初めて出版されたのが1983年で、版を重ね、いまも難関大学で一番読まれる本だと宣伝文句にある。思考と、その整理をめぐる、ノウハウ本である。
その方法論はというと、アイデアは少し寝かせろとか、早起きして昼寝しろ(頭が2度、すっきりする)とか、自分の考えを他人とおしゃべりしろとか。まあ、ふつうだ。いまも似たようなことを書くハウツー本は、山ほど出ている。
本書が違うのは、語り口だ。
文章が、端正である。「見つめるナベは煮えない」「ひとりでは多すぎる」……。英文学の碩学(せきがく)である著者が引く格言は、どれも滋味にあふれて落ち着きがある。時のふるいにかけられた平静な思考は、人を、むやみにせき立てない。
出版当時はインターネットもSNSもない。だから、新聞・雑誌のスクラップ法や、カード、ノートの取り方など、情報の「整理」に関しては牧歌的な箇所が多々ある。
しかし、本書の急所はそこではない。「思考」だ。
著者は、知的活動を3種類に分ける。(1)既知のことを再認(2)未知のことを理解(3)まったく新しい世界に挑戦。(1)、(2)ばかりで(3)をする人が少ないと著者は嘆くが、ネットが高度に発展してだれでも容易に情報へアクセスできるようになったいま、むしろ「思考」の退化は指数関数的に進んでいる。自分の知りたいことしか知ろうとしない。世界は、そんな(1)人口ばかりで埋め尽くされているではないか。
考えないのではない。考えたくない。日米中ロなど、世界で権威主義的な“強い指導者”がもてはやされているのも、その直接的な表れだ。自分の代わりに考えてくれる、強い言葉で世界観を断定してくれるから。
「ほんとにそれでいいの?」と、そこから考えたくなる。本書がロングセラーになっているのは、「思考」の愉悦が、じつは人間の本性だからだ。
と、考えるのは、楽観的にすぎるだろうか?=朝日新聞2020年9月12日掲載
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ちくま文庫・572円=124刷253万3400部。1986年刊(単行本は83年刊)。著者は7月に96歳で亡くなった。