唐木順三は『現代史への試み』のなかで、明治を修養の時代と特徴づけたのと対照的に大正を教養の時代と見た。その心は、前もってプログラムされた知の型の代わりに各人が古今東西の書物を読み解くことで知的完成を目指す型なしの自由にある。いわゆる大正教養主義の理解である。無型の自由はいまもってなお、トンデモの疑惑とともに学者を警戒させ、さらには多くの独学者さえも怯(おび)えさせてやまない。学んでも学んでも、なにかが欠落しているのでは、という不安が拭えない。
学習の技法を体系化させることで早くも古典の風格さえまとう『独学大全』は、この無型の自由を脅威としてではなく可能性として受け止めるための新たな型を提供している。本書を読む者は、七〇〇ページを越える大ボリュームとバラエティ豊かな五五の技法すべてに精通する必要はない。場合によっては、技法35「掬読(きくどく)」(必要な部分だけを読む)で済ますことすら勧められるかもしれない。というのも、型をもてなかった者たちに必要な型とは、合わねば撥(は)ねられる硬直的なものではなく、いかようにも対応できる柔軟で選択可能なものであるべきだからだ。このような弥縫(びほう)策は決して子供騙(だま)しのテクニックなのではない。たとえば、技法13「ゲートキーパー」(課題の達成を知人に予告していく)を駆使していたのにコロナ自粛でその知人と疎遠になってしまった学習者は、しかし同じ本のなかに技法14「私淑」を見つけるだろう。
つまりは学習者の環境が一様ではなく、さらには学習によって学習者自身が変わっていくのならば、修養的枠組みはむしろ無用の長物となってしまうかもしれないのだ。
人は変わっていけると同時に変わってしまう生き物でもある。ここに至って、知的制度の内外を問わず、学問に関わろうとするすべての人に教養的パッチワークが求められることに気づく。本書の分厚さは人間のもつ可変性の幅に相即している。=朝日新聞2021年1月9日掲載
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ダイヤモンド社・3080円=8刷14万部。2020年9月刊。著者は古今東西の文献や思想を紹介する人気ブロガー。