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近くて遠い山 澤田瞳子

 取材に行きたいと思いつつ果たせていない土地が、複数ある。アクセスが悪いため、時間がない、ただのものぐさ……など理由は様々。ただ一か所だけ、その地の全容を把握できず、計画を立てては悩み続けている地が存在する。山梨県・静岡県にまたがってそびえる、富士山だ。

 日本最高峰であり、日本のシンボルとしても使われるあの山。東海道新幹線で新富士駅付近を通過する際、客を北の窓に張り付かせるアレ。富士山を知っているかと聞かれれば、イエスと断言できる。ただ今まで山梨・静岡両県に縁がなく、登山にもパワースポットにも関心を示さず生きてきただけに、富士山に通じているかとの問いにはノーと言うしかない。

 これが皆目情報を持たない土地なら、本をかき集め、早めに取材に出かけたかもしれない。だがなまじ概略を知り、昔から刷り込まれたイメージまであるだけに、それ以上踏みこむことに奇妙なためらいがある。いわば私にとって富士山は、存在は知っていて写真も見ており、噂(うわさ)も聞いているけれど、一度も直(じか)に話をしたことのない親戚のようなものだ。改めて挨拶(あいさつ)するには身近すぎるが、旧知の仲とは言い難い。加えて彼は相当な人気者で、全容を知るには膨大なデータと向き合う必要がある。科学的な特色、歴史、信仰、登山を始めとする観光資源としての姿。今まで遠巻きにしていたツケが一度に押し寄せ、戸惑うばかりだ。

 無知は学ぶことで補えるが、半端な知識や思い込みは、そんな学びに面倒な雲をかける。まずは富士山自身に向き合うために、一度ちゃんと見に行かねばと考えているが、スケールが大きすぎて自分の計画の正否がわからない。地図上では、富士山の裾野と琵琶湖の広さは同じぐらい。つまり車での琵琶湖一周程度の時間を考えておけば、富士山一周できるのだろうか。本当に?――とますます自分の計画に自信が持てず、私は今日も新幹線の窓から、恨めしい思いで富士山を眺めるのである。=朝日新聞2020年9月30日掲載