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中山七里さんが読んできた本たち 作家の読書道(第223回)

図書室の本を読みつくす

――この連載ではいつも、いちばん古い読書の記憶からおうかがいしております。

 父親が話してくれた昔話が、お話に触れたという意味で一番古い記憶ですね。父が自分の解釈を付け加えて話すので、大きくなってから友達と話していると「なにか食い違うな」となりました。父が話してくれたのは、「桃太郎」でも「桃を二つに割ったら二つに割れた桃太郎が出てきました」みたいな話でしたから(笑)。

――お父さん、面白い方なんですね。

 ともかくよく喋りましたね。商売人だったせいでそういう癖がついたんでしょうね。母も喋るので、夫婦で話していると僕なんか話に入る隙間がなかったですよ。

――え、中山さんが?(笑) ご兄弟はいらしたんですか。

 兄が一人姉が一人いますけれど両方とも年が離れていたので、家をもう出ていました。ですから末っ子なんですけれども、ほとんど一人っ子状態で。親は両方とも仕事が忙しく、「本を与えればこいつはずっと静かにしている」と知ったらしくてですね、子どもの頃から本だけは与えられていました。旅行しても本ばかり読んでいるので、どこかに行った記憶があまりないんです。「伊豆」とか言われたら「あの時あの本読んだな」という記憶しかないですよ。

――岐阜のご出身ですよね。ご実家は呉服屋さんで。

 名前の通り「中山七里」という地名がありまして、そこで生まれ育ちました。ご承知でしょうけれど、岐阜県というのは作家量産県でございまして。で、なんでこんなに作家が多いのかって考えた時に、朝井リョウさんがひとつの回答を出されていました。「ほかに娯楽がない」。だからみんな本を読んで育ったんでしょうね。

――では、小学校に入ってからも、たくさん本を読んで。

 まあ例のごとく、小学校に入れば「少年探偵団」や「名探偵ホームズ」、「怪盗ルパン」のシリーズを読みました。それと同時に、『ドリトル先生航海記』。それでもう、今の自分の基本が作られました。

――ドリトル先生は、シリーズ全体ではなく「航海記」なんですね。

 あれはもう、エンターテインメントのほとんどが入ってますからね。
 小学校に入ってからは図書室に行けば本があるのでもう天国でした。ただ、田舎の小学校だったので、そのうち読む本がなくなってくるんです。小説だから、分類番号900番から読んでいくじゃないですか。2、3日で10冊読んでいくうちに900番台の読む本がなくなって、800番台とか700番台とか、どんどん番号が若くなっていって、最終的には昆虫図鑑や国語辞典を読んでいました。僕が難解な漢字や変なことを知っているのは、その時の記憶が残っているからです。逆にいうと、古い記憶が残っている代わりにアップデートができていないので、知識がどんどん古くなっています。

――外で遊ぶよりも家で本を読むほうが好きな子どもでしたか。

 外に本を持って行って読んでたんですよ。野原とか山とかに。たとえば夏だと飛騨川に行って親が鮎を釣って、僕は七輪を抱えて、釣れるまで本を読んでいる。釣れると鮎をその場で焼いて食べていました。

――素敵。さきほどの基本になった作品のほかに、どんな本が面白かったですか。

 その頃ですと、筑摩書房さんですかね。世界各国のミステリーの名著を子ども向けに翻案して出していたので、それを愛読していました。
 その頃はミステリーの子ども向けの翻訳がたくさんあったんですよね。ルパン、ホームズなど。ルパンは南洋一郎さんの翻案がありましたし、クリスティーも全部子ども向けに出ていました。エラリイ・クイーンもありましたね。でもやっぱり、中学2、3年生にもなると、もうちょっと原書に近いものを読みたくなって、手を出したのが春陽堂の江戸川乱歩だったので訳が分かりませんね(笑)。もう、伏字だらけでしたよ。
 ただ、日本のミステリーより海外のミステリーのほうが多かったので、その癖がついて、今も海外ミステリーを読む割合が多いです。

――クリスティーやクイーンで好きな作品は何ですか。

 クリスティーなら『杉の柩』。クイーンですと『エジプト十字架の謎』。本当にもう、どストライクで申し訳ないんですけれど。悲劇シリーズではしばらく『Yの悲劇』が好きだったんですけれど、今一番好きなのは『Xの悲劇』だったりします。「X」は基本的に論理性だけでできているミステリーなんです。ところが「Y」は、一応論理性もあるんですけれど、プラス、外連味が入ってきますよね。「X」と「Y」はその年ごとで自分の中で順位が変わります。
 日本のミステリーだと、僕は赤川次郎さんとか森村誠一さんとかの世代です。松本清張さんもいらっしゃいました。社会派ミステリーかユーモアミステリー、そのふたつくらいしかなかったように思います。
 当時は文芸誌が20冊以上あって、だいたい新聞の1、2、3面に広告がずらっと載っていたので、それを見ながら「次はこの人を読もう」などと確認していました。僕、少し変な子どもだったようで、中学校の頃から「小説現代」と「オール讀物」を定期購読していたんです。赤川次郎さんの『幽霊列車』もリアルタイムで読んでいますからね。佐々木譲さんの『鉄騎兵、跳んだ』も。映画もちゃんと見ました。

――ああ、映画になっていたんですね。

 日活がロマンポルノ全盛の頃に、一般映画を作りはじめたんですよ。同時上映が「元祖大四畳半大物語」でしたね。「鉄器兵、跳んだ」は権利の関係なのか、ビデオにはなったけれどもDVD化されていません。石田純一の主演デビュー作ですよ。主題歌を松田優作が歌っているんですけれど、ヒロインが熊谷美由紀、のちの松田美由紀なんですよ。
 いまだにコマ割りを全部言えます、私。

――えっ。御覧になったのはいくつの時なんですか。

 原作を読んだのが高校生で、映画は大学1年生だったかな。

10代の頃に読んだミステリ作家たち

――高校生になってからも、いろいろミステリーを読んでいったわけですか。

 一般小説......その頃は中間小説と言っていましたけれども、中間小説も読みましたが、やっぱりミステリーのほうが多かったです。そりゃレジェントがずらーっとそろっていましたからね。その頃はまだクイーンもクリスティーも生きていたんですよ。クリスマスが近づくと早川書房さんが「クリスマスにはクリスティーを」という標語を出していましたね。他には、チェスタトン、ジョン・ディクスン・カーとか。

――チェスタトンやカーで一番好きな作品は何ですか。

 チェスタトンは『ブラウン神父の不信』かな。チェスタトンは論理のハイジャンプが好みでしたね。あのレトリックが本当に好きで、いつか自分も使おう、使おうと思っているんですけれど。それと、フランボウというフランス人の泥棒が出てくるじゃないですか。あのフランボウにすごく惹かれます。
 カーは『火刑法廷』ですね。カーっていうと不可能犯罪というのもあるんですけれど、「どっち側にも読める」っていうのもあるんですよね。特に『火刑法廷』は、純然たるミステリーとも読めるし、ホラーとしても読めるという。あれがいいんだと思います。
 高校生になった頃に横溝正史ブームが来て、横溝さんを読みましたね。乱歩さんを読んでいた流れで乱歩賞というものがあると知り、乱歩賞受賞作品を読んでみる。ちょうどその頃、新社会派といって長井彬さんの『原子炉の蟹』とかがありましたね。懐かしいなあ。

――乱歩賞って歴史が長いんですね。

 たしか第1回は評論に与えられたんですよね。中島河太郎さんの『探偵小説辞典』。第3回の受賞作が仁木悦子さんの『猫は知っていた』ですよ。僕が最初に読んだ乱歩賞受賞作が『原子炉の蟹』で、その前の年の受賞作が井沢元彦さんの『猿丸幻視行』じゃなかったかな。で、自分でも小説を書いて応募した時に、高橋克彦さんが『写楽殺人事件』で受賞した。その時は僕、予選は通過したんですけれど、2次で落とされたんです。予選通過者の自分の名前の横にですね、『十角館殺人事件』というのがあったんですよ。綾辻さんが別のペンネームで書いてらっしゃって。

――そうなんですか!『写楽殺人事件』が受賞した時というと、中山さんはおいくつだったんですか。

 書いたのが高3で、結果が出たのが大学に入ってからでしたね。高校に入った時に運動部に入るのが嫌で文科系に入ろうとしたら、文芸部というのがあったんです。それで入ったら「せっかく入ったからには小説を書け」って言われたんですよ。しょうがないから50本くらい小説を書きました。書いて、これどんなものかなと思って。で、ずっと「オール讀物」とか「小説現代」を定期購読していたじゃないですか。「オール讀物」に出したら3次まで行っちゃったんですよ。ひょっとしたらデビューできるかなと思ってその後3年間、年に1回ずつ書いて出したんですけれど、もう1次とか2次とかばっかりで、全然受賞できなかった。3年生の時に書き始めたものを乱歩賞に出して、それも予選通過しただけだったので「ああ、俺には才能がないんだ」ということで、そこから25年間何もしなかったんです。

――その頃、将来なりたいものはありましたか。

 サラリーマンになりたかった。なぜかというと、サラリーマンって給料が決まっててボーナスももらえて休みもあるから、「休みの日には本も読めるし映画も観られる」って思っていました。

――ふふ。それでは、大学時代はどのように過ごされたのですか。読む本はどのようにして選んでいたのでしょうか。

 大学が京都だったので、だいたい土日は書店か映画館かどっちかでした。その頃にちょうど島田荘司さんの『占星術殺人事件』が出て、「こんなすごい人がいるのか」ということで。その頃はいわゆる本格ミステリーってそんなにいなかったんです。
 読む本はもう、雑食でした。書店に行って題名を見た瞬間に「あ、これは読まなきゃいけない本だな」って分かる時があるじゃないですか。で、だいたい外れない。

――書店に行くとまず東京創元社と早川書房の文庫棚をチェックしていたのでは。あとは扶桑社ミステリーとか...。

 そうですよ。あ、刑事コロンボのシリーズが二見文庫から出ていましたね。ディーン・クーンツはアカデミー出版から超訳で出ていたから、わざわざ原書で辞書片手に読んでいましたが、他の版元から文庫で出るようになってよかったと思って。

――クーンツもお好きということはスティーブン・キングもお好きですか。

 好きですね。キングだと僕はやっぱり『IT』と『ザ・スタンド』が好きです。キングは書き込みの細かさ。神は細部に宿るっていうのはこういうことかなって思います。クーンツは『ウォッチャーズ』が良かったです。

――「この作家面白いな」と思ったら、その作家の他の作品を読んでいくタイプですか。

 そうです、そうです。文庫の後ろに既刊のタイトルがずらっと並んでいるから、それに読んだものはレ点をつけていました。なぜかというと、東京創元社とハヤカワミステリは、同じ内容の本でも出るタイミングが違っていたから。クイーンの『靴に棲む老婆』とかもそうだったでしょう。
 今はちょうど、ディクスン・カーですね。東京創元社さんで新訳が次々出ているじゃないですか。あの新訳は読みやすくて、出るたびに読んでいます。同じように、昔のクイーンの東京創元社さんの訳は古かったんですが、平成になってから新しい訳が出るたびに読んでいましたね。この訳がもう、読みやすくていいんです。
 ジェフリー・ディーヴァーもリンカーン・ライムの時からずーっと読んでいて筋を憶えているから、このあいだ文春から「解説を書かないか」と言われて、すぐに手を挙げました。今月出た『スティール・キス』の解説は僕が書いています。

――ところで、映画も相当お好きなんですか。

 そうですね。今も1日1本見ます。中学1年生の時に「ジョーズ」を観たんですね。「世の中にはこんないいものがある」ってことで、それからはもう、ずーっと土曜日、最後の授業をさぼって観に行っていました。上映している映画は全部観ました。もう18歳になっていましたから、日活ロマンポルノも。滝田洋二郎さんをはじめ、今の日本映画の重鎮みたいな人はみんなあそこで撮っていますよね。自分の小説が映像化になった時に、監督と「僕、監督のデビュー作を観てます」「あなた、日活ロマンポルノ観たんですか」という会話をよくします。

――好きな監督、作品は。

 ベタで申し訳ないんだけれど、リドリー・スコットとスティーヴン・スピルバーグですね。中学の頃からもれなく観ていますから。

きっかけは島田荘司さんのサイン会

――社会人になってからも、本を読んで、映画を観て、という生活は変わらず。

 社会人になってからは、自分の住まいを決める時にはまずは映画館の近くというのが条件でした。それで、会社に行って、映画に行って、本を読むという生活でした。
 その頃はクリスティーもクイーンもいなくなっちゃって。でも日本で綾辻さんをはじめとして新本格の方たちの波が来たので、僕らミステリーファンにしてみたら酒と薔薇の日々ですよ、本当に。その頃くらいから、「週刊文春」のミステリーベスト10などでフランスミステリーがちょこちょこ出始めたんですね。ポール・アルテとか。それから、個人的に一番うれしかったのは、アメリカのミステリーも結構面白いものがあったこと。マイケル・スレイドの『カットスロート』とか。

――ところで、相当な蔵書数なのではないですか。

 読んで、すぐ捨てます。サイン本とか「これだけは」というものは取っておくんですけれど。市場在庫が減らないと重版がかからないから、古書店には売りません。
 本の内容は憶えていますから。だって普通、見聞きしたものって忘れないじゃないですか。僕、小説を書く時も取材したことがなくて、これまでに見聞きしたことだけで書いていますから。

――え、見聞きしたこと、忘れますよ...(笑)。では作品に出てくる音楽的知識も、医学的知識も、法律の知識も全部、憶えていたものだけで書かれているのですか。

 はい。だって医学的知識はずっと前に法医学の分厚い本を買ってずーっと読んでいましたし。映画も観たものは全部、コマ割りで憶えていますし。
 たとえば村上龍さんがご自身で監督された『限りなく透明に近いブルー』の映画はDVDになっていないんですが、あれは挿入歌でいろんな人が洋楽をカバーしているんです。僕はどこのシーンで井上陽水の挿入歌が入って、どの歌を小椋佳が歌って、どの歌が山下達郎が歌っているか、全部憶えていたんです。それを幻冬舎の人に話したら龍さんの耳に入って、「文庫解説を書いてくれ」と言われて仕事が増えました(笑)。

――そこまでよく憶えていますねえ。

 その頃はビデオがなかったので、観終わったらもう二度と観ることはできないっていう心構えで観たから、憶えちゃったんでしょうね。本と映画だけはよく憶えていて、その他には記憶力を使わなかったんです。

――会社員時代、残業は多くなかったのですか。そこまで読んだり観たりする時間はあったのでしょうか。

 残業150~160時間かな。「24時間働けますよ」っていう時代でしたからね。どこの会社でも残業は当たり前。自分で勝手に土日も出勤していましたから。土日に出勤して、ある程度終えたらまた本を読んで映画観てっていう。その頃も睡眠時間は1日2~3時間だったんじゃないかな。

――ええー、どうやって生きてるんですか。

 今でもだいたい、睡眠時間は2時間ですよ。まあ、会社員時代のほうが溜めて寝るっていうのができましたけれど、今はその余裕はないです。

――(絶句)...さて、25年書かなかった小説執筆を再開したきっかけといいますと。

 2006年に島田荘司さんが『UFO大通り』という本を出されて、大阪の今はなきブックファースト梅田店でサイン会をしたんです。僕はちょうど大阪に単身赴任していたので、その時にはじめて作家のサイン会に行って島田さんにお会いして、魔が差して、その日のうちにノートパソコンを買って小説を書き始めました。その時に書いた小説が、『このミステリーがすごい!』大賞で最終選考までいったんですよ。
 島田荘司さんは鮎川賞の選考委員でしたし、今でも「島田荘司選 ばらのまち福山ミステリー文学新人賞」などでいろんな新人を出してらして、そういう人たちのことを「島田チルドレン」というんですけれど、僕はそれでいうと認知されない子どもなんです(笑)。

――その時に最終選考に残った作品というのが『魔女は甦る』で、のちに書籍化されましたよね。そして2年後に『さよならドビュッシー』で第8回『このミステリーがすごい!』大賞の大賞を受賞して、48歳で小説家デビューされるという。サイン会に行って「魔が差した」というのはどういうことだったのですか。

 「今小説書かなかったら二度と書かないな」と思ったんです。その頃単身赴任で住んでいたのが、歓楽街のど真ん中みたいなところだったんです。一歩マンションの外に出たらもう誘惑だらけで、夜は部屋の中に閉じこもっていたほうが安心ってところがあって、それでずーっと書くことができる環境でもありました。で、パッと書いた時に170枚のホラーみたいな話ができて、いろんな新人賞を調べると『このミス』が1月31日の締切だったので、応募規定枚数に合わせて300枚くらい書き足して。なので、本当に書きたかったことは最初の170枚で、後は付け足しだったんですよね。それを最終選考委員の大森望さんにけちょんけちょんに言われてました(笑)。結局は、後で幻冬舎から本になりましたけれど。だから、今まで書いた本で商業出版されていないものってひとつもないんです。あ、厳密にいうと1本だけあります。趣味で書いているものがあって、それはどこにも出していません。

――それはミステリーですか。

 海洋冒険SFです。好きなんですよ。でも、今そういうものを出しても売れないって分かっているから。もう600枚を超えているんですけれど。
 巨大鯨と戦う話です。それにシーシェパードとか、各国の貿易と政治経済が絡んできてっていう話で、自分で書いていても面白いなあって思います。でも絶対、出しません。趣味だから。ずっと小説を書いていると、箸休めが欲しくなるんですよ。箸休めで小説を書いているんです。
 それに、今、中山七里のSFと言ったところで、誰も買いやしませんよ。デビューしてからのポリシーなんですけれど、オファーをいただいたものをきっちりと形にして、とにかくそれを黒字にするのが僕のスタンスですから。ひょっとしたら売れないかもしれない、っていうものを出すつもりはこれっぽちもないです。

大切なのはスタートダッシュ

――今も睡眠時間がだいたい2時間ということですが...。眠くてパソコンの前で寝落ちすることってないんですか。

 しょっちゅうですよ。横になって寝ることは少ないです。だいたい座って寝ています。今、月に連載10本が普通なんですよ。

――尋常じゃない本数です。

 連載が10本で、1日に1冊読んで1本映画観ると、やっぱり寝る時間はあんまりないですね。でも、今は楽ですよ。一番ひどい時は月に連載が14でしたもん。その14の内訳のなかに、新聞の朝刊と夕刊が入ってましたからね。新聞連載ってよく考えると、1か月分で70枚とか75枚なので、朝刊と夕刊で連載3本分くらいだったんですよね。それを含めた連載14本をやった時に「これが俺のリミットだ」と分かりました。

――中山さんにもリミットがあってなんだかほっとしました...。書くのは速いほうではないですか。

 僕が量産できるのは、書き直しがないから。最初から完成原稿を出したら済む話なんですよ。僕は長篇500枚のゲラ直しも50分か1時間で終わります。
 中学2年生の時に筒井康隆さんの「あなたも流行作家になれる」(『乱調文学大辞典』所収)っていうエッセイを読んだんです。そのなかに、新人の時から一発書きの癖をつけたほうがいいっていうのがあるんです。

――そこまでずっと座って働き通しなのに、いつもお元気ですよね。肌ツヤもいいし。

 定期的に検診にも行っていますが、行くたびに数値がよくなっているんですよ。「このミス」の授賞式に行くたびに、みんなより若返っている。編集の人がね、普通は新人の人に「先輩を見習わなきゃいけません」と言うでしょう。なのに「中山さんだけは見習わないでください」って言うんです(笑)。でも新人の時に量産しないでいつ量産するんだろうって思うんです。1年経ったら、また新しい人が出てくるでしょ。その人の賞味期限って新人賞を受賞して1年間だけなんですよ。

――でもデビュー作がすごく話題になったらしばらくそれで引っ張れませんか。

 だからデビュー作が売れない人は、駆逐されていくんです。今残っている10年選手を見ると、やっぱりデビュー作が売れた人がほとんどなんですよね。デビューした時に名前が認知されている。名前が売れている時に2作目3作目を書かないと生き残っていけないシステムなんですよ、今は。もちろん新人さんはしんどいなと思うんですけれど、よくよく考えたらこれはどこの世界でもそうで、新人がみんな生き残っていたら、こんなふうにはなっていないですよ。どうして生き残る人が少ないかというと、みんなスタートダッシュしないからです。本当は一番しんどい思いをしなきゃいけないのは新人であって、一番たくさん書かなきゃいけないのも新人なのに、そういうことをしない人は潰れていく。才能だけではやっていけないんです。才能は、最低限。

――ご自身は、才能以外に何があったと思いますか。

 縁。とにかく、版元の方に最初にお会いしたら、自分のいいところとか、「今こういうふうにしたらお得ですよ」ってことを必死にアピールしました。「来週プロット出します」と言い、プロット出したら、「来月から書きます」って言いました。
 僕は受賞のお知らせを受けた時に、怖くなったんです。これで一発屋で終わったら物笑いの種だと思って、その日からとにかくストーリーをたくさん考えて、誰からどんな注文を受けてもなんとか対処できるようにしていました。実はデビューした時にもう『贖罪の奏鳴曲』のプロットは考えてあって、受賞後の第一作にするつもりだったんです。宝島社からもプロットにOKをもらっていたんですけれど、ある日呼ばれて、「すみませんがデビュー作の続篇を書いてください」って言われて。「今書いているこれはどうするんですか」と訊いたら「好きにしていいです」と言われたので、講談社さんに持ってきたんですよ。

――デビュー作の『さよならドビュッシー』はその後、ピアニストの岬洋介が登場するシリーズとなっていますね。悪辣な弁護士、御子柴礼司が登場する『贖罪の奏鳴曲』もシリーズ化して最新刊『復讐の協奏曲』が刊行されたばかりです。

 『このミステリーがすごい!』大賞は『さよならドビュッシー』のほかに『連続殺人鬼カエル男』(応募時のタイトルは「災厄の季節」)も最終選考に残っていたんです。ドビュッシーのシリーズだけではやっていけるはずがないからこれも出してほしいと言ったんですけれど、あまりにもドビュッシーと毛色が違うので宝島社さんがちょっと躊躇していて。それで幻冬舎さんに原稿を見せたら「うちで出させてください」と言われて「幻冬舎さんが出したいと言っている」と宝島社さんに行ったら「よそから出すくらいならうちで出します」と言って、それで出せました。つまり、デビューした1年目の時に、僕の手元にはもう4つ原稿があったんです。そうすると後は楽でした。

――アイデア豊富ですよね。今年作家生活10周年で、これまでに何冊出されてます?

 ええと、今度ので58冊かな。あ、文庫は除いての数です。それまでずっとインプットばかりでアウトプットしていなかったから、たまりにたまっていたんですよね。でも、まだまだです。10周年と言っていますけれど、この10年で満足できたことは一回もないですもん。忍び難きを忍びながら本を出しているというのが実感です。

――ご自身で「こういうものが書きたい」と提案することはありますか。

 一切ないです。基本はオファー通りに書いているだけです。警察もので、とか、人間ドラマで、とか、「どんでん返しをつけて」とか言われて、「はい、毎度」って言って。だいたいテーマをいただくので、それを表現するのに一番妥当なストーリーは何か、そのストーリーに合致するキャラクターは何か、そのキャラクターが考えそうなトリックはないか、と演繹的に考えていきます。
 来た仕事はよほどの事情がない限り引き受けます。断っちゃいけない。僕は下請けだから、せっかくオファーをいただいてもし断ったら、次はその人から仕事をもらえないなと思っています。

――では、『贖罪の奏鳴曲』から始まるシリーズの御子柴という弁護士はどうして生まれたのですか。

 講談社さんからの依頼ということで、最初に講談社さんのカラーを考えた時に、やっぱり江戸川乱歩賞が浮かんで。乱歩賞は基本的には社会派ミステリーなんですよね。社会派ミステリーでなおかつどんでん返しがあって、と考えた時に、じゃあ法律ものでいこう、と。でも弁護士のことは何も知らなかったんです。取り決めだとか手続きとかのことは基本、記憶だけで書きました。そうしたらこの間、今年の『このミステリーがすごい!』大賞を受賞した弁護士の新川帆立さんに、「私が読んでも違和感なかったです」と言われたので「ああ、良かった」と思って。

――御子柴は少年時代に殺人を犯している。たとえばそうした人物でも弁護士になれるといったことは、確かめなくても知っていたのでしょうか。

 実例があったんです。少年が友人の首を切り落とした事件があって、彼は少年院に入った後、進学して弁護士になったんです。なったけれど、いろんな人にいろんなことを言われて廃業した、という例があるんです。それを憶えていました。よく御子柴は酒鬼薔薇のことだろうと言われるんですが、違うんです。その時の発想は、もしもその弁護士になった人間が、もうちょっと違う人間だったらどうなるかな、というのがありました。

――本や映画の内容だけでなく、そうした事件もよく憶えているほうですか。

 何年にこういう事件があって、何年にはああいう事件があったって、だいたい時系列で憶えているんです。なので、時間がなくて取材に行けないというのは本当なんですけれど、今までの記憶なんかでだいたいプロットが作れちゃうんです。

1日1冊、1本、25枚

――普段、どんな1日を過ごされているんですか。

 1冊読む、1本映画を観る、25枚の原稿を書く。で、13人分のTwitterをチェックする。終わり。13人というのは、同業者がTwitterをやっているので、そういうのを一応チェックするんです。

――運動とか、健康のためにやっていることはありますか。

 夜中の3時くらいになるとほとんど車の往来がなくなるので、道路のど真ん中で50m走とかやってますね。調子がいい時は3本くらい。はじめの頃はよく警官から呼び止められましたけど。いまだに足だけは速くて、編集者たちと書店周りする時もみんなついてきてくれないんです。書店周りはもう400回くらい行っているのかな、みなさんよく言うのは、僕がトイレに行っているのを見た人がいない、と。時間がもったいないからトイレは1日1回にしているんですよ。

――え、自分でコントロールできるんですか。水分補給はしてますか?

 水飲まないと脳溢血の危険性があるから、ちゃんと1日1.5リットル飲んでますよ。1日1回ですむように肉体改造したんですよ。書いている最中にいちいちトイレに行っていたら集中力が途切れるんです。僕も50歳を過ぎて集中力が途切れがちなので、せめてトイレは行くまいと思って。

――食生活は。お酒は飲まれるんでしたっけ。

 今は家内が一緒にいるので1日3食食べますけれど、家内が何かの用事で岐阜に戻ったりした時は、気づいた時に食べる生活です。なるべくお米をひかえて肉を食べます。お酒は、飲みながら書いてます。僕、アルコールを飲むと眠くならないんですよ。だから、眠気覚ましに飲んでます。黒ビールとワインを。

――中山さんの脳と臓器がつくづく謎です。スランプになったことはありますか?

 僕がスランプって言うのはおこがましいですよ。スランプっていうのは、もっともっと才能があって、もっともっと量産している作家が書けなくなるのをスランプって言うんです。僕なんかが言うことじゃないです。

――1日1冊本を読まれるということで、読む本は書店に行って選んでいるのでしょうか。

 しょっちゅう書店巡りをしています。文芸はここ、図鑑はここ、コミックはここ、と書店が決まっているんです。

――ああ、コミックもお読みになるんですね。

 それこそ『鬼滅の刃』も読みますし、BLもTLも読みますし。コミックは最近ですと、田島列島さんの『水は海に向かって流れる』、このあいだ3巻が出ましたね。大傑作です。令和の『めぞん一刻』ですよ。極端なことを言えば、今年は『鬼滅の刃』と『水は海に向かって流れる』のふたつを読めばもう何も言うことはないです。片方がメジャーな傑作で、片方が、言っちゃ悪いけれどマイナーだけど大傑作です。これはもっと、大々的に売るべきですよ。

――ミステリーで最近面白かったものは。

 アンソニー・ホロヴィッツさん。前からその匂いはしていましたが、前作の『メインテーマは殺人』を読んで、はっきりと分かりました。あの人は、現代のシャーロック・ホームズを作ろうとしていますね。今回も完全なホームズとワトソンですよ。そうやって読むと、いろいろ分かります。日本のものも読んでいますし密かに思っている人がいますけれど、現役の私が言うと支障があるのでやめておきます。

――ちなみに、映画で最近面白かったものは。

 「テネット」ですね。僕は1回観て分かりました。あれは原理原則を掴めば分かるんですよ。でもあんまり仕組みを考えるのではなく、新しい映像体験を楽しむんだと割り切ったほうがいいです。クリストファー・ノーランも全部理解してくれなんて思ってませんよ。すごい映画っていうのは必ず何かを発明する。たぶんノーランさんも、辻褄をあわせるとかストーリーを理解させるといったこと以前に、こういう新しいものを作るんだということに主軸を置いている。それが実験作だったとしても娯楽としてエンターテインメントとして通用するって前提のもとにやっているんですよ。
 その「テネット」がですね、ワーナーだから必ず予告編で「ドクター・デスの遺産」をやってくれるんですよ(笑)。助かります。

――ああ、「ドクター・デスの遺産」は中山さんの小説の映画化ですよね。今月は御子柴シリーズの最新刊『復讐の協奏曲』も刊行されたわけですが、今回は御子柴事務所の唯一の事務員、日下部洋子が殺人事件の容疑者になりますね。

 このシリーズはいろんな攻め口を考えたんですよね。最初は本人のことで、次は過去にさかのぼって、実の母親を弁護して、次は御子柴の一番身近にいる日下部を弁護することになって。今、次の話を連載しているんですが、実はこれが一番きついんです。もう御子柴の身内は使えないから、こういう人間を出そうと考えました。とにかくお客さんを飽きさせない。予想を裏切って期待を裏切らない、これだけは金科玉条のように守っています。

――10周年最後の刊行予定は何になりますか。

 NHK出版から12月16日に『境界線』が出ます。今度映画になる『護られなかった者たちへ』の続篇です。