1. HOME
  2. コラム
  3. 大好きだった
  4. 綾崎隼さんの血肉となっている岡崎律子さんの楽曲 数秒で、世界の色が変わるほどの衝撃

綾崎隼さんの血肉となっている岡崎律子さんの楽曲 数秒で、世界の色が変わるほどの衝撃

岡崎律子「Rain or Shine」のジャケット

 音楽が大好きです。大学時代は軽音学部でしたし、仕事中も(入稿直前の推敲や著者校正を除けば)ずっと聴いています。あらゆる楽器が鳴らす音の中で、歪んだギターの音色が一番好きです。 
 人生で最も長い時間聴いたアーティストは、岡崎律子さんです。
 出会いは1997年、高校2年生、16歳の時でした。
 「新世紀エヴァンゲリオン」がきっかけで、林原めぐみさんのラジオを聴くようになり、そこにゲストで出演された岡崎さんの歌声を聴いて、文字通り数秒で、世界の色が変わるほどの衝撃を受けました。
 23年の時が流れましたが、今でも、そして間違いなくこれからも、岡崎律子さんの声を越えるアーティストに出会うことはありません。それが確定した事実であると断言出来るほどに、自分にとって特別な存在のアーティストでした。
 ラジオで出会ってすぐに「Ritzberry Fields」を買い、ファンクラブに入り、ひたすら聴き続けました。二ヵ月後に発売された「Rain or Shine」か「life is lovely.」が、人生で最も聴き込んだアルバムになると思います。
 岡崎律子さんの魅力は声だけではありません。岡崎さんはシンガーソングライターであり、その作詞も、作曲も、私にとってbest of the bestでした。
 私には文章を書く上で影響を受けた小説家がいません。大好きな先生、憧れている先生が沢山いますが、真似をしたいと思ったことも、こんな文章を書ける小説家になりたいと思ったこともありません。ただ、二人だけ、言葉を使う上で間違いなく影響を受けたと思う方がいて、それがスピッツの草野マサムネさんであり、岡崎律子さんでした。
 歌詞はもちろん、ラジオ、インタビュー、エッセイ、HPの日記、あらゆる媒体でお二人が使う言葉に感銘を受けていたように思います。
 岡崎律子さんは大勢の方に楽曲を提供しています。それらについても手に入るものはすべて収集し、聴き込みました。彼女自身の楽曲については、視聴用と保存用にCDを買っていました。

 『吐息雪色』という本のあとがきでペンネームの由来を書きましたが、岡崎律子さんから一文字もらいたくて、私は綾「崎」隼という名前にしました。
 これも知っている方がいらっしゃるかもしれませんが、最終話のタイトルに岡崎律子さんの曲名をよくつけています。デビュー作『蒼空時雨』の最終話「雨がくれたもの」は、岡崎律子さんが人生で最初に作った曲のタイトルです。思いが募るあまり、『赤と灰色のサクリファイス』&『青と無色のサクリファイス』では全話のタイトルを、岡崎律子さんの曲からつけました。本によってお借りするタイトルは最初から決めているので、物語が曲に導かれている部分さえあると思います。
 青春時代って、音楽でも、小説でも、漫画でも、映画でも、好きになったものを、何度も、何度も繰り返し浴びる時期だと思うんです。だから、岡崎律子さんの楽曲は、「大好きだった」という範疇を超えて、血肉になっています。そして、自分にとってのそういうアーティストが、岡崎律子さんであることに、誇りを感じています。

 私は小学生の頃に小説家になりたいと考え、28歳でデビューしているので、約20年かかっています。
 十代の頃、私は岡崎律子さんの音楽に救われました。
 だから、ずっと、プロになって、岡崎律子さんに自分の小説を読んでもらうことを目標にしていました。「小説家になって、いつか本を読んでもらいたい!」そんなことを考えていた、唯一の方でした。
 しかし、その夢が叶うことはありませんでした。
 2004年、私が新人賞への投稿を始めた1年後に、亡くなってしまったからです。

 私は永遠に、岡崎律子さんが歌う新曲を聴いていたかったです。
 耐えきれない出来事が、世の中には沢山あります。
もう駄目だ。嫌だ。頑張れない。何もかも放り投げてしまおう。そんな風に自暴自棄な気持ちになったことも、何度かあります。
 そんな時に救ってくれるのは、今も、昔も、岡崎律子さんの楽曲でした。
 「A Happy Life」という曲に、「なぜ 大事なことは一度に来る 選ばなくちゃ どちらがいい どちらもいい」という歌詞があります。
 16歳でこの曲を知ってから、大切な決断を下す時には、いつも頭に浮かびます。
 選んだ道だけが正しいとは限らないと、どちらの道を選んでも正しかったかもしれないのだと、そう知っているのだから、後悔はしても投げやりになっては駄目だと、自分を戒めることが出来ています。

 デビューした後、縁があり、岡崎律子さんのご両親に本を渡すことが出来ました。
 私には十代でデビュー出来るような才能がありませんでした。だから、ご本人には届かなかったけれど、夢は叶わなかったけれど、でも、岡崎律子さんの曲を聴いて育った自分が、強く影響を受けてきた自分が、小説を書き続けて、言葉に出来ない何かを、未来に少しでも伝えていけたら良いなと願っています。