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田中啓文「件 もの言う牛」書評 年の初めに読みたい牛尽くしホラー

文:朝宮運河

 2021年最初のブックレビューでは、丑年にちなんだホラーを取りあげたい。田中啓文『件(くだん) もの言う牛』(講談社文庫)である。黒牛がギロリとこちらを睨みつける装画から、いかにも禍々しさが漂っているが、内容も負けず劣らずすさまじい。なにしろ開巻早々、凶悪なホルスタインが道に迷ったハイカーを食い殺すのだから。丑年に読むべきホラーはこれだ!という著者と担当編集者の熱い思いが伝わってくるようだ。

 卒業論文執筆のため、日本各地の一言主(ひとことぬし)神社を調査している大学生・美波大輔は、岡山県の山中で暴風雨に遭い、ある農家に宿泊する。その家の牛舎では、古代の牛のDNAから生み出された新たなブランド牛・太郎牛の一頭目が誕生しようとしていた。農家の娘・絵里とともに出産現場をのぞき見た大輔は、牙の生えた子牛のおぞましい姿にショックを受ける。子牛は「芝野孝三郎は六十二で死ぬ」と人語を発すると、すぐに息絶えた。牛舎にいた男たちに見つかった大輔と絵里は、命を狙われることになる。

 一方、新聞記者の宇多野礼子は、首相の芝野孝三郎が62歳で急死したことを受け、与党内での次期総裁・首相選びを取材していた。候補の一人と目される文部科学大臣・鵜川が、会合を終えて向かったのは人里離れたゴルフ場跡地。そこはみさき教という宗教団体の施設らしい。教団について調べを進めようとした礼子だったが、上司から深入りするなと警告されてしまう。
 そんな折、高校時代の友人で奈良県警の刑事である村口毅郎が上京してくる。牛にまつわる奇妙な事件に関わったのがきっかけで、村口もまたみさき教の謎を追っていたのだ。二人の調査によって、みさき教が政界の有力者たちに代々信仰されてきた、極秘の団体であることが判ってくる。

 秘密結社が歴史を陰から操っている、という伝奇小説の巨匠・半村良が得意とした物語のパターンをなぞりながら、本書はもうひとつの日本史を紡ぎ出していく。もっともらしい証拠によってスケールの大きな嘘を信じこませてしまう田中啓文は、まさしく半村良の正統的な後継者だ。
 半村の代表作『石の血脈』が、各地に残る石の伝説に着目したように、本作では「牛」が重要なキーとなる。秘かに繁殖されるクローン牛、日本神話の一言主、岡山県に残る鬼の伝承、太古の祭祀場跡から発掘された牛の骨、そして未来を予言して死ぬと言われる妖怪・件――。これらの要素がアクロバティックに繋がり、意外な真実を導き出すパズル的な興奮こそ伝奇ロマンの醍醐味。暴虐ぶりで知られた雄略天皇がなぜ、「有徳天皇」と呼ばれるまでに心変わりしたのか、という日本史上のミステリーに鮮やかな答えを提示している点にも注目したい。

 こうした知的興味をそそるアイデアと、スピーディかつドタバタ味のある物語、ショッキングな残酷シーン、痛快な政治風刺の要素が渾然一体となり、田中印の伝奇ホラーを作りあげる。特筆すべきは〝牛尽くし〟のクライマックスだろう。動物パニックもの、というより怪獣小説のノリに近く、過剰さを旨とする作者の持ち味が遺憾なく発揮されていた。田中作品ではおなじみの、思わず脱力するような駄洒落もしっかり準備されているのでお楽しみに。ああ、ミノタウロス……。

 昨年来、ミステリーや時代小説など、さまざまなジャンルの秀作を矢継ぎ早に刊行している著者。どんなジャンルも手堅くこなす作風は、ラーメン屋に喩えるなら、あっさり味からこってり味まで幅広く取り揃えた優良店だろうか。
 本書はそのメニューの中でも、ひときわ食べ応えのある濃厚こってり特盛りラーメンだ。太る心配はないので、どうかスープの最後の一滴まで味わっていただきたい。精神的カロリーを摂取して、丑年をたくましく乗り越えたいものだ。