようなもんだ。石棺のようなもんだ。売りたきゃ売ればいい。野菜のように。音なんて誰が買う? 要は風だぜ。売れやしねえ。消えちまうんだから 」と言うんです。つまり彼らにとって(自分たちの演奏が)レコードに記録されることは、この石像のようになるということなんです。音は消えるものじゃなかったのか、と。かつそのこととギリシャっていう西洋文明の始まりの地に残る遺跡との対比で見せるっていう見事すぎるシーンですね。

――記述されて残る音楽と記述されずに残らない音楽。

 DJという行為は、残っちゃった音楽で一夜限りの体験をつくっているわけで。ジェフ・チャンの研究書「ヒップホップ・ジェネレーション」の最初に書かれてましたけど、そもそもヒップホップって最初はパーティー全部を指す言葉だったんです。だからこのレベティコみたいに「ラップをレコードにしようや」ってオファーが来ても、「いや、それじゃ意味ないから。ラップとダンスとブロンクスとこの場所全部の総体の名前がヒップホップなんであってラップだけレコードにしても意味ない」って断ってたらしいんです。

 この話自体がさっきの武満徹の話と同じですよね、音楽は場所と不可分だった。でもラップとしてレコードに残ったものは売れて、今こうして世界に広まっている。それは素晴らしいと思う。でも断った連中も正しいと思う。

僕はバランスが大事だと思う

――最後の本はすごいタイトルですね……。

 パスカル・キニャールの『音楽への憎しみ』という本ですね。詩とか論考みたいな短い文章の断片がたくさん収載されてます。この本、好きなんですよ。パスカル・キニャールは小説家なんですが、もともと音楽家を目指してたみたいです。

――どんな内容なんですか?

 音楽がいかに良くないものかってことを全編にわたって綴られています(笑)。例えば「この人間の言葉だけが、自然の音の中で唯一うぬぼれている(この世界に意味を与えようという思い上がりを持っている)。音を立てるものに対して、お返しに意味を付与しようという拷慢さを持っている。土地を蹴る足音、恐怖。震撼。それは常におじけづき、その場から逃げようと地を足で蹴る人間が立てる音だ。その場は新石器以前、深淵だった 」みたいな。こういう短い文章が延々と。

――なぜこの本が好きなんですか?

 音楽を好きな人は音楽を褒めるじゃないですか、頭のどこかで音楽は言葉よりも上だと思ってる。感覚のほうが上位というか。でもこの本には「耳には瞼がない」と。つまり視界のようにシャットアウトできない。音はジャックしてくるんだっていう。その恐怖を思い出したほうがいい、みたいな。文字を読んで理解するより音を聞いたほうが早いというのは思い上がりですよって。あるじゃないですか、「理性より感覚でしょ」みたいな。

――音楽にまつわる文章を書くことが多いので、そのジレンマは常に持ってますね。

 僕はバランスが大事だと思う。理性も感覚も大事。よく「音楽やってる人同士はすぐ仲良くなれるよね」とか言っちゃってるけど、僕は「いやいや本も読めよ」と思う。確かに感覚の中に分析が入ってくると、純粋性が減るような気がしちゃうじゃないですか。でも文字なしに何かを考えることは不可能なんです。だからこそ両方必要だと思うし、音楽も文字も道具なんだからうまく使えばいいだけだと思うんですよね。

――さきほどからお話を伺っていると、okadadaさんは常に多角的に物事を捉えていますよね。いつ頃からそういうものの見方をするようになったんですか?

 いくつかありまして……。田舎で育ったんですけど、インターネットには結構早くから触れていました。2ちゃんねるを初めて見た時、音楽板に行ってみたら、当時の有名J-POPアーティストのアンチスレがあって。テレビや雑誌では人気者なのに、めちゃくちゃ悪口書かれてたんです。僕はそもそも子供すぎて「アンチ」という行為の発想すら無かったこともあってすごくビックリして。いろんな人がこの世には居るんやなっていう。

 多様な価値観ってやつにインターネットで触れたんです。同時に2000年代のネット見てたらTHA BLUE HERBのファンっていうかシンパはすごく多くて、アングラ褒めてメジャー馬鹿にするみたいな。BOSS(ILL-BOSSTINO。THA BLUE HERBのラッパー)さんって啓蒙的なラップじゃないですか。「自分の頭で判断しろ、流されるな」的な。でもその時僕が見たファンって、BOSSさんの言うことにただ従ってるだけに見えたんですよね。それって一番BOSSさんが望んでることの逆じゃないのかって。

 2ちゃんねるも「マスコミは嘘をついてる、真の情報はネットにある」ってよく書いてて、それに感化された人はテレビや新聞を信じなくなった代わりにネットに書いてあることを鵜呑みにしてる。BOSSさんと2ちゃんを横に並べるのは正直変なんですけど、どっちも自分には同じ影響があって「既存のものを疑え」ってことを教えてもらった時に、最初にやることはそれを教えてくれた人の言ってることを同じように疑ったり検証したりすることじゃないのか、って思って。 音楽、特にラップには考えを保留させないパワーがあるじゃないですか。

――THA BLUE HERBのライブは観ると高確率で泣いちゃいますね(笑)。

 でもそれこそが「耳には瞼がない」ってことなんですよね。東浩紀さんの『新対話篇』に 五木寛之さんと対談してる回があるんですね。五木さんは戦前、朝鮮半島で暮らしていて、敗戦でソ連が進駐してきました。当時はいわゆる「乱取り」のような略奪が黙認されていて、入ってきたのは「囚人部隊」と呼ばれる刺青の無頼の兵隊でした。ある夕方に彼らが兵舎に戻っていくのを見た。隊列も組まずに軍服もだらしなく着崩した下品なやつらで、五木氏は彼らを「ケダモノ」だと思って遠くから兵隊を見ていたそうです。そしたら彼らが歌い出したんです。そこからみんなが歌い始めて合唱になった。五木氏はハーモナイズした合唱をその時初めて聴いたらしくて、その無頼漢たちの音楽が天使の声、「天上の音楽や」と思ってしまったらしいです。憎いはずなのに猛烈に感動してる。「これはいったいなんなんだ」とものすごく混乱したと話されていました。その経験がずっと自分の中に残っていて、それを解消したくて戦後ロシア文学を読むようになったって話してて。その文章を読んで僕はすごく感動したんですよ。倫理的だから良い音楽とか芸術ができるって本当に関係無いなって。

――今日okadadaさんとお話をして、以前、人生の先輩に言われた「わからないことに対してすぐ答えを出すのではなく、一旦保留しておくことも重要だ」という言葉を思い出しました。

 なんか恐縮です……。まあ今日いろいろと話させてもらいましたけど、僕もいまだに「どっちや!?」って感じなんですよね(笑)。きっとどっちもあるんだと思う。さっきから言ってるけど、だからバランスが大事やし、常に相対化していくことも重要なんやと思います。

インタビューを音声でも!

 好書好日編集部がお送りするポッドキャスト「本好きの昼休み」で、okadadaさんのインタビューを音声でお聴きいただけます。