これまで描いたことのない世界を描く
――澁澤龍彦の小説をコミカライズした『高丘親王航海記』の1・2巻が同時発売されました。9世紀に実在した高丘親王(平城天皇の皇子)の天竺への旅を描いた、奇想天外な冒険記です。幻想文学の傑作として名高いこの作品を、マンガにしようと思われたきっかけは?
イラストレーターの南伸坊さんの奥さまに、わたしの絵で『高丘親王航海記』を読んでみたい、と言っていただいたんです。その時は嬉しいけど難しいなあ、と思いました。わたしがこれまで描いてきた世界とかなり毛色が違いますし、馴染みのない動植物もたくさん出てきますから。でも、やってみたら面白いかな、という思いもどこかにあって。わたしももう60歳を過ぎましたし、新しい挑戦してみてもいいかなと思いました。
――澁澤龍彦といえば、サドの翻訳や数々のエッセイで知られる文学者。死後30年以上を経た今日でも、多くの愛読者がいますが、近藤さんはもともと澁澤文学がお好きだったのですか。
いえ、実はあまり読んでこなかったんです。最初に読んだのは、山口晃さんが挿絵をお描きになった『菊燈台』。平凡社の「ホラー・ドラコニア少女小説集成」というシリーズの一冊でした。そこから澁澤さんの小説を何冊か読みました。『狐媚記』などの説話的な作品や、王朝ものは面白いと思います。わたしはヨーロッパの歴史に関心が薄いので、『唐草物語』などに入っている西洋ものはちょっと苦手なんですよ。『高丘親王航海記』はアジアが舞台なので、すんなり世界に入りこむことができました。
――2019年の春から「月刊コミックビーム」誌での連載がスタート。近藤さんが『高丘親王航海記』をコミカライズされると知って、興奮したのを覚えています。
「コミックビーム」さんは自由な媒体なので、すんなり了解してもらえました。ただマンガ家の中には熱烈な澁澤ファンがたくさんいます。いつか自分で『高丘親王航海記』を描きたいと思っていた方も多いはずなので、わたしが描いてしまっていいのかな、申し訳ないなという気持ちがありました。
――澁澤龍彦と親交の深かったフランス文学者の巌谷國士さんは、『高丘親王航海記』をマンガ化するなら近藤さんだ、と以前から思っていたとか。
そううかがってびっくりしました。他の方がお描きになっていたら、ジャングルがうわーっと生い茂って、デフォルメされた動物がたくさん出てくるような、豪華絢爛なマンガになっていたと思うんです。わたしの絵はどうしてもあっさりしているので。これでもがんばって豪華にしようとはしているんですけど、やっぱり他の方に比べるとあっさりしてしまう(笑)。
――巌谷さんはそこが澁澤龍彦の世界に合っている、とおっしゃっていますね。連載開始にあたっては、鎌倉の澁澤龍彦邸を訪問されたそうですね。
マンガ化の許可をいただくためにお邪魔しました。写真でよく見るとおりの素敵なお家で、こんな世界が実在したのか、という感じでした。奥さまの龍子さんには、澁澤さんとの思い出話もいろいろうかがいました。龍子さんがお風呂で鼻歌を歌っていたら、澁澤さんが「音程が狂っているから歌い直せ」とわざわざ言いにきたとか。微笑ましいエピソードでした(笑)。
原作のもつ「明るさ」を大切にしたい
――近藤さんは原作『高丘親王航海記』のどのあたりに魅力を感じましたか。
この小説に関しては、澁澤さんの特徴としてよく挙げられるエロティシズムとか、耽美といったものは感じないんです。明るくて、ひょうひょうとしていて、軽やか。旅の終わりが近づくにつれて、死のイメージが強くなりますが、それでも明るさを失わないですよね。その雰囲気がとても好きなんです。マンガ化する際も、ここはできるだけ再現したいなと思っています。
――主人公の高丘親王は、天竺に強い憧れを抱く「エクゾティシズム」の徒。キャラクター化するにあたって気をつけた点は。
どこをとっかかりにキャラクター化するべきかしばらく考えて、茫洋とした、憎めない、ユーモラスな部分かなと思いました。子どものように無邪気で、ピンチになっても深刻にならない。穴に落とされても、バナナを食べて楽しくやっている、みたいなところですね(笑)。ここが澁澤さんらしさであり、親王らしさでもあるので、常に大切にしていきたいと思っています。
――原作には親王の内面描写があまりないですよね。
だからどこまで踏み込んで描いていいのか、迷う部分はありますよね。澁澤さんの心理描写ってさらっとしているんです。「喜んだ」とか「寂しくなった」とか、ごく簡単な言葉で済ませている。そこから先の心理をわたしが推測して、描きこんでしまうのも違うかなと思うんですが、もうちょっとニュアンスをのせたいという気持ちもあって。そこらへんのバランスが難しいですね。
――親王の人生に大きな影響を与えたのが、平城天皇に寵愛された藤原薬子。マンガでは妖艶なキャラクターとして描かれています。
色っぽい感じを出そうと思いました。内面があまり感じられない親王とは対照的に、薬子は原作でも腹に一物ありそうなキャラクターになっているので。マンガでもどこか得体の知れないところがある女性として描いています。
――幼少期の高丘親王は、薬子の言葉によって天竺への夢を育みます。
天竺への憧れは夢でもあり、呪いでもありますよね。親王の一生は、薬子の言葉に呪縛されてしまったとも言えるわけですから。そうしたニュアンスもさりげなく出したかった。薬子はただ幼い親王を可愛がっていただけかもしれませんが、親王からしたら変な種を撒かれた、という側面もあるんじゃないでしょうか。
澁澤龍彦の思考の流れに触れて
――『高丘親王航海記』は、天竺を目指して中国の広州を出発した親王一行が、占城(ベトナム)、真臘(カンボジア)などを巡り、さまざまな不思議に出会う連作小説。ちょっとしたエピソードも含めて、かなり忠実にマンガ化されていますね。
原作のある作品はできるだけ忠実に描こうと思っています。澁澤さんの原作には、「どうしてこれを入れたんだろう?」と不思議に思うようなエピソードもあるんですよね。たとえば「蜜人」の章に、犬の頭をした男が出てきますが、後のストーリーにはまったく関わらない(笑)。こういう遊びのような部分が、原作の持ち味にもなっているので、省略せずに描きたいと思います。
――幻想的なイメージも原作の魅力です。「儒艮」の章には言葉を話すジュゴンやオオアリクイが、「蘭房」の章には廃墟と化した後宮で単孔(排泄と生殖をひとつの孔でおこなう)の女人・陳家蘭が登場します。
自由にイメージを膨らませて書いているようですが、調べてみると澁澤さんの原作にはすべて典拠があります。決して気ままに書いているわけではないんですよ。マンガでもそこはしっかり押さえないといけないので、調べ物はかなり大変ですね。
たとえば単孔の女人がどうして「陳家蘭」という奇妙な名で呼ばれているのか。気になって調べてみると、13世紀に書かれた『真臘風土記』という中国の旅行記に出てくる名称なんですね。カンボジアの宮廷の召使いを指す言葉ですが、おそらく澁澤さんはそこから単孔の女人というイメージを生み出したんじゃないのかなと。こういうことが分かると澁澤さんの思考の流れに触れられた気がして、とても楽しいです。
――奇妙な動物がたくさん出てくるのも特徴ですね。マンガでは親王一行とともに旅するジュゴンが、とても可愛らしく描かれていました。
幻獣のようなものは描くのが苦手なので、動物としてのジュゴンを描くことにしました。リアルなジュゴンが言葉を話したり、ジャングルを歩いたりする方が、読んでいて楽しいかなと思って(笑)。「蘭房」で後宮を守っている猿は、ハヌマンラングールです。澁澤さんのイメージとは違うかもしれないですが、東南アジアにいる猿といえばこういう感じかなと。動物も植物も、できるだけ現地に実在するものを、資料をあたって描くようにしています。
――『高丘親王航海記』を貫くモチーフのひとつに「夢」があると思います。夏目漱石の『夢十夜』もコミカライズされている近藤さんの世界と、響き合うところがあるのでは。
うーん、わたしが描く夢は悲しいものが多いので(笑)、澁澤さんの明るい夢の世界とは違いますね。親王はピンチの時ほど眠くなる、という不思議な人です。しかもほとんど悪い夢を見ない。いつも楽しい夢を見ているというのが、親王らしくてとてもいいなあと思います。
マンガだけでなく、原作も読んでもらいたい
――近藤さんはこれまで、折口信夫『死者の書』、坂口安吾『戦争と一人の女』、津原泰水『五色の舟』など、近現代文学を数多くコミカライズされています。原作小説を選ぶ際の基準はありますか。
自分にとって面白いかどうかが第一ですね。ただ小説にもマンガ化できるものとそうでないものがあるので、当然できるものから選ぶことになります。人から「これをマンガにしたらどうですか」と勧められることも多いんですが、マンガにならないという理由で断ることもあります。
「この小説をマンガにしてみたい」というエゴで描いているだけで、小説の代わりとしてマンガを読んでほしい、とはまったく考えていません。むしろ多くの人に、原作を読んでもらいたいと思っています。
――高校時代から折口信夫を愛読し、大学では民俗学を専攻されていたとか。近藤さんの読書遍歴を、簡単に教えていただけますか?
中学時代はSFが好きで、高校生の頃は大江健三郎とか谷崎潤一郎とか、いわゆる文学好きの十代が読むような本を読んでいました。日本史にも関心があったんですが、自分が本当に好きなものがまだよく分からなくて、周辺をうろうろしていた感じですね。そのうちに「民俗学」という言葉を知り、折口信夫の『死者の書』を読んで、やっと自分が一番好きな世界はこれなんだと気がつきました。
――『死者の書』は難解をもって知られる小説ですが、すんなり入りこめましたか。
大丈夫でした。『死者の書』は『古事記』が分からないと読めないんですよ。わたしは『古事記』に以前から親しんでいたので、すんなりあの世界が入ることができました。大学進学後は民俗学の勉強をしつつ、坂口安吾などの日本文学も読んでいました。
――怪談の大家・田中貢太郎の『蟇(がま)の血』もコミカライズされていますね。ホラーや怪談へのご興味は?
あまり読んでこなかったです。ただ少し前にたまたま紀田順一郎さんと東雅夫さんが編まれた『日本怪奇小説傑作集』というアンソロジーを読んで、戦前の怪奇小説に目覚めました。田中貢太郎の『蟇の血』をマンガ化したのは、あのアンソロジーの影響が大きいですね。
次章「真珠」には死のイメージが漂う
――「コミックビーム」の連載も終盤にさしかかり、「真珠」「頻伽」の2章を残すのみとなりました。
最後の2章は澁澤さんが自らの死を意識して書かれた、と言われていますよね。それもあって、次の「真珠」はちょっと重たい雰囲気になるかもしれません。でも最終回まで、原作のもつ明るさを失わないようにしたい、と考えています。天竺への途上で親王は死んでしまい、「プラスチックのように薄くて軽い骨」になる。原作のこの結末は、本当に素晴らしいと思います。マンガでも親王のすがすがしい人生が伝わるような、描き方を探っていきたいですね。
――完結を楽しみにしています。では最後に読者へのメッセージをお願いします。
原作ファンにはそれぞれ親王のイメージがあると思うので、わたしのイメージを押しつけるのは申し訳ない気もします。それは原作つきのマンガを描く時に、いつも考えることです。わたしなりに澁澤さんの原作の魅力を再現しようとがんばっていますので、ひとつの解釈として楽しんでいただければ嬉しいです。そしてマンガを先に読まれた方はぜひ、澁澤さんの原作に触れていただきたいと思います。