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ますの寿司 長谷川義史

 憧れの食べ物ってなんでした?

 なんでした?っていうのはもう大人になりましたら大概の憧れの食べ物は食べたことあるでしょ。
 いやそないに贅沢(ぜいたく)な食べ物のことではなくてですね。
 いろいろあったでしょう。

 子どもの頃の話が多いけど子どもの頃っていろいろ憧れましたよね。
 僕はお寿司(すし)屋さんに憧れたなあ。座ってカウンター席で食べるお寿司。

 もちろん回ってないやつ。というか回ってるお寿司屋さんなんか僕らが子どもの頃はありませんでしたもんね。
 大人になったら座ってみたかった。お寿司屋さんのカウンターに。
 食べてみたかった巻いてないお寿司、ちらしてないお寿司、揚げさんで包んでないお寿司、握ったお寿司を。

 お寿司と言えば年に一度だけ食べられる思い出のお寿司があります。
 そのお寿司は握っていません押したお寿司です。

 僕のお父ちゃんのお父ちゃん、僕のおじいちゃんは富山県の出身です。その地の親戚のおじさんが年に一度お仕事の都合か何かで大阪によってくれるんです。
 僕ら親戚いとこの子どもたちはそのおじさんのことを親しみを込めて富山のおっちゃんと呼んでいました。
 富山のおっちゃんが来る日は親戚一同大人も子どもも本家の長谷川家に集まります。

 子どもの目で見ても端正な顔のその富山のおっちゃんに会いたいのはもちろんですがおっちゃんが毎年持ってきてくれるお土産がお目当てです。
 それが「富山のますの寿司」です。あのまあるい木でできたわっぱというのかなあそれを上下棒で挟んでしっかりと太いゴムで固定してあるお寿司。

 その頑丈なわっぱの蓋(ふた)を開けると、まあ鮮やか緑の笹(ささ)の葉があらわれる。
 その時点でもうその笹の清楚(せいそ)な青い匂いと酢飯のちょっと甘くて酸っぱい匂いそしてその上に乗る上品な脂の乗ったええ塩梅(あんばい)のマスが折り重なり一体となった匂いが立ち上る。

 もうここで子どもたちは万歳!と手を上げる。
 大人も多分万歳したいところをぐっと我慢する。絶対我慢してたと思う。

 さあここからですわ。
 親戚一堂に会してますねん。何人いてますねん。
 一つの桶(おけ)を等分に切ります。この場合大人も子どもも等分です。
 真剣に包丁が入ります。
 まあるい桶を真上から時計の盤と見たてたら。十二人で割ったとして時計の針を一人5分分しか食べられへん。

 いつか大人になったら富山に行ってますの寿司買って一人で時計の針を1時間分食べるのが夢でした。=朝日新聞2020年9月19日掲載