進む分断、死者が記憶つなぐ 歌人・福島泰樹さん(77)
《死者なれば君らは若く降り注ぐ時雨のごときシュプレヒコール》
これまでに60年安保を描いた作品を幾つも世に送り、今なおあの出来事の意味を問い続けている。
60年当時は大学入学前で、直接デモなどに関わった経験はない。だが、その数年後に早稲田大学で起きた学生運動に加わるうち、自らの境遇を60年安保にまつわる「死者」たちに重ねていった。
デモ隊が国会議事堂に突入した混乱のなか命を落とした大学生の樺美智子。日米安保条約改定の後、失意のうちに命を絶った学生歌人・岸上大作……。「若くして世を去った彼、彼女のどうにもならない無念が、学生運動のさなかにいた自分には、我がこととして感じられてならなかった」
「われわれ」の時代は終わり、「われ」と「われ」は引き裂かれた――。かつて、「七〇年代挽歌(ばんか)論」とする論考の中で、そう記した。呼びかける者と、呼びかけに応える者。60年安保闘争が呼び起こした人々のそうした「連帯」は、70年代に入るともはや失われ、個々に分かれていったのだと。正規、非正規雇用間の格差など「時が経ち、社会の『分断』はますます広がっている」と感じる。
《みな貧しく一途に激しゆきしかな岸上大作 樺美智子よ》
40年近く、毎月10日に東京・吉祥寺のライブハウスで「短歌絶叫コンサート」を開催してきた。安保の記憶を繰り返し歌に託して叫ぶ。「支配の構造は何も変わっていない、安保は何も終わっていないと、死者たちは常に新しく語りかけてくる。言葉には魂が宿っているんだ」
60年が経ち、あの出来事は、史料の中の話になりつつある。それだけに、死者の目線から安保闘争を考え、経験し直すことの重要性が増しているという。「安保は忘れられてはならない。そこには反戦平和のために若い命を賭して闘った人々がいた。60年が経ち、確かに『われ』と『われ』とは引き裂かれたが、人々が再び連帯する日が来るだろう」
身体からの欲求の発露、私たちにも 政治学者・佐藤信さん(32)
60年代の若者たちは、なぜかくも熱かったのか――。およそ10年前、大学生だった時に執筆した新聞連載をもとにした著書『60年代のリアル』で問うた。
ネットが発達した現代にあっても「リアル」を人が求めるように、60年代の若者たちも、権力に自らの身体をもって向かっていく「肉体感覚」を追い求めた。そして、その最も強烈な発露が60年安保闘争だったのではないか、と同書でつづった。
「個々の視点で見れば、自分一人がデモに行ったところで何も変わらないという考え方をするのも合理的と言えるだろう。ただ、政治はそれだけでは済まないのだという根本を、60年安保は私たちに伝えている」
細かい理屈は分からずとも、何かに関わりたい、自分の声を伝えたいという若者の身体からくる欲求が、大きな社会的争点を呼び起こした。
そして今、60年前の出来事は、私たちと無関係な昔話ではないという。執筆から10年の間に、日本でも様々なデモが起き、その確信を深くする。「肉体を持つ人間である限り、私たちも当時の若者と同じ欲求を抱き得る。同種の大衆運動がまた復活してもおかしくはない」=朝日新聞2020年6月17日掲載