5月、検察官の定年延長法案が日本社会を大きく騒がせた。新型コロナウイルスの感染拡大の渦中にあって、なぜ、今、この法改正が必要なのか。そもそも、定年による退任が確実視されていた検察官を閣議決定によって定年延長させたこと自体に無理があった。この法案は、いわばその無理を追認するものとして、疑念を生んだのである。
政治思想史を専門とする筆者にとって、この過程で三権分立が焦点になったことは興味深かった。恣意(しい)的な検察官の定年延長は、司法の独立を脅かし、ひいては三権分立を揺るがす。これに対しては、議院内閣制を採用し、行政権と立法権が結びついた日本には三権分立はあてはまらないといった反論もあったが、三権分立という抽象的な原理が多くの人々を突き動かすことになったのは驚きであった。
何より、この論議が頂点を迎えたとき、飛び出したのがジョン・ロックの『統治二論』であったことに留意したい。法改正に反対する松尾邦弘・元検事総長らは、意見書提出にあたって「法が終わるところ、暴政が始まる」(加藤節訳)という言葉を引用した。政府は人民の信託によって成立する。その信託に反する権力に対し、人々は抵抗権を持つ。本の終盤、最高潮に達する後篇第18章「暴政について」に問題の一句が登場する。
三権分立の確立
ロックがこの本で目指したのは、人民の信託を受けた立法権こそが国家の最高権力であり、王の政府もまた、法を忠実に執行するためにあると位置づけることであった。それゆえ、法によって与えられた権力を逸脱する統治は暴政であり、人々の権利のためではなく、自らの私的利益のために権力を行使する為政者には抵抗してよい。元検事総長らが、あえてこの引用をしたねらいは明らかであろう。
ただし、ロックが『統治二論』で立法権・行政権と並べたのは連合権(外交権)である。たしかに、外交が議会の統制にいかに服するかは今日なお重要な問題であろう。
いま言われている三権分立では、より重要なのがモンテスキューの『法の精神』である。実は、学説史的にはモンテスキューが司法・立法・行政の三権分立を唱えたという説には疑問が残るのだが、陪審を中心に司法権の役割を強調したことは、間違いなく彼の貢献であった。いわゆる三権分立論が確立したのは、『法の精神』以降である。
米国の独立にあたり、モンテスキューを熟読した建国の父たちは、念入りに権力分立のシステムを連邦憲法に採り入れた。厳格な三権分立や連邦制がそれで、彼らが執筆した『ザ・フェデラリスト』(A・ハミルトンほか著、斎藤眞ほか訳、岩波文庫・品切れ)は今日なお政治学の重要な古典となっている。
鍵を握る司法権
日本に目を転じれば、何より重要な著作は三谷太一郎の『政治制度としての陪審制』であろう。「近代日本の司法権と政治」を副題とするこの本は、近代日本における検察の問題に光をあてる。明治憲法体制において反政党勢力を代表したのは、「統帥権の独立」を掲げた軍部だけではない。「司法の独立」を唱えた検察主導の司法部もまた、政党政治の脅威であった。検察権力で政治に介入、司法界の法王として君臨し、首相となって右翼的な国家改造を目指した平沼騏一郎がその代表である。
三谷は、政党の側からの検察への対抗策として、戦前における陪審制導入の試みを分析するが、検察が政治的意味を持ったのは、はたして遠い過去の話と言えるのか。政治権力は国民の権利を守るための法によって縛るべきであり、鍵を握るのが司法権である。そのとき、日本の場合は特に検察と政治の関係が重要になることを、今回の出来事はあらためて痛感させた。=朝日新聞2020年6月27日掲載