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伊与原新さんが読んできた本たち 作家の読書道(第224回)

図書館、移動図書館、近所の文庫

――まず、いちばん古い読書の記憶を教えてください。

 幼い頃で強烈に憶えているのは『かもとりごんべえ』ですね。有名な昔話の絵本です。もう一冊は『きゅうきゅうしゃのぴぽくん』。『かもとりごんべえ』は鴨撃ちの猟師さんの話で、寝ている鴨たちをいっぺんに捕まえようと全部の足に紐をつけたら、鴨が一斉に飛び立って空に連れ去られていく話です。『きゅうきゅうしゃのぴぽくん』は、救急車が主人公の話ですけれど、仲良くしていた男の子が事故に遭う展開で。どちらも途中でちょっと不穏な空気が漂う話でした。それを読んだのが幼稚園くらいの時でしょうね。

――本が好きな子どもでしたか。

 好きでした。小学校の図書室だけじゃなくて、車に本を積んでやってくる移動図書館とか、近所の普通の民家の2階にある「すばる文庫」に母に連れて行かれていました。たぶんボランティアの方が運営していたんでしょうけれど、小さな部屋いっぱいに本があって、そこで借りたものを雑多に読んでいました。父も本が好きでしたし、母もずっと短歌をやっていて文学や文芸が好きだったので、子どもにもたくさん本を読ませたんだと思います。

――大阪のご出身ですよね。どのあたりですか。

 吹田市です。万博公園の近くですね。

――ご兄弟はいらっしゃいますか。なにか読書で影響を与え合ったりとかは。

 兄と弟がいます。兄は1つ上、弟も2つ下で歳が近いので、同じようなものを読んでいたと思います。でも、僕がいちばん読んでいたかもしれません。かといって、何を借りていたのかあまり思い出せなくて...。『奇巌城』や『813の謎』といった怪盗ルパンのシリーズはよく読みましたね。あとは怪人二十面相、「少年探偵団」のシリーズ。表紙のイラストをいまだによく憶えています。

――あの、おどろおどろしい感じの。

 ええ、そうです。『青銅の魔人』とか『透明怪人』とか。それを好んでいたことはよく憶えています。
 小学生時代に一番好きだった本は、「3本足」シリーズ。ジョン・クリストファーという人のジュブナイルSFで、調べてみたら早川書房から2004年に『トリポッド』シリーズとしてもう一回刊行されていました。このシリーズがめちゃくちゃ面白かったですね。3本足というのはエイリアンなんです。「宇宙戦争」みたいな感じで、3本足のロボットみたいなものに地球が支配されている。人類は14歳になったらその3本足にキャップをかぶせられて洗脳され、言うことを聞くようにされるんですね。で、人類の中にごく一部、「これをかぶってはいけない」「俺たちはこいつらに支配されている」と気づいた人たちがいて、白い山脈というところでレジスタンス活動している......という小説です。僕が読んだのは全3巻でしたが、早川書房から出ているのは4巻あります。

――学校の作文の授業などは好きでしたか。

 読書感想文的なものは、わりと褒められる子どもであったとは思いますね。大人が喜びそうなことを書く子どもでした。

――伊与原さんは大学院で地球惑星物理学を専攻されていますが、その頃から理系の事柄に興味はありましたか。

 地質学とまではいかないけれど、やはり恐竜とかは好きでしたね。中生代とか白亜紀とか、そういう名称に妙に惹かれるタイプの子どもでした。ただ、科学的なことはおもに『ドラえもん』から興味を刺激されていましたね。『ドラえもん』のなかに、ミニチュアの地球を作る話があるんですよ。塵みたいなもがだんだん集まってきて火の玉になって地球になって、そこに生命が誕生するというのを特殊な顕微鏡で観察できる。すごく好きなエピソードでした。

――外で遊ぶのが好きな子どもでしたか、家で何かするのが好きでしたか。

 どちらかということはなくて、外でも遊んでいましたし、漫画家になりたかったので家の中で漫画も描いていました。漫画は、藤子不二雄命でしたね(笑)。たぶん、自分で描いていた漫画もそういう感じのものだったと思います。

――藤子不二雄作品ではやはり『ドラえもん』が好きですか。

 そうですね。『キテレツ大百科』なんかも、コミックスは実は全3巻しかないんですけれどアニメになるずっと前に読んでいましたし、『ウメ星デンカ』、『仙べえ』、『ドビンソン漂流記』といった、あまり人が知らないようなものも読んでいました。藤子不二雄先生にファンレターを送ったこともあって、ちゃんと返事がきて狂喜しましたね。もちろん印刷物だったんですけれど。
 でも一番のバイブルは、何と言っても『まんが道』ですね。藤子不二雄A先生が青春時代を描いた自伝的作品です。今自分も創作をする身になって、ああ、『まんが道』にもこんな場面があったな......と感慨にふけることがよくあります。

――アニメや映画などは好きでしたか。

 映画はあまり記憶になくて、最初にはっきり自分で観たいと言って観た映画は小学校5年か6年の時の「スター・ウォーズ ジェダイの復讐」でした。その前に「E.T.」を観ているかもしれませんが。「スター・ウォーズ」には大感激して、漫画家はやめて特撮映画を作る人になろうと思いました。ジョージ・ルーカスになりたいと思った。

ミステリーを知った漫画、物理に目覚めた本

――小学生時代に、ほかにどんな本を読みましたか。

 中学年くらいになると分厚い本を読んだほうが格好いい気がして、分厚いというだけの理由で『西遊記』を読みました。子ども向けの簡単なものではなく、呉承恩が書いた本物のほうです。これを読み切って「俺、すごい」みたいなことを思っていました(笑)。それとジュール・ヴェルヌ『海底二万里』とか『地底旅行』とか。『二年間の休暇』も読みました。子ども向けの『十五少年漂流記』を知ったのはもっと後で、分厚い『二年間の休暇』のほうを読みました。

――どれも面白かったですか。

 面白かったですね。『西遊記』はちょっと意味不明でしたけれど。「堺正章の『西遊記』とはずいぶん違うな」と思いながら読んでいました(笑)。

――そうですね、堺正章さん主演でドラマがありましたよね(笑)。夏目雅子さんが三蔵法師で。

 そうですね。ドリフターズの人形劇の「西遊記」もありましたね。いかりや長介さんが三蔵法師で。

――傾向として、冒険系、SF系がお好きだったのでしょうか。

 あ、そうだ。小学校高学年の時に『パタリロ!』がすごく好きでした。魔夜峰央先生ってすごくミステリーが好きな人で、『パタリロ!』のなかにも古典ミステリーのネタがちょこちょこ入ってくるんですよ。パタリロっていろんな人物に扮装したりするんですけれど、そのなかに......今日、メモしてきたんです。シャーロック=エラリイ=ファイロ=ブラウン=エルキュール=フェル博士というキャラクターがいる。

――詰め込んでますね(笑)。

 そう、詰め込んでいる(笑)。それを見た時に「これはなんだろう」と思って調べてみたら、どうやらミステリーの名探偵たちの名前らしい。シャーロック・ホームズはもちろん知っていましたけれど。そこから中学生になって海外の古典ミステリーをすごく読んだんですよね。エラリイ・クイーンを読んで、アガサ・クリスティーを読んで、ジョン・ディクスン・カー、チェスタトン、ヴァン・ダイン......。

――好きな作家、作品はありましたか。

 どうでしょう。チェスタトンのブラウン神父のシリーズは好きでした。アガサ・クリスティーはやっぱり有名どころがすごく面白かったですね。『オリエント急行殺人事件』とか『そして誰もいなくなった』とか。エラリイ・クイーンだと『Xの悲劇』や『Yの悲劇』とかはやっぱりすごいと思いましたね。クロフツの『樽』も読んだけれど、あれは途中でどうでもよくなった記憶があります。
 それと、魔夜峰央先生はオカルトも好きで、『パタリロ!』のなかにラヴクラフトの世界もよく出てくるんですよ。だからラヴクラフト全集も読みました。

――クトゥルフ神話を読んだわけですか。すごい、『パタリロ!』って偉大ですね。

 偉大です。

――中学生時代はどんな本を読まれたのですか。

 父が電機メーカーでエンジニアをやっていたんですけれど、すごく科学が好きな人で。僕が中学生の時、たしか刊行されたばかりの科学雑誌の「Newton」を取ってたんですよ。それがいつも家にあったので、僕もパラパラ見るようになって、中学1年生の時かに、父がプレゼントとして『ガモフ全集』というのをくれたんです(と、実際の本を取り出す)。

――わあ、きれいにとってあるんですね。白揚社という出版社の、箱入りの本。

 今も違う形で本は出ていると思います。ジョージ・ガモフという、ロシア生まれのアメリカの物理学者がいるんですよね。素粒子論とか宇宙論で有名な先生なんですが、一般向けの啓蒙書をたくさん書いたことでもよく知られていて。一番有名なのは第1巻の『不思議の国のトムキンス』といって、1940年に出たものですね。トムキンスさんという銀行員が主人公で、その人が相対論的効果の強い世界に迷い込んだり、量子力学の世界に迷い込んだりして、不思議な体験をするというお話。こういう科学系のちゃんとした本を読んだのはこれがはじめてかもしれないです。この全集を読んで、物理、面白いな、と思って。

――そういう本に中学生くらいで出会うって大事ですよね。でも中1で量子論ってわかりますか。

 まあ別に数式は出てこないので。相対論的効果が強い世界、要は速く進んだらものが縮んだり時間がゆっくり進む世界とか、あるいはビリヤードをやったら玉がぶつかった瞬間にぶわーっと広がってわけがわからなくなる量子力学的世界とか。そういうことが書いてあるだけで、物理を理解しなくてもその世界が味わえるようになっています。

――面白そうです!

 そうそう、たしか小学生の時に父と一緒に、NASAの惑星科学者のカール・セーガンの「コスモス」というテレビ番組もよく見ていました。宇宙についてのシリーズ番組で、大ブームを巻き起こしたんです。その番組を進行していたのがカール・セーガン。『コスモス』という本も出ていて、父が持っていたんです。僕はこれは古本屋で買ったんですけれど(と、実物を見せる)。

――カール・セーガン『コスモス』朝日新聞社。へえー。

 太陽系を探査していくような内容で、番組ではカール・セーガンは話がうまくて、ちょっと格好良くて、スター研究者だったんです。僕は当時人気だった「シルクロード」と同じくらい話題になったテレビシリーズだと思っていたんですけれど。
 このあいだ出した短篇集『八月の銀の雪』のクジラの話のなかで、ボイジャーという探査機にクジラの歌声を録音したゴールデン・レコードがある、ということを書きましたが、ボイジャーにゴールデン・レコードを乗せたのも、このカール・セーガンなんです。彼は惑星探査などに人生を賭けていた人で、ボイジャー計画を立案した人なんです。

――わあ、そうなんですか。

 こういうのを読んで、宇宙とか天体とかいいなあ、と思って。この頃からですかね、そういう方面の勉強ができたらいいなと思ったのは。

高校時代は文豪時代

――そこから宇宙や地球関連の本も読むようになりましたか。

 高校生になってちょっとはそうした本も読んだと思うんですけれども、文豪時代が始まりまして。文学作品を読んでいました。そういうものも読んでおいたほうがいいと思ったんでしょうね。本当にその頃しか読んでないんですけれど、夏目漱石、芥川龍之介、森鴎外、三島由紀夫、太宰治......。小林秀雄の本もいっぱい読んで格好つけていました。ドストエフスキーも読みました。『罪と罰』とか『地下室の手記』とか。『カラマーゾフの兄弟』も読みましたが、意味分からない、と思いながら読んでいました。

――小林秀雄って、伊与原さんの世代でそこまで読んでいる人は少ないのでは。

 小論みたいなものが教科書に載ってましたよ。現国の先生がいろいろ言っていたんですよ。「過去から未来に向かって飴のように延びた時間という蒼ざめた思想」(※『無常といふ事』の一節)......だったかな。これは実はマルクス主義のことなんですよ、とか。で、小林秀雄を読んでいるのを父が見て「なんでそんなのを読んでいるの」「日本の最大の知性とか言われているけれど、お父さんにはよう分からん」って言うので、冷めてるなあ、大人の感覚とはそういうものか、と思った記憶がすごくあります。

――ふふ。文豪時代に読んだ本で面白いと思ったのは。

 『罪と罰』は面白いというか、まあ意味は分かると思いました(笑)。三島由紀夫の作品は面白かったですね、『金閣寺』とか『仮面の告白』とか。
 同じ頃、高校の先生がサン=テグジュペリの『人間の土地』を読みなさいとしきりに言うので、読んでみたんです。『夜間飛行』や『戦う操縦士』も読みましたが、『人間の土地』だけはよく意味が分からなくて。僕はその先生を尊敬していたので、彼があれだけ言うんだから理解できたほうがいいんだろうと思って3回くらい読みました。それでもまだ完全には分からなかったですけれども。
 その頃読んだものの中で一番好きだったのは、アラン・シリトーの『長距離走者の孤独』です。あれは本当にいいなあと思いました。やっぱり、高校生だったので、大人との関係みたいなものが一番刺さる年代だったんでしょうね。

――不良少年が感化院に入って、そこで長距離走者に選ばれる話ですよね。

 そうです。それと、今日のために本棚を見ていたら高校生の時にすごく読んだ本を発見したんですね。これです(と、本を出す)。渋谷陽一の『ロック ベストアルバムセレクション』。新潮文庫です。ロック評論家の渋谷陽一さんの本ですが、僕たちやもう少し上の世代のロックファンにとっては、渋谷陽一が「いい」と言った音楽は絶対にいいんですよね(笑)。この本には60年代と70年代のロックの名盤と言われているものが写真付きで紹介されているんです。僕はこれ、載っているものをレンタルレコード屋で借りて順番に聴きました。

――音楽が好きだったんですか。それと、ご自身でなにか楽器はされたんですか。

 高校の頃に古いロックが好きな友人がいて、その影響で聴くようになりました。楽器はまあ、ピアノはやっていましたけれど、バンドを組んだりはしていなかったです。

――ピアノはずっと習ってらっしゃったんですか。

 小学校1年から大学3年くらいまでやってましたけれど。でもうちのピアノの先生がすごく甘い人で。中学生くらいになると、ピアノを続ける男子って貴重になってくるじゃないですか。辞めてほしくないからとにかく甘くて、まったく練習せずにレッスンに行っても笑って許してくれるような人だったんです。だから全然上手くならなくて。「どうしても発表会に出て」と言われて高校生くらいまでは出ていたんですが、小学生の女の子のほうがよっぽど弾けるのに僕のほうがプログラムの後ろに入れられて(笑)。恥ずかしい、と思いながらやっていました。でも、しつこく続けたってことは、嫌いじゃなかったんでしょうね。今はもう何も弾けませんけれど。

――ところで、中高時代はなにか部活はやってらしたんですか。

 部活は中学から、高校の途中までテニス部に入っていました。スポーツが好きだったので運動部に入ろうとは思っていて、仮入部したら楽しかったから、というだけの理由です。小学校の頃に剣道をやっていたので剣道部に入るつもりでしたが、他の部活も見てみようとしたら、テニスが思いのほか楽しかったんです。まあ、そういう意味でも普通の中学生でしたね。特に科学に夢中になっていたわけでも、本ばかり読んでいたわけでもないんです。

――ちょっとベタな質問をしますが、大阪ご出身ということで、お笑いはお好きでしたか。

 関西以外の人にはなかなか伝わりにくいんですけれど、笑いが日常的すぎて、高校生くらいになるとオチをつける技術というのは誰でも持っていることでした。プロのお笑い番組も見ますけれど、同級生のお笑いレベルも高くて、新喜劇よりおもろい奴がクラスにいっぱいいるな、という感じで。でもダウンタウンの出現はやっぱり僕らも衝撃を持って受け止めました。僕が中学生か高校生の時にダウンタウンが「4時ですよーだ」っていう番組を始めて、すごい人たちが出てきたなと思いましたね。

進路を決めたプレートテクトニクスの本

――大学は神戸大学に行かれたんですよね。そこで地球科学科(現・惑星学科)に進んだという。

 高3の時だったか、地学と物理を教えてくれていた先生に「読みなさい」と言われたのが、東大の地球物理の教授の上田誠也先生が書いた『新しい地球観』という岩波新書でした。1971年に出た、プレートテクトニクスの本なんです。プレートテクトニクスというのは1960年代後半から急速に確立した理論で、地球の表面で起こっている事象のすべて、地震から火山から何から何まで、とてもきれいに説明してしまうので急速に受け入れられたんですけれど、1970年代はその展開がまだ熱い時期でしたね。その頃に書かれた本でしたが、読んだらすごく面白かったんです。プレートテクトニクス理論が成立していく過程の、なんというか、ワクワクする感じが伝わってくる。それを読んで「ああ、地球科学のほうに行こうかな」と。それで、大学はそっちのほうで受けることにしたんです。

――では、大学生活での読書内容に変化はありましたか。

 普通の大学生のように遊んで暮らしてまして、本はそこから急にエンタメ時代に突入していきました。文学作品は一切読まなくなって、気楽に読めるものを選んでいました。その時に、遅まきながら初めて新本格に出合ったんですね。綾辻行人さんの『十角館の殺人』を最初に読んで、すごいものを知ってしまったと思って。今も僕は『十角館の殺人』と『時計館の殺人』はミステリーの最高傑作だと思っています。
 僕は横溝正史ミステリ大賞でデビューしていますが、選考委員の一人が綾辻行人さんだったんですよ。綾辻さんが一番推してくださったそうで、とても嬉しかったですね。

――授賞式でお会いしたんですか。

 ええ、お会いして少しだけお話ししたんですけれど、「諦めずに書いていたらいつかきっと日の目を見るよ」と言ってくださって、いまだにその言葉だけを頼りに生きているっていう(笑)。本当に今でも、「綾辻さんがああ言ったしな。もうちょっと頑張ろう」って思う時があります。
 僕の受賞作は全然本格ミステリーではなかったんですけれど、すごく推してくださって。北村薫さんも推してくださったそうですけれど、綾辻さんが一番褒めてくださったみたいなんです。まさか自分が綾辻さんに褒められる日が来るとは、大学生の時は思いもしなかったというか。その頃は小説書くと思っていなかったですから。
 学生の時は綾辻行人さんと島田荘司さん、京極夏彦さんがすごく好きで読んでいました。東野圭吾さんとか宮部みゆきさんもだいたい読みましたし。

――東野さんや宮部さんは作風も幅広いですが、どのあたりがお好きですか。

 宮部みゆきさんは『火車』が話題になっていた頃でしたね。東野さんは『秘密』を最初に読んで、あとは......。「ガリレオ」シリーズはその頃からあったかな。『悪意』なんかもすごくよかったです。
 それと、大沢在昌さんの「新宿鮫」シリーズがすごく好きでした。船戸与一さんも、年上の知り合いに「面白いよ」と言われて『山猫の夏』などの南米三部作とか、『砂のクロニクル』とかを読んだらすごく面白かった。それまであまりハードボイルド系とはあまり接点がなかったんですけれど、『新宿鮫』が好きだったからすんなり入ってきましたし。レイモンド・チャンドラーなんかもちょこちょこ読みましたが、それはあまりピンとこなかった。チャンドラーは父親が好きだったんですけれども。
 父親はエスピオナージというのかな、ブライアン・フリーマントルとかフレデリック・フォーサイスといったスパイものが好きで、うちの本棚にもあったんです。それを大学生くらいから読み始めたら面白かったですね。フリーマントルは『消されかけた男』とかの「チャーリー・マフィン」シリーズという、うだつの上がらないスパイが出てくる小説が好きでした。フォーサイスは『ジャッカルの日』。情報部とか公安の話が好きで、麻生幾さんもすごく面白いと思って読んでいました。大学生の頃はそんなのばっかり読んで、科学方面では教科書くらいしか読んでいないかもしれません。

師匠の著作と出合い大学院へ

――学生時代の勉強では、フィールドワークもされたそうですね。

 地球科学科ですから、野外調査は必須です。4年生になって研究室に入ったら、フィールドに行って岩石を採ってきて実験する、という生活で、すごく楽しかったですね。研究室にずーっといました。先輩と喋って、コーヒーを飲んで、「スピリッツ」を読んで帰るだけの日もありました(笑)。理系の研究室って、そこで暮らしているみたいな人がたくさんいますから。
 その時の指導教官だった先生が進歩的な人で、大学院のことを相談すると、「外に出るのもいいと思うよ」って言ってくださったんです。よその大学院に行くのにいい顔をしない先生も多いんですけれど、その人は「浜野先生とかいいんじゃない」って、浜野洋三先生の本を貸してくださったんです。その本が素晴らしかった。『地球の真ん中で考える』という、岩波書店から出ている本です。僕、4年生の時から地磁気の研究をしていたんですが、その本は地磁気の変化と気候の変化について書いてある。その浜野先生が、僕の大学院以降の師匠なんです。

――地磁気って、地球によって生まれる磁気のことですよね。伊与原さんの短篇集『八月の銀の雪』には伝書鳩の話が出てきますが、伝書鳩や渡り鳥も方向を知るのに利用しているという、その地磁気ですね。

 地磁気っていろんな時間スケールで変動しているんです。地磁気の変化と気温の変化に相関関係があるように見える、というのは以前から知られていたんですけれど、なぜかは分からなかったんですね。地球の中心部で発生している地磁気と、気象・気候とを繋ぐものが、あまりにもない。浜野先生が考えたアイデアは、地球が寒冷化すると南極と北極に分厚い氷の層、氷床が発達する、すると自転軸の周りに質量がたくさん寄ってくることになる。物理学的には角運動量保存というんですけれど、フィギュアスケートの選手が身体を縮めると速く回るじゃないですか。あれと同じことが起きるんですね。地球の自転スピードが速くなる。つまり、極域の氷床の消長が、地球の自転速度を変化させるんですね。すると、地磁気を生み出す地球のコアの外核の部分は液体の金属なんですが、その流れが影響を受けて、地磁気の変動にも影響を及ぼすはずだ、という仮説を世界ではじめて言った人なんです。まあ、当時、僕はびっくりして。

――ああ、地球の外核の液体の話は『八月の銀の雪』の別の話に出てきますね。

 今でこそ、そうやって地球全体を一つのシステムとしてとらえて、地球の中心から表層環境まで統一的に説明しましょうというのは誰でも考えるんですけれど、当時はやっぱり気象は気象屋さんがやって、地磁気は地磁気屋さんがやって、その間の関係を考えることはそんなに普通ではなかったんですよね。でも浜野先生の本にはそういうことが書いてあって、これはすごい、と。この先生のところで勉強したいと思って、で、東大に移ったんですよ。

――それにしても、自転の速度ってそんなに変わるものですか。

 本当に微妙ですね。微妙な違いです。ただ、それを計算して地磁気にどれくらいの影響があるのかっていうのを浜野さんが見積もると、充分説明できるくらいの回転変動の量だったんです。

――実際に浜野先生にお会いして、いかがでしたか。

 一言でいうと、素晴らしい先生でした。天才的で、学生時代は東大の理論物理の学生よりも物理ができたという伝説まであって。「天才浜野洋三」って呼ばれていましたね。でも、偉そうな感じはまったくなくて、シャイなんです。いつも学生たちの様子は気にかけてくれているんですけれど、あまり自分の感情というのは口にしない人ですね。今はやめていますけれど、当時僕は煙草を吸っていて、浜野先生の部屋は煙草部屋だったんですよ。先生がいなくてもみんな勝手に入って煙草を吸っていいんです。東大の教授って会議ばっかりで忙しいんですけれど、たまに先生が帰ってきた時に僕たちが勝手に煙草を吸っていても何も言わなくて、むしろ自分の手持ちの煙草がないと「1本もらっていい?」と申し訳なさそうに聞いてくるような人で。博士課程くらいまでいくと指導教員との関係がうまくいかなくて辞めていく人も多いんですけれど、まったくそんな感じではなかったですね。学生の指導はあんまりしないので、ほとんどのことは先生ではなく先輩に教わりましたけれど(笑)。大学院時代の5年間もすごく楽しくて、またまたずーっと大学にいました。

――その間、読書はいかがでしたか。

 大学院時代は、やっぱりエンタメ作品を読んでいたんですけれど、ちょっと違ったのは、その頃の先輩に司馬遼太郎好きの人がいて「読め読め」としつこく薦めてきたんです。その人が愛媛出身で、秋山好古と真之を敬愛していて、「まず『坂の上の雲』を読んでくれ」って言うんです。歴史小説にはそんなに興味がなかったんですが、そんなに言うならと思って読んだら、めちゃくちゃ面白くて。バーッと読んで、とまらなくなって『竜馬がゆく』とか読んで。長い小説が多くてずっと読んでいられるので、大学院生の頃は司馬遼太郎時代でしたね。あとは、これはもう大学院を出た後かもしれないけれど、伊坂幸太郎さんを読んでびっくりしました。すごく面白い文章を書く人だなと思って。

――伊坂幸太郎さんは、最初は何を読んだのですか。

 『アヒルと鴨のコインロッカー』です。文章も台詞も面白くて、あれはちょっと真似できない感じです。当時はまだ小説を書くつもりがないので、単純に、すごくいい作家を知ったと喜んで伊坂作品を読んでいました。

――大学院を出た後はどうされたのですか。

 その後2年間だけ、ポスドクをやったんです。半年くらいフランスに行きました。その後、富山大に就職が決まったので日本に帰ってきたんです。

――ポスドクでフランスですか?

 文部科学省からお金をもらって研究員として行ったんですけれど、研究する場所はどこでもよかったので、パリ地球物理研究所というところの先生に「行ってもいいですか」とお願いして。しばらくいようと思っていたんですけれど、富山大の助手に採用されたのですぐに帰ってきちゃったんです。

――向こうではフランス語でコミュニケーションをとっていたのですか。

 いや、向こうでフランス語学校にも行きましたけれど、ほとんどしゃべれなかったです。コミュニケーションは英語だったんですけれど、向こうも自分も英語が下手な者同士でぐだぐだになっていました。ただ、自然科学の専門分野というのはすごく狭い世界なので、論文を通じてお互いに名前を知っていたりするため、相手がどんなことをやっているかはすぐ分かるんです。

創作の源となっている3人の著者

――そして富山大で、研究しながら、学生たちに教えて、という。

 そうですね。授業をして、研究して、というのが8年くらい続きました。2003年に就職して2011年までいましたから。最初は「助手」というポジションだったんですけれど、途中から文部科学省の方針が変わって、「助教」という呼び方に変わりました。
 富山では、学生たちと一緒にいろいろやるのが楽しかったです。ただ、どんな研究者にも波があると思うんですけれど、僕も自分のできることとやりたいことにギャップが出てきたりして。大学院生やポスドクの時は、たとえば浜野先生のプロジェクトにいれてもらって簡単に海外へ調査に行けたんですけれど、独り立ちするとやっぱりできることがガクンと減って、予算のこともあり、研究環境がちょっと変わってしまったんですよね。
 まあ、そこはもちろん、自分の力で切り拓いていかなければならないんです。でもそれだけの力が僕にはなかった。それで苦しんだというのもありますし、やってもあまりいい成果が出ないということもあり、だんだんモチベーションが下がってきて。まあ、誰にもそんな時期はあるので、そこで頑張る人は頑張るってことなんでしょうけれど、僕はその時にたまたま小説を書き始めたんです。

――ミステリーのプロットが浮かんだから書いてみた、と前におっしゃっていましたね。

 そうですね。とりあえず書いてみて、江戸川乱歩賞に応募したのが初めての小説です。

――それがいきなり最終候補に残ったんですか。翌年の2010年も乱歩賞の最終候補なり、同じ年に『お台場アイランドベイビー』で横溝正史ミステリ大賞を受賞してデビューされますよね。突然小説を書き出してすぐデビューされたわけですね。

 見よう見まねで、「小説って、書き方があるのかな」と思いながら書いていたんですよ。台詞と地の文の繋げ方とかも分からないし、三点リーダーのことも「この「...」はなんて読むのかな」とか「この「―」はなんと呼ぶのだろう、これは2個繋げるのが作法なのかな」とか、どうでもいいことに悩みながら書きました。東野圭吾さんの作品とか重松清さんの本を見ながら「ああ、こういう感じで書くんだな」なんてやっていた記憶がありますね。

――あ、重松清さんの本も読まれていたんですね。

 数冊読んでいました。重松作品は好きでしたけれど、書く時の参考にしたのは、当時たまたま読んでいたからですね。

――それでデビューが決まって、最初は二足の草鞋でいこうと思っていたわけですか。

 大学にしがみつく気持ちはもうそんなになかったんですよね。掲載の仕事の締切がきつくなってきたこともあって、辞めました。今となると、昔の仲間が研究を頑張っている姿を見て羨ましくなるんですが、もうしょうがない。自分で選んだ道ですから。それに、両方できたかとうと、絶対にできなかったと思います。できる人もいると思いますけれど、僕はデータや実験のことを1日中考えていないと研究が進まなかったし、小説のことも1日中考えていないとストーリーが浮かばなかった。両立は無理だと思いました。

――それで、専業作家になられる時に富山を離れて東京に来たのですか。

 そうですね。ちょうど東日本大震災の時でした。2011年の3月に「辞めて東京に行きます」と伝えたら、富山大の先生たちに「え、今東京に行くの」と驚かれました。でも、そのまま富山にいる意味もあまり感じなかったので。

――そこから、読書生活にはどんな変化がありましたか。

 小説を書くようになってから、小説が読めなくなりました。本当に大きな趣味を失った悲しさでいっぱいです。読むと、要するに、自分の書いたものがつまらなく見えてしょうがないんです。「こんな面白いものは俺には書けん」とか思うし。
 ただ、新書などはいっぱい読んでいますね。それに資料を読むことが圧倒的に増えました。いつか小説も読めるようになると思うし、自分の小説と関係のない、歴史小説とかなら読めるだろうと思うんですけれども。

――新書というのはどのあたりのものを。

 ありとあらゆるものです。気になったものは読む、という感じですが、「ああ、面白い話」と思ってもすぐに忘れてしまいます。ただ、研究者時代から読んでいた科学の啓蒙書で大事な本がいくつかあって。創作のヒントになるというか。ネタを探すという意味ではなく、「こういう世界を小説にしたい」というのが何冊かあるんです。僕、一番好きな人が、リチャード・ドーキンスという人で。

――『利己的な遺伝子』の人ですよね。

 そう、人間を含めすべての生物は遺伝子の乗り物に過ぎないという『利己的な遺伝子』で有名になったんですけれど、とにかく、反宗教主義で、懐疑主義、合理主義で。身も蓋もない人ですが、彼の本質はそういうところではなくて、わりと素朴に人間性とか人間の理性を信じているんですよね。すごくいい言葉がいっぱいあるんです。たとえば『虹の解体』という本では、ジョン・キーツという詩人が「ニュートンは科学で虹というものを解体してしまって、それ以来虹は美しいものではなくなった」と言ったことを猛烈に批判しているんです。科学的な説明が詩的な感受性を損なうという根拠のない妄想に皆がとらわれすぎているっていうことを、何回も何回も言っているんですよ。科学的な説明でもって深遠な宇宙のことを知るとか、生命の不思議さを目の当たりにするというのは、神話や宗教の世界よりもはるかに美しくて感動的なものだと思いませんか、ってことを、ずーっと言っているんです。僕もそう思うので、彼の言うことにはいちいちうなずけるっていうか。

――今日持ってきてくださったドーキンスの本は『神は妄想である』ですね。

 徹底的に宗教を攻撃している本です。やっぱりキリスト教徒でないから分からない部分は多いんですけれど、彼が宗教が嫌いだということはよく分かります(笑)。ドーキンスの言う、科学の知見そのものが神秘であり美であるっていうことは、僕自身すごく納得がいくし、自分が小説を書く上で大事な考えになっています。

――確かに、伊与原さんの作品は、科学的な知見を盛り込んで、その美しい世界、神秘的な世界を見せてくれますよね。『八月の銀の雪』のタイトルの意味も、普通の雪とは全然違う、すごくきれいな景色が目に浮かぶ。

 ドーキンスの本には科学のそういう面を押し付けている感じが若干ありますけれど、僕はなるべく押し付けないようになんとかならんもんか、と思いながらやっています。

――もともと、啓蒙しようとかそういう意味で小説に科学的な知識を入れているわけではないですよね。

 じゃないですね、はい。もう一人、僕にとって最重要人物が星野道夫さんですね。

――ああ、『旅をする木』。写真家・探検家の方ですよね。

 僕、エッセイで泣いたというのは、この本以外にはないですね。本当に星野道夫さんが書くものが好きです。アラスカで見聞きしたこととか、村の人々との触れ合いのことを書いているんですけれど、日本に暮らしている我々にも繋がっている感じがするんです。遥か昔、日本から黒潮に乗って向こうに渡った人々がいるんじゃないかという話もあって、自分たちの祖先とアラスカが繋がっているような、人間の暮らしや文化の輪廻みたいなものが感じられる。別の場でも言っているんですけれど、好きな一節があるんです。「東京であわただしく働いている時、その同じ瞬間、もしかするとアラスカの海でクジラが飛び上がっているかもしれない(中略)ぼくたちが毎日を生きている同じ瞬間、もうひとつの時間が、確実に、ゆったりと流れている。日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうか、それは、天と地の差ほど大きい」という。僕も小説を書いていて、特に『月まで三キロ』と『八月の銀の雪』は、こういう世界があると知っているのと知らないとではずいぶん違うような気がしませんか、っていうのが、書きたいことのひとつなんです。

――ああ、それは作品を読んでいて感じます。

 直接行くことはないし、直接触れたり、直接かかわることはないと思うけれど、世界というのは、今目の前にしているこの世界だけじゃない、ってことを意識できるのがいいんじゃないかなと思って。星野道夫さんの本の、そういう感じが好きなんです。

――折に触れて読み返しているんですか。

 ええ、そうですね。この『旅をする木』と『ノーザンライツ』というふたつのエッセイは何度も読みました。僕が創作する上で重要なのは、星野道夫さんとドーキンスと、あと『コスモス』のカール・セーガンですね。カール・セーガンは『悪霊にさいなまれる世界』というエッセイもあって、科学への愛がほとばしっているんですよね。この3人が創作の源になっております。

最近の生活&読書

――1日のなかのルーティンや執筆時間はどのようになっていますか。

 まあ、朝7時くらいに起きて、子どもたちを保育園に連れていき、9時か10時くらいから仕事をして、お昼ご飯をはさんで、子どもたちが帰ってくる6時くらいまで書いている、という感じですかね。その間に本や資料を読んだり、ネットで調べものをしたりもします。子どもの世話をしたら疲れきって夜は寝てしまう。昔は夜中に頭が冴えてくるタイプだったんですけれど、今は全然無理で。

――最近読んだ本で面白かったものは。

 物理学者の全卓樹さんの『銀河の片隅で科学夜話』は、僕と興味の対象が似ている気がします。『月まで三キロ』より後に出た本ですけれど、最初のところに、「月は1年に3.8センチずつ遠ざかっている」という話が出てくるんですよ。ベクレル博士の放射性物質を発見したエピソードとか、量子力学のお話とかも出てくるんですけれど、レトリックが素晴らしい。僕には書けない感じ。ちょっと格好いいんです、文章が。

――私も読みました。難しい科学を解説するというより、ちょっと気障というか、流麗な文章ですよね。

 そうそう。「科学に触れず現代に生きるのは、まるで豊穣の海に面した港町を旅して魚を食べずに帰るようなもので......」とか。なかなか面白いんです。
 科学と文学の関連でもう1冊あって。蒲池明弘さんの『火山で読み解く古事記の謎』、文春新書。これがめちゃくちゃ面白かったです。

――火山と古事記、ですか?

 古事記の前半って、南九州と出雲の話じゃないですか。南九州と出雲って、火山フロントの直上にあるんですね。フィリピン海プレートが西南日本の下に沈み込んでいくとき、ある深さのところで火山が生まれるラインがあって、それを火山フロントというんです。それが南九州を南北に縦断して、山口県を通って山陰のほうへと続いている。東北日本でも、北関東から東北の奥羽山脈に沿って、日本海溝の沈み込みによる火山フロントがあります。鹿児島や宮崎は火山が多いですよね。じつは出雲のある島根県も、九州以外の西南日本で一番火山が多いところなんですね。それで、この本を書いた著者自身も大胆な仮説だって言っているんですけれど、出雲の話も南九州の話も、全部火山の話である、というんです。
 たとえばスサノオの話は、7300年前に起きた鬼界カルデラの破局噴火のことを示しているって言っているんです。どういうことかというとつまり、古事記というのは縄文時代の記憶を今に語り継いでいる、というんですね。出雲の地域も、今は活火山は三瓶山という火山が1個あるだけですが、今活動していない火山も縄文時代には盛んに活動していた。だから古事記に登場する人たちは、火山噴火を治める祭祀集団だったという仮説です。

――祭祀集団!

 天照大神が岩戸隠れするじゃないですか。あれも、鬼界カルデラの噴火で、火山灰や火山性エアロゾルによって太陽が遮られるのが年単位で続く、それを表していると。そういう説は昔からちょこちょこあったんですけれど、この蒲池さんがまとめたというか、きちんと考えた。
 この説って、文字のなかった縄文人たちの記憶を古事記の時代まで語り継ぐことができたのかという、その一手にかかっているんですけれど、最近は古事記研究者の間でも、弥生・縄文も無関係ではないのではないか、という考えが当たり前になってきているそうです。
 その鬼界カルデラの噴火というのは本当に破壊的な噴火で、南九州の縄文文化がほぼ全滅したんですけれど、蒲池さんの主張によると、そういうカタストロフィックな出来事が起きた時、人々は部族の歴史のタイムスパンを噴火前と噴火後に区切って語るはずだ、と。破局噴火というそのエポックを物語にして語り継いでいったんじゃないか、と言っているんですね。それと関連して、もう1冊ありまして...。

――もう1冊お持ちくださっているのは大型の絵本ですね。

 『火山はめざめる』という絵本ですが、作者のはぎわらふぐさんという方は地図の専門家で、火山マニアでもあるようですね。監修が早川由紀夫さんという、群馬大の火山学者で浅間山の研究で有名な人です。浅間が、25000年前だから旧石器時代の終わりに噴火した時から後の、歴史的な噴火の様子を科学的にリアルに絵に描いてあって、人々と火山のあり方みたいなものをすごく想像させてくれる絵本で、素晴らしかったですね。

――絵がものすごくリアルで迫力がありますね。遠景で火山が煙をあげているなか、手前に人々が生活している様子が描かれていたりして。

 巨大噴火というのはまだ僕たちは目の当たりにしていないですけれど、これまでに何回もあって、そのたびに暮らしが破壊されている。だとしたら、そりゃ縄文人だって語り継いでいるんじゃないかって気になりますよね。
 僕らが知っている1991年の雲仙普賢岳の火砕流だって、火砕流としてはごく小さなものですからね。あれであれだけの人が亡くなったんですから。阿蘇とか霧島連山がカルデラ噴火を起こしたら、火砕流はもう、海を越えて山口のほうまで到達する。そういう出来事を、やっぱり人々は決して忘れないだろうと思えてきます。

――この絵本の効果で、古事記と火山の関連にめちゃくちゃ説得力が。

 そうですよね。僕のなかでも、古事記は完全に火山の書物としか思えなくなっているんです(笑)。でも、蒲池さんご本人は、自分はあくまでもアマチュアで、歴史学者でもないし古事記研究者でも火山学者でもないと何回も断っている。それでもすごく説得力のある、いい本ですね。

――さて、伊与原さんの今後のご予定は。

 短篇が続いたので、今は長篇を書いています。読み手としてはデビュー作のようなスケール感のある近未来ものなどが好きなので、近々そういう作品にもまた挑戦したいですね。