太陽が地平線の下に沈んだまま顔を出さず、漆黒の夜がともすれば半年間も続く北極圏。強い太陽の光に照らされ毎日を生きる僕らからは、ちょっと想像もつかないような暗闇の氷原を、探検家・角幡唯介さんはひたすら進みます。彼の記録を記したノンフィクション『極夜行』(文藝春秋)を、今回ご紹介します。
周到な準備を積み重ね、なんと足かけ4年にもわたる冒険プロジェクトだったそうです。探検の定義を「人間社会のシステムの外側に出る活動」だと考えている角幡さんは、GPSを持たず、天測によって自分の位置を推し測る「六分儀」を使って探検に出掛けます。北緯77度47分、北極圏でも「超極北」にある小さな猟師村シオラパルクから探検はスタート。村に暮らす人々に力を貸してもらいながら、相棒の犬を1匹連れ、数十キロにもなる重い橇(そり)を引いて、暗闇世界を進みます。
容赦なく吹き付けるブリザードによって、テントごと氷の海に叩き落とされそうになったり、浮き氷に行く手を阻まれて停滞を余儀なくされたりしながら、暗黒世界を1歩、1歩進んでいく姿に、ただただ息を呑み、引き込まれます。ネットで世界じゅうの情報が即座に得られるいま、敢えて「断絶の空間」に我が身を置くこととは。そして、太陽を見ない生活を過ごした彼が思うこととは……。
ところで、この本の序章は、意外な場面から始まります。それは、東京医科歯科大学付属病院の分娩室。奥さまの初産を前に、何もできず立ち尽くしてしまう角幡さん。そんな時、彼が抱いた思いが、あけすけに綴られています。角幡さんの筆致の魅力は、まさにここ。感じたことをありのままに綴るのです。プリミティブな感情に率直に向き合い、等身大で嘘偽りのない言葉を連ねておられる。元・新聞記者の経験が活きているのかも知れませんが、つらい状況に追い込まれた自分、感動している自分、様々な心情を、余計な装飾なしの表現で書き綴り、読者の心に突き刺さるのです。
そして、家族を得るという経験が、角幡さん自身の人生観に大きな影響を及ぼしていることを示唆しているのでしょう。家族とは、実社会と繋がる綱。風に飛ばされないように、テントを繋ぐクサビのような存在。「家族・自己・社会」、面白いバランスのなかで立っていらっしゃる探検家だと思います。
極夜をゆく探検では、冒頭から悪天候と難所がこれでもかと続きます。そこでは、自らの内面についての思索が暗く深く沈んでいきます。そして彼の探検の目的は、未開の地を求めることではなく、自分自身との対話なのだと、読者は気づかされるのです。暗闇の中、太陽を渇望する思い、極限の状態で絞り出される感情、そして、太陽と再び出会えた瞬間、彼は何を見るのだろう。今まであまり読んだことのないタイプの探検家だと思います。命を失いかねない失敗をしたり、自身の弱さで躓いたり、こと座の星「ベガ」を女性に例え、しょうもない妄想にかられたり、それは暗闇の中でのまさに暗中模索。建前や理想、思想もプライドも剝ぎ取られ丸裸にされていきます。
そんな中僕がとりわけ強い衝撃を受けたのは、動物、自然との距離感です。特に犬との関係性は、角幡さんや村の人々と、僕らとでは根本的に異なります。ペットとしてではなく使役犬として厳しく躾け、時に助け合い、しかしいざという時には大事な相棒の命をもらってでも生き抜く覚悟。我が家でも最近、ラブラドールレトリーバーを飼い始め、子どもたちと可愛がっています。遊んだり面倒みたり癒されたりしますが、彼の地での関係性は厳しい自然を生き抜くために互いを必要としている共存・共生関係。人と犬の原点を垣間見た気がしました。
とうとう、死ぬほど渇望してきた太陽の光を再び見ることになった角幡さん。一筋の光 が暗闇を追い払った瞬間、彼は深層意識のさらに下で無意識のうちに求めていたものを知 るのです。それはとても単純なことでした。
角幡さんにすっかり虜になってしまいました。チベット奥地の未踏の渓谷を行くデビュー作『空白の五マイル』(集英社)を読んでみよう。お子さんとの日々を綴ったエッセイ『探検家とペネロペちゃん』(幻冬舎)も面白そうです。(構成・加賀直樹)