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伝説の書き下ろしアンソロジー「異形コレクション」9年ぶり復活! 監修者・井上雅彦さんインタビュー

文:朝宮運河 写真:斉藤順子

アメリカのホラーアンソロジーに憧れて

――「異形コレクション」9年ぶりの新刊『ダーク・ロマンス 異形コレクションXLIX』が刊行されました。SNS上にはシリーズ復活を待ち望んでいたファンの声が溢れています。反響をご覧になっていかがですか。

 こんなに反響があるとは予想していなかったので驚きました。多くの人に愛されていたシリーズなんだな、とあらためて実感しましたね。嬉しかったです。

――井上さんが「異形コレクション」の企画・監修を始めたのが1997年。当時珍しかった書き下ろしテーマ・アンソロジーを、井上さん自ら立ち上げた理由とは?

 1980年代から90年代にかけて、アメリカのモダンホラー小説が大量に翻訳された時期がありましたよね。その中には『闇の展覧会』や『ナイト・フライヤー』や『カッティング・エッジ』といった、海外の代表的な書き下ろしアンソロジーも含まれていて、すごく刺激を受けたんです。もともとアンソロジー好きということもありましたが、さまざまな作家が一堂に会しているお祭りのような雰囲気が魅力的で。自分もこういう場に書ける作家になりたい、と思っていたんです。

 でも当時日本には、書き下ろしアンソロジーなんてほとんどなかった。あの頃は、比較的数の少なかったホラー作家やホラー関係者たちと月一ぐらいで集まって遊んでいたんだけれど、よく「短編を書く場がない」という嘆きを聞いていました。ないなら自分で作るしかない、と思って始めたのが「異形コレクション」なんです。

――ホラーアンソロジーでありながら、SFもミステリもファンタジーも許容する懐の深さが、「異形コレクション」の大きな特色でしたね。「異形」のお蔭で、読書の幅が広がったという人も多いと思います。

 ホラーということで考えると、僕の考えるホラーの概念が、一般のものよりやや広いのかもしれません。僕の出自がショートショートだったので、ジャンルの考え方にこだわらなかったというのもあります。自分の嗜好はホラーだと自覚していたのですけれどね。

 昔、アボリアッツや東京渋谷でやってた国際ファンタスティック映画祭の「ファンタスティック」って概念にも似てるかもしれませんね。「異形」のほうが、ややダークですけども。

 たとえば、博物館の恐竜展。翼竜や魚竜や首長竜は、厳密に言えば、分類上「恐竜」ではなくて原始爬虫類でしかないわけなのだけれども、それらを除外した恐竜展って、すごく寂しいことになってしまう。純粋なホラー以外にも親和性のある分野の小説が集まってくることを、むしろ喜んでしまうんですね。自分の本棚もそうなんですけど。

 ホラーだけではなく、ある種のSFもミステリもファンタジーも含めて、相互に影響し合って、豊かな宵闇色の生態系をなしている。ショートショートも、実験小説もね。そういうファンタスティックな「森」のような生態系を呈示したかったんですね。

「これぞ異形」と思える作品に出会う喜び

――そうした物語を「異形」と総称したんですね。「異形」という言葉にはもともと思い入れがあったんでしょうか。

 話すと長いことになりまして、1994年に出した一冊目の個人短編集が『異形博覧会』。このタイトルは、講談社の編集者で、新本格ミステリの生みの親としても知られる宇山日出臣さんが、「井上君の書くものは異形のモノの博覧会みたいだね」と言ってくれたのがきっかけなんです。――とここまでは、あちこちで話してもいるんですが、多くの方が、その前年に宇山さんの担当で出した『竹馬男の犯罪』というミステリのことだと思われるんです。確かにサーカスを舞台にしたあの作品は異形総動員みたいな物語だったんですが、でも、実は、僕が宇山さんからそんな風に評してもらってたのは80年代からなんです。「ショートショートランド」という文芸誌に書いたものがほとんどそうだったようで、4作目の「四角い魔術師」を書いた時に言われた言葉でした。それまで、自分では、まったく意識してなかったんですけどね、「異形」という概念も。

――3巻目の『変身 異形コレクションⅢ』までは3か月連続刊行。その後も順調なペースで巻を重ねてゆきました。ご自分の執筆活動と「異形コレクション」の監修作業を両立するのは、かなり大変だったのでは?

 それなりにはね。ただ、長編も短編も書けていたし、執筆の妨げになったということはないんですね。よく「愉しい地獄」と言っていたのですが、肉体的にも精神的にも消耗するのだけれど、やっていて自分が愉しめることだったし、作家として得られるフィードバックも大きかったと思います。オリジナル・アンソロジーの企画と編集は、自分がそれを好きであるというよりも、客観的に見て自分がかなり得意なことなのだ、という認識はありました。でも、それ以上に、やはり、心底好きなことだったのだな、ということが、休止してから、よくわかりました。

――「異形コレクション」にはこれまで200名以上の作家が参加してきました。キャリアも作風もさまざまですが、人選はすべて井上さんが?

 そうです。すでにホラー作家として活躍中の方だけでなく、この人がホラーを書いたらどうなるだろう、と気になる方には積極的に声を掛けていました。たとえば上田早夕里さんは小松左京賞でデビューされた方ですが、いくつかの作品と一緒に、生物学系がお好きだと書いておられた文章を読んで、ピンとくるものがあったんです。SFがプリミティヴな異形を見せてくれた頃のムードを感じたというのかな。そこで、『進化論 異形コレクションXXXVI』で依頼したところ、書いてこられたのが、上田さんの代表作でもある「魚舟・獣舟」。初めてあれを読ませてもらった時は、「これぞ異形だな」と思って、嬉しくなりましたね。

――送られてきた原稿に、ボツ出しすることもあったとか。

 ごく稀に、ですけれど。基本は、書きたいものを自由に書いてもらっていました。ただ、日常を異化する要素のまったくない普通の小説だとか、以前書かれた作品とよく似たものが届いた時には、こうしたほうがいいのではないか、とお話しすることはあります。衝突することもありましたが、実力ある作家さんほど積極的にこちらの指摘を受け入れて、さらにすごい新作を送ってきてくれるんですよ。

9年間の休眠、そして「ダーク・ロマンス」で復活

――20年近く続いてきた「異形コレクション」ですが、2011年刊行の『物語のルミナリエ 異形コレクションXLVIII』以降、長い休眠期間に入ることになります。

 その年の3月に東日本大震災が発生して、世間はホラーどころじゃないという雰囲気になっていました。恐怖と戯れるには心の余裕が必要ですが、震災によってそれが失われていったんです。多くの書き手もこのまま仕事を続けていいのか、と真剣に悩んでいましたしね。同じ時期に僕自身も家族と死別したり辛い出来事も重なって、精神的にかなり疲れていた。これはしばらく休むべきだなと思って、ハートウォーミングな『物語のルミナリエ』を作り、シリーズにひと区切りをつけることにしたんです。

――「異形コレクション」が休眠していた9年間にも、ホラー界では新しい才能が生まれています。今回『ダーク・ロマンス』にも参加している櫛木理宇さん、澤村伊智さんなどです。こうした新世代作家の活躍をどうご覧になっていましたか?

 頼もしく思っていましたよ。『幽』怪談文学賞からデビューした怪談系の作家たちや、SF競作集『NOVA』に書いている方々にも注目していました。本を読んでいてもつい、今ならこの人に書いてもらいたいな、って考えてしまうんですよね。そして、今は「異形」をやっていないんだったと思い出す。休眠中も頭のどこかに、いつも「異形」の存在があったんだと思います。

――そして2020年、『ダーク・ロマンス』で「異形コレクション」は堂々の復活を遂げました。9年ぶりの新刊にこのテーマを選んだ理由とは?

 ヒントになったのは、モード界のダーク・ロマンスと呼ばれるトレンドです。2019~20秋冬のミラノコレクションではこのテーマのもと、仮面やフランケンシュタインや殺人鬼をモチーフにした怪奇幻想的な装いが、ランウェイを彩りました。ホラーを楽しんでいる姿勢に、勇気を与えられたんです。

 ロマンスというと恋愛のイメージが強いですが、もともとは伝奇的な物語の意味。さまざまなイメージを喚起するこの言葉を作家陣に投げかけて、そこから生まれる物語を自由に書いてもらいました。

――『ダーク・ロマンス』に参加したのは15名。シリーズ常連のベテラン作家と、21世紀にデビューした新世代作家、ほぼ半数ずつという内訳です。

 リニューアルして、新しい作家だけでやるべきだという意見もあると思うんですが、僕はそう思いません。以前から参加している作家にも、9年間で変化したり、継続したりしている部分があるはずですから。ページ数の都合から今回は15人に絞りましたが、書いてもらいたい作家はまだいます。「あの人は?」という方もおそらく次巻以降に登場すると思うので、楽しみにしてください。

――作家陣から届いた原稿を読んで、どんな感想を持たれましたか。

 いや、うれしかったですね。また、ここに戻ってきたという感慨も含めて。

 なによりも、こちらの想像を超える作品や、「異形」でないと出せないような作品が届いた時は、再開してよかったとつくづく感じましたね。

 新しい作家たちに関していうと、皆さんちゃんとホラーを分かって書いている、という気がします。90年代はホラーについての理解がまだ進んでおらず、コンセンサスをとるのに苦労したこともありました。今はそんな必要がまったくありません。

 これは世代的な差もあるのかもしれない。僕はある学校で創作を教えていますが、ハロウィンをテーマに作品を書かせたら、みんなすごいものを狙って書いてくるんです。ホラーやファンタジーはもちろん、ラテンアメリカ文学のような実験性の強いものまで。ラノベの影響かもしれませんが、若い世代ほど当たり前にジャンルの文法を身につけていて、驚かされますね。

ホラーによって書き替えられる世界

――来月(2020年12月)には書物をテーマにした復活第2弾『蠱惑の本』が刊行されるそうですね。

 書物をめぐる「異形」というアイディアはシリーズ最初期からあったんですけど、いいタイミングを模索していました。近年、電子書籍をはじめ新しい本の形が出てきたし、出版状況も大きく変化しています。ステイホームで本と向きあう機会も増えたはずですし、出版社や書店さんを応援できるような一冊になればと思うのです。本に関わるすべての人たちが、あらためて、本の魅力と魔力に誇りをもてるように。ちょうど、第50巻目というタイミングでもあるのです。

――コロナ禍以降、差別や貧困などさまざまな社会問題が国内外で露わになっています。こんな状況下、ホラー小説を書き、読むことにはどんな意味があるとお考えですか。

 日常を異化する作法というのかな。あたりまえのように見えるものや、自分が見たいと思っているものだけが世界のすべてだと考えずに、イマジネーションを鍛えていくことは非常に大事だと思います。異形と思えるようなヴィジョンだって、強く想像することで実現し、世界を変えていくことがあるかもしれない。

 昨今の政治や社会情勢に見られるようなグロテスクな現実に比べると、怪奇小説の吸血鬼の方がずっと品位があるようにさえ思えます。グロテスクとは何か、高貴とは何か。ものの見方をひっくり返してくれるような力も、ファンタスティックなホラーにはあると思います。

 とかなんとか理屈づけているけど、結局は好きなんだよね。子供の頃から怪奇幻想的なものが好き。これだけは幾つになってもきっと変わりません。

――三つ子の魂百までですね。では最後に、作家・井上雅彦の今後ついても教えてください。

 今は長編を書きたい気持ちが高まっているんです。以前から書きたかったモチーフが、今年になって、鮮明に見えてきたものが、何冊分もありまして。そのなかでも、本格的なホラーの長編をがっつり書きたいと思っています。

 それと並行して、ひさしぶりに個人短編集をお目にかけられそうです。未収録の短編はすでに結構な数が溜まっているのですが、新しい見せ方で、贅沢なものが創れそうです。

 「異形コレクション」についても、この時代だから試せるアイディアがたくさんあります。まだ発表はできませんが、実現可能なところから少しずつ、やっていきたいのです。

 自作もアンソロジーも、それぞれ、やりたいことは数多くあります。以前に比べて怪奇幻想小説の読者層が広がっているように感じますし、これまでセーブしていたことも、遠慮なくどんどんやっていきたいのです。歳を重ねたことで鮮明に見えてきたものもあるので、体が続く限りはファンタスティックな物語を書いていくつもりです。