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牛乳屋の孫 澤田瞳子

 ひと月ほど前から、宅配牛乳を取り始めた。以前から時折訪れて牛乳を買っていた牧場が新型コロナの影響で大変と聞き、少しでも応援になればと定期購入を決めたのだ。

 かつて私の母方の祖父母は愛知県で、小さな宅配牛乳店を営んでいた。幼稚園児の私が遊びに行くと、祖母は店の土間の隅から瓶のフルーツ牛乳を出してくれた。甘い飲み物とあまり縁がなかった私にそれは驚くほど美味で、あまりに印象が強烈だったせいか、店の間取りを今でもよく覚えている。

 私は十八人いる祖父母の孫の中で最年少で、そのせいか祖母にはひどく可愛がられた。彼女は牛乳の集金の帰路に玩具屋の前を通ると、「これは瞳子に」とおもちゃを求め、私が遊びに行くのを待ってくれていた。

 その祖母は私が中学生の頃に亡くなったが、大人になってから親類の間を聞き回ると、どうやら彼女の私への愛情の注ぎ方は桁外れだったらしい。従兄姉たちは、「そもそも牛乳屋(祖父母の家の通称)に遊びに行ったことがない」「何度か行ったけど、何も飲ませてもらっていない」と口々に言う。祖父の妹、つまり祖母には小姑(こじゅうと)に当たる大叔母は、勝気な祖母とずいぶん衝突したようで、水を向けると数十年前の恨み言がいまだにぽんぽん飛び出してくる。

 人間とは、決して一面的な存在ではない。誰かに優しい顔を見せる人が、他の者にはひどく冷淡というのも現実にはままある話だ。祖母のそんな人間臭さを知ると、従兄姉たちに対して肩身狭く感じる一方で、ただ優しいだけではなかった彼女ともっと話をしておくべきだったと思う。

 祖父母が配っていた牛乳ブランドはとうになくなり、店の跡地にはマンションが建っている。私の実家の台所のどこかには、祖父母の家からもらってきた乳業会社の販促品コップがあるはずだ。牛乳屋の孫として、夜明けとともに届く牛乳をそのコップで飲んでみたくて、最近は暇を見付けては棚を探し回っている。=朝日新聞2020年7月8日掲載