ミステリー小説の新人を発掘する江戸川乱歩賞(日本推理作家協会主催)に8日、横浜市の佐野広実(ひろみ)さん(59)の「わたしが消える」が選ばれた。佐野さんは21年前、主に歴史・時代小説の新人賞である松本清張賞を別のペンネームで受賞していた。異なるジャンルでの新人賞受賞には、どういう経緯があったのか。
佐野さんは「島村匠」として1999年、幕末の絵師を描いた『芳年冥府彷徨(よしとしめいふほうこう)』で清張賞を受賞。高校の非常勤講師や業界誌の編集者などを経てのデビュー。その後も、歴史・時代小説などの発表を続けた。
だが、「けっきょくは売れなかったから」と筆名もジャンルも変えて、公募新人賞である乱歩賞に応募。受賞作は、認知症が徐々に進行する不安を抱えつつも事件に巻き込まれる元刑事が主人公だ。受賞会見では、島村匠の名前ではちょっと、と出版関係者に言われた苦い経験も明かし、「(作家の)名前っていうのは、どうもブランドらしくてですね」と無念さもにじませた。
乱歩賞では、応募者のプロフィルはほとんど伏せられたまま、選考を進める。選考委員の京極夏彦さんは「(受賞会見の)今日まで清張賞の受賞を知らなかった」と驚いていた。清張賞の受賞作は読んでいるが、「(同じ筆者だと)わかりませんでした」と語った。
じつは昨年の乱歩賞の受賞者の神護(じんご)かずみさん(59)も20年以上前にデビューしたが、ジャンルを変えて「再デビュー」する形となった。京極さんは「きちんとしたプロモーションができていなかったのかなと。本来的に活躍していてよい人が、表に出てこない」と話す。「編集者や出版社となかなかうまく仕事が出来ないと、どれだけ技量があっても難しいということはあるのでしょう」(興野優平)
オンラインで選考「無駄なく」
新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、江戸川乱歩賞の選考は、初めてオンライン会議システムで行われた。選考委員の京極さんは受賞会見で、オンラインの意外な良さを語った。
「選考がなおざりになった、ということは一切ありません。むしろ、いつもより無駄のない討議ができた」。選考委員が集まって討議する通常の選考会では、話している人の横から割って入ってくるようなことも多い。声の大きい人の意見が強い傾向が、ないわけではなく、オンラインだとあまり茶々を入れられない、と長所を挙げた。
短所としては「受賞者と選考委員とが顔を合わせて交流を持つことが多かったが、それがないのはちょっと寂しい気はする」とも話した。
ほかの文学賞でも、コロナ禍が選考に影響を及ぼしている。
4月に発表される予定だった日本推理作家協会賞は、選考会が延期され、日程がまだ発表されていない。5月に発表が通例の三島由紀夫賞、山本周五郎賞は候補作は公表したが、選考会は秋に延ばした。
一方、群像新人文学賞や太宰治賞は、メールなどのやりとりで受賞作を決めた。芥川賞、直木賞の選考会は例年通り、東京・築地の料亭で7月に開く。ただ、選考委員に供されていた食事は取りやめ、2時間前倒しで選考会を始める。=朝日新聞2020年6月17日掲載