アラビアンナイトは、妻の裏切りで女性不信に陥ったシャフリヤール王に、才気あふれる宰相の娘シェヘラザードが摩訶(まか)不思議なお話を夜な夜な語り継ぐ物語集だ。いくつもの冒険譚(たん)や恋愛話を収め、魔法のランプや空飛ぶ絨毯(じゅうたん)のエピソードを知らない人はほとんどいないはず。西尾さんはそれを「庶民の文学と知識層の高尚な文学をつなぐ存在」と位置づける。
原形は9世紀ごろのバグダッドで成立し、近世のカイロでほぼ現在の形になったとされる。いくつもの伝承が入れ替わりながら次第にまとめられていった集合体だから、その成り立ちは複雑で謎も多い。実は、アラジンもアリババと盗賊たちも、シンドバード航海記さえも当初から収録されていたか確認できないという。異伝も多く、偽の写本も出回った。
一方、はるか東洋へのあこがれは当時のヨーロッパ人の好奇心をかき立てたようで、さかんに翻訳されていくつもの版を生んだ。民族誌研究に有用なレイン版、お色気たっぷりのバートン版、日本でも浸透した華麗なマルドリュス版。フランスの東洋学者アントワーヌ・ガランの手になる18世紀初頭のガラン版もそのひとつだ。「千一夜」の名もこれに由来する。
ガラン本人が述べているように、ガラン版は必ずしも原典に「忠実」というわけではない。「礼儀上許されない」こと、つまり下品で低俗な部分は意図的に省かれたり書き換えたりされている。だが、この“品行方正”さが、アラビアンナイトを誰もが親しめる世界文学に飛躍させた。
そもそもこれらの物語は、地元でもそれほど知られていなかったらしく、欧州での評価が中東に逆輸入されてガラン版も大きな影響を与えた。シンドバード航海記が千一夜物語の一部として浸透したのもガラン版かららしい。
「市民社会の様々な要求に応じて各種の版ができ、それが欧米における中東世界への窓口になっていった。なかでもガラン版は児童文学としても愛された。ガランがいなければ、おそらくアラビアンナイトが世界に知られることはなかったでしょう」
アラビアンナイトには異文化が多層化し、その世界観は錯綜(さくそう)する。シリア系やエジプト系の伝承など様々で、一部にはキリスト教徒さえ創作にかかわった節がある。アラジンの物語にも、中東から見れば異郷だった東の中国や西のアフリカが登場する。中東が身近とはいえない日本人にとって、その知識や価値観が欧州のフィルターを通したものであることも否定しがたい。
「欧州の視点とは違った見方で中東をとらえ直す必要がある。かつての欧州のようにアラビアンナイトのおもしろさを体験しながら、世界文学としての普遍性をすくい取ってもらいたい」と西尾さんはいう。
多文化共生が叫ばれながら、それらが各地で衝突を繰り広げている昨今。異文化が入り交じりながらも世界文学の普遍性を持つアラビアンナイトは、混沌(こんとん)とした現代社会がたどる未来への指針を提供しているのかもしれない。(編集委員・中村俊介)=朝日新聞2020年9月16日掲載