わたしはどちらかというとボンヤリした青春時代をすごしており、これといって好きな音楽ジャンルなどはなく普通にテレビで流れているヒット曲に夢中になっていた。メロディーや音楽のかっこよさよりも、どちらかというと歌詞にひかれる傾向があり、それはずっと変わっていない。
最初は小室哲哉がつくる音楽をよく聞いていた。私は小室哲哉の書く歌詞が好きで、さまざまな歌手の声の良さに合わせてつくられたのびやかな旋律のみならず、人に歌いたいと思わせるような詩の才能がある人だと思っている。作曲家としてだけではなく、詩人としてすごく好きだ。そこからL'Arc~en~Cielの音楽世界に恍惚となったり、ゆずのブレイクにファーッとした気分になったり、かなり素直にたのしく流行音楽を享受していた。
だいぶ遅れて好きになったのがスピッツで、「運命の人」のシングルが発売されたときに初期から遡って聞いた。「運命の人」をはじめて聞いた瞬間におぼえたあの感覚は、うまく言語化できないし人生で一度の衝撃だったと思う。具体的にいうと「でもさ 君は運命の人だから 強く手を握るよ」という歌詞の「でもさ」に衝撃をうけた。歌詞の細部に感動しがちな性格で、同様のパターンとして宇多田ヒカルが「Addicted To You」で歌っていた「君にaddictedかも」の「かも」にも衝撃をうけた。よく「addicted」に「かも」を繋げられるなあと感動した。
高校時代に鬼束ちひろを猛烈に好きになった。今でも好きで新譜が出ると買っている。神の子としての語りから現世への疑問を歌い上げたセカンドシングル「月光」で大ブレイクした彼女に夢中になった要因としては、二十歳前後で先行き不透明な自らの情勢と、なんとなく世間に馴染めないのではないかという不安にジワジワ染み込んで、端的にいって救われていたのだと思う。
彼女の三作目のアルバムの中に「Castle・imitation」という曲があるのだが、このサビで歌われる歌詞をメロディーとともに聞くと、今でもおかしな気分になる。「愛して激しさで見失う正義のナーヴァス」というのがその歌詞なのだが、あのころの流行音楽の歌詞はいまよりも少し抽象的で、メッセージや意見に慎重だった。というわけで友達にはさんざん「意味がわからない」「むずい」といわれたりしたのだが、わたしは二十歳のころに一人で「そうか……愛して激しさで見失う正義のナーヴァスなんだよなあ……」と納得した気でいたし、今でもまったく同じ気分のままでいる。
こうした分野において人は二種類に分けられる。思春期に好きだったものを否定して大人になっていく人と、思春期に好きだったものを好きなまま大人になっていく人。自分はだんぜん後者の人間といえる。