毎日、目の前の締切ばかり考えているせいか、ある日はっと気づいて「もうこんな季節なの?」と驚くことが多い。自分の感覚が現実より先行することは、不思議にない。ちなみに現在は気分は一月下旬ぐらいなのに、世間ではそろそろ桜が咲きそうと知って呆然(ぼうぜん)としている。
年度末や年末年始の概念が乏しいのも、締切ばかり眺めているためだろう。定年のない自営業なので、年代の区切りにも基本的に無頓着だが、各社の担当者さんが定年を迎える折だけは時間の流れに立ちすくむ。実はこのコーナーをご担当くださっている担当記者さんも間もなく選択定年とのことで、ご丁寧なメールを頂戴(ちょうだい)した。「カバンの隅には」を書き始めて、来年で十年。その間、担当記者さんは異動のために幾人もお代わりになったが、定年を迎える方は意外にも今の方が初めてだ。おめでとうございますと申し上げるとともに、正直お別れが寂しい。
わたしはいわゆる就職氷河期に大学院を修了し、非正規労働を複数かけもちした末、小説を書き出した。ゆえに正規労働、定年制度の類とは関わりが乏しく、どうもこのまま一生を過ごしそうだ。だがこんなぼんやりな自分はどうあれ、周囲は確実な暦を刻んで生きて行かれる。
先日も子育てが一段落した友人が、二十数年暮らした関東から実家のある関西に戻ってきた。人生の着実な転換点を迎えた彼女を祝わねばならないと、他の友人たちと言い合っている。ただ世間には数多くのひと区切りがあるが、わたしのように小さな多忙に追われているとそれが見えなくなる。そして区切りが見えぬとは、時の流れに漫然と身をひたしていることを意味する。これはよくないと思う一方で、世間からガラス一枚隔てたようなこのふわふわとした感覚がいつまで続くのかとの好奇心もある。いつか数十年後、大いなる感覚の遅れに驚くのか、それともこのまま生きて行ってしまうのか。そんなことを思いながら、明日の締切を一つ二つと数えている。=朝日新聞2025年03月26日掲載
