旅について描かれた面白い本というのは、読者がその旅を追体験できるのはもちろん、著者の思考の軌跡をたどることによって、知っている場所に未知の驚きを発見したり、知らない場所なのに思わず自分との関わりを見いだしたりするような、小さな手がかりがあちこちにちりばめられている。その点において本書は、老若男女、読者を選ばずに誰もが拾いたくなるような、きらきらとした言葉の破片に満ちている。
例えば冒頭に出てくる山形県の遊佐(ゆざ)という町。ぼくにとっては、“アマハゲ”という小正月の来訪神行事を撮影するために訪れた場所なのだが、沢木さんは地名の美しさとベルリン・オリンピックの日本代表選手の姓を連想して、「ダーツの旅」のごとく、その地を訪ねる。こうして自分の記憶と、沢木耕太郎という稀有(けう)な旅人との足跡が思いがけず交錯し、自分の眼前に新しい遊佐が立ち現れては、ふっと消えていく。
沢木さんの子どもの頃の情景、若いときの生きざま、家族との思い出、文学者との交わり、仕事への誠実な姿勢……。小さな一冊のなかに、これまでの沢木さんの作品の背景にあるエッセンスが波のように揺れている。
広がっているのは間違いなく著者の眼(め)と言葉の海なのだが、短いエッセーが連なる本書は、底が見えない沖に飛び込むというわけではなく、視界のひらけた渚(なぎさ)をあてもなく歩く幸福に身を浸す感覚だ。そして、読後は間違いなくその先に連なる大海、すなわち、これまでに編まれたノンフィクション作品の深みへと漕(こ)ぎ出したくなる。
新幹線で移動するとき、目の前の座席ポケットに入っていた冊子に連載されているこのエッセーを読むのを、実は毎回楽しみにしていた。あのときの贅沢(ぜいたく)なひとときが凝縮された本書は、まさにコロナ禍で重苦しいこの時期に、或(ある)いは久々に動き出そうとする今こそ読み進めたい軽やかな一冊である。=朝日新聞2020年7月25日掲載