人の目に振り回されず自由に生きる餓鬼
――絵巻物のようなタッチのイラストが特徴的ですが、塵芥さんは元々日本画を学んでいらっしゃったそうですね。
塵芥:日本画にはあまり興味がなかったんですけど、高校で美術科を専攻していたので、進学のために専攻を選択する必要がありました。日本画のデッサンのスタイルが線の美しさを追求する繊細なものが多かったことから、専攻を決意して毎日アトリエに通いました。もともと漫画家を目指していましたが、大学の間に芽が出なかったので一旦諦めてwebデザイナーとして就職しました。しばらくして独立し、フリーランス歴は10年です。漫画家は諦めていましたが、オリジナル同人漫画の即売会があることを知って創作意欲が沸き、クライアントのためのデザインではなく、自分の創作物を商品にして売りたいと作家活動を始めました。一昨年の11月に即売会で同人誌を発売していたところ、マンガボックス(iOS・Android用マンガ雑誌アプリ)の編集さんに声を掛けていただき、安達智(あだち・さと)名義で『あおのたつき』という花魁漫画の連載をスタートしました。
『あおのたつき』は時代物の漫画なので、いつか延長線上に「四国八十八ヶ所の妖怪」みたいな漫画を描いて地方再生のようなことが出来たらいいなと考えていたのですが、『丁寧な暮らしをする餓鬼』の方が先にそれに近しいことをやってくれそうな気がしています。
――「餓鬼」を主人公に描こうと思った理由やきっかけを教えて下さい。
塵芥:『あおのたつき』で妖怪のようなフォルムの色々な霊を描いていて、その一環として何となく餓鬼を描いてみました。本作で描いている餓鬼は「餓鬼草紙(餓鬼道世界を主題とした、平安時代末期~鎌倉初期に描かれた日本の絵巻)」に登場する餓鬼をモデルにしています。昨年の9月、Twitterに「丁寧な暮らしをする餓鬼」とコメントしてアップした画像が、思っていたよりも多くの方から反応をいただいたんです。ちょうどお彼岸シーズンだったこともあり、スベったら期間限定だったことにしようと思ってアカウントを開設すると、お坊さん方が真言(大乗仏教における仏が説く真実の言葉)を引用リツイートして唱えてくるようになりました。真言を唱えられると餓鬼はどうなってしまうのだろうと心配していましたが(笑)、餓鬼の供養のために唱えてくれていることがわかりました。ちょうどそのころ、佐藤さんから「本にしませんか」と声をかけていただいたんです。
――佐藤さんが初めて本作をご覧になった時の感想はいかがでしたか。
佐藤:Twitterを見ていた時に、ガッキーがビニール袋を三角に折りたたんでいるイラストをたまたま見つけました。第一印象は、とにかく絵が上手だなということですね。他にも色々なガッキーのイラストが投稿されているのを知って「これは面白い」と思いました。その時はまだフォロワー数が4000人くらいでした。
すぐに編集部のみんなに見せたんですが、その時は「本にしても売れるかな」という意見が多く出たので、一度諦めようとしたんです。でも、やっぱり私は忘れられなくて絶対本にしたいと思いました。すでにフォロワーさんたちから「ガッキー」って呼ばれていて、それからあっという間にフォロワー数が増えていったんですよ。今は10万弱なので、すごい人気ですよね。
――生前、強欲で嫉妬深く、常に貪りの心や行為をした罪のむくいから生まれたという餓鬼ですが、本作で描かれている餓鬼(ガッキー)は、必要以上に欲しがらず、日々の生活を慎ましく過ごしていますよね。
塵芥:六道のうち、餓鬼道は人間道よりも下層なので餓鬼は人間よりも劣っているはずなのに、その餓鬼が「足るを知る」生活をしていたら面白いかなと。描いているうちに何故か愛着が湧いてきたのもあって、みんながしているような日常を描くようになったのですが、気づいたら「餓鬼はこんなことしない」シリーズになっていますね(笑)。
――どのコマのガッキーも顔の向きや表情はほぼ同じですが、効果線やコマに添えた一言などもうまく取り入れているせいか、喜怒哀楽が伝わってきます。
塵芥:餓鬼の顔はちょっと違うだけで全然変わって見えてしまうので、自分でも難しくて未だに下書きが無いと描けないです。色んな角度から描くのは大変なので、どの顔もスタンプみたいな同じ顔になってしまったのですが、そうして良かったなと思うのは、能楽や一部の神楽で用いる能面って、光の当たり具合で表情が変わって見えるんです。そんな感じで、この餓鬼もすごく怒っているように思う人もいるし、そうでもない人もいると思うので、見ている人が想像できるからいいのかなと。そこで自分にも投影しやすいのかなと思っています。
――本来は常に食べ物に飢えている餓鬼ですが、ガッキーは豆からひいたコーヒーや、自家製缶詰など、自分で作ったものを食べていますよね。
塵芥:そこは設定の矛盾が出てしまいましたが、一応この餓鬼はお坊さんに教えていただいた真言を自分で唱えているので食べられるのかもしれません。お盆の時期に行われることが多い「施餓鬼(せがき)」という供養があって、真言を唱えると餓鬼はお供え物を食べられるようになります。餓鬼も色んな餓鬼がいますし、36種いるとされる中に該当しない餓鬼もいたようなので、この餓鬼は日々善行を積んでいるので自分で真言も唱えるし、好きなものを食べられるようです。
――では、ガッキーが渇望しているものは何でしょう?
塵芥:本作の餓鬼は、食べ物に飢えているのではなく、承認欲求の餓鬼のようなので、コミックスを出してもオリジナルグッズを出しても「もっともっと見てほしい」っていう思いが強くて、日々活動しているんだと思います。
――みんなからの「いいね!」が欲しいという点では、SNSとの親和性がありますね。現在のTwitterフォロワー数は9万人を超え、オリジナルグッズも販売するなど「アイドル的存在」になっているガッキーですが、これだけ多くの人に注目されているので、大分満たされてきているのでは?
塵芥:満たされてしまうと餓鬼で無くなってしまいますし、餓鬼の刑期は1万5000年くらいあるそうなので、まだしばらく餓鬼でいると思います。
――ガッキーがツイートで使っている半角カタカナ言葉も、今やアカウントに集まる人々の共通言語的なものになっていますよね。佐藤さんから見た本作の良さや、読者の方からの反応で印象的だったことがあれば教えてください。
佐藤:「丁寧な暮らしをする餓鬼」は、Twitterのフォロワーさん同士の横のつながりもほっこりするコメントが多くて、ケンカをしない優しい世界。フォロワーさんのリプライを塵芥さんが漫画にすることでみんなで盛り上がるところが楽しいです。それに、ガッキー自身は年齢を気にせず生活を送っています。若さ第一主義ではなく、年齢にとらわれず自分のしたいことをして暮らしている様子がかわいいなと思います。
――丁寧な暮らしをする餓鬼の生き方は今の世相に訴えるものがあると思うのですが、塵芥さんが本作を通して、伝えたいメッセージを教えてください。
塵芥:本作の餓鬼は、善行を積んで「いつか輪廻転生(りんねてんせい)して人間になりたい」気持ちで活動しています。やや手段が目的になって普通に日常を楽しんでしまったりしてしまうところがありますが、あくまで「自分のために」丁寧な暮らしをしています。なので、餓鬼のグッズを作る時も餓鬼の理念を反映して、みんなの生活を良くしたり、なにか些細な事でも社会に貢献できるものを作りたいと思っていますし、その理念をこれからも大切にしたいなと思っています。餓鬼道という人間の既成概念が及ばない境涯で、丁寧な暮らしをする餓鬼は見た目にこだわらず、男なのか女なのかもどうでも良く、人の目線に振り回されず、本来の餓鬼道の設定も無視して、ただその日その時したいことに夢中になったり面倒になったりと気ままに暮らしています。
今は何かとジャッジされがちな世の中だと思いますが、日々様々な価値観と闘っている現代の人たちが餓鬼の暮らしを通して誰にも干渉されない不思議な境涯をのぞく事ことで、少しでも楽になれたら嬉しいです。